『塔』2020年8月号(2)

⑨「河野裕子一首鑑賞」つらなめて寄りくる鯉のいくつかは水面の落葉にのるごとく来る 河野裕子 相原かろの一首鑑賞が心に残った。他の、鯉の歌の比喩表現は〈特異な感覚が捕まえてきた言葉であるとしても、掲出歌のような鯉と向き合った時間あってのことなのだろう。〉と分析する。

この掲出歌は今までよく注意してこなかったけれど、とてもいい。特に「水面(みなも)の落葉にのるごとく来る」という観察の細かさ。こうした観察があってこそ、特異と言える比喩表現に結び付いた、という相原の分析は鋭い。言われれば当然のようだが、自分ではなかなか気づかないことだ。

あなたがいなければできなかったと言うためにどうしてもやる必要がある 吉岡昌俊 あなたのおかげで、と言うために、自力でやり遂げる。本末転倒のようで、相手を思う気持ちから、ありがちなことかもしれない。初句8音の過剰さが、一途な切迫感を表している。

指さきで耳のうねりをなぞりつつ巻貝を降りてゆくように睡る 山川仁帆 コクトーの詩を連想させる美しい一首。「巻貝を降りてゆくように」が眠りに落ちる時の比喩としてとても説得力がある。自分の頭の中に沈み込んでゆくような感覚。

買はざりし本に呼ばるる心地せり草木が風に乾くゆふべは 森尾みづな 湿度の低い一日の夕暮れ、心も少し乾いている。その時、買わなかった本が頭に浮かぶ。自分の心がその本を呼んでいるのに、呼ばれる心地がするという感覚、よく分かる。本の中の著者と、どこかが通じ合ったのだ。

もう、無効 重ねた指のぬるさとか目くばせだけで許しあうとか 中森舞 一つの関係が終わったのだろう。まず、読点と一字空けで絞り出すような言い方を表す初句に、衝撃力がある。重ねた指が、温かいのではなく、ぬるい、という把握や、下句の動作にリアリティを感じる。

まぶしがる子にわけやれる影おほしきみに樹のごとありたし父は 浅野大輝 爽やかな父の歌。まだ小さい子が陽光をまぶしがる。父である自分の身体の影に入れてやりながら、樹のような存在でありたいと願う。上句の観察する視点から、下句の、子に対する「きみ」という呼びかけや、「父」の自称がいい。

ベルマーク切り取るほどの時間あり端まで綺麗に整えている 廣野翔一 ベルマーク切るぐらいしかない、短い時間のはずなのに、なぜか切り始めたら丁寧に切り整えている。時間が伸び縮みするような感覚。「ほどの」はわずかな時間と取りたい。充分な時間だと、下句が生きて来ないと思う。

生活は絶えず音楽の状態に憧れる・・・のか? 布団を畳む 永山凌平 「すべての芸術は音楽の状態に憧れる」という言葉を踏まえた歌。音楽の状態って何だろう。均整の取れた状態か。芸術はそうだとしても、生活はどうだろう。そんなことを思いながら、布団を畳む。生活そのものの行為。

2020.8.23.~30.Twitter より編集再掲