『塔』2020年10月号(4)

ぢやあなんで生まれてきたかで終はるゆゑ雨の日は思考停止させとく 穂積みづほ 考えたいわけではないのに、思考が勝手に頭の中をぐるぐる走る。雨の日はとりわけネガティブなものになりやすい。思考停止させておくのも簡単ではない。早く晴れて、そんなことどうでもいいと思いたい。

なぜになぜにそつちに行くのか反抗期の息子みたいに胡瓜南瓜 森永絹子 何の話だろうと思って読んでいくと、結句の胡瓜南瓜にたどり着き思わずにやりとする。蔓性の植物は本当に思わぬ方向に伸びる。作者はおそらく反抗期の子の子育てを終え、今は胡瓜南瓜に手をかけているのだろう。

雨音を聴いてゐるうち母となり聴いてゐるうち百年が過ぐ 祐德美惠子 雨音を聴いているうちに少女が母となり、そして百年が過ぎる。それぐらいずっと一人で雨音に浸っていたのだ。スケールの大きな把握と一首を貫く孤独感がいいと思う。繊細な感覚に満ちた一連だった。

捨てやうと思へど令和にまた残す自死せし友のふつうの手紙 赤岩邦子 令和を機にお片付け、断捨離、という軽い気持ちで読み始めて、思わぬ下句に立ち止まる。この一首で一番大切なのは「ふつうの」という語だろう。自死した友が、昔ごく普通の内容の手紙をくれていた。それが悲しい。

墓石を濡らして雨は降りつづきあなたはどこであなたの骨見る 広瀬桂子 雨が降り続き、あなたの墓石を濡らす。気分が落ち込むような情景。死んだ人は自分の骨を見ないし、死んだという実感も持たないだろう。おそらく作者もまだ、あなたの死を心からは実感できていないのではないか。

㉖田中律子「『森の向こう』評」美しく蝶を通わす野の薊わがためにまた父に摘まれ来 冬道麻子〈病の娘に見せたい一心で夏野から薊を摘んでくる父。摘まれた薊は、作者に夏そのものを届けてくれる。〉冬道の歌の魅力を的確に伝えてくれる評。伊豆の三島の町に対する考察も良かった。

ドアを閉めるたびにあなたを見捨てゆく大丈夫ってもう尋ねない 神山倶生 どんな背景があるのだろう。だんだんあなたから心が離れてゆく。見捨てゆく、という強い言葉に釘付けになる。もう尋ねない、ということは以前は尋ねていた、ということ。他の歌も不思議な魅力に満ちている。

2020.11.5.~6.Twitterより編集再掲