『万葉集』に庶民の歌はあるか

『短歌研究』4月号 品田悦一「万葉ポピュリズムを斬る」〈『万葉集』に庶民の歌なんかありません、庶民の歌の代表みたいに考えられていた東歌だって実は都の人と地元の豪族の合作なんです〉色々な資料を駆使して東歌が豪族の作ったものだと例証する。品田の説は豪族≒貴族。だから庶民ではない。

『短歌』4月号 中西進×永田和宏「『令和万葉集』の意義」〈永田「『万葉集』は貴族層だけのものではない。豪族を含めた民衆の歌だ…」〉〈中西「『万葉集』の中に東歌がある…民衆の言葉で、そのまま載せている…」〉これを読むと、永田は豪族<民衆、中西は東歌=民衆の歌と捉えているようだ。

それぞれ別の総合誌の記事から引いたので、論点がきっちり噛み合っているわけではないが、品田の言うように「東歌=豪族の歌」という点で合意ができたとしても、「豪族≒貴族」と取るか、「豪族≒民衆(庶民)」と取るかで万葉集の理解が変わってしまう。

一方は、『万葉集』には庶民の歌なんか無い、となり、もう一方は、天皇から庶民まで、となる。こういう違いってすごく興味深い。論点を絞って、鼎談してもらったら面白いんじゃないだろうか。

2020.4.10.~11Twitterより 2020.7.14.~15.noteより 編集再掲