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『塔』2020年5月号(2)

暗闇をつくって鏡の前に立つ 行きたいよ。行けないから来てよ 田村穂隆 直前の一首から考えて、上句は電車の暗い窓を鏡のようにして自分を映しているのだろう。下句は途中で「。」があるが、作中主体の独白と取った。句跨りのねじれたような韻律が心の渇望と呼応している。

生きているから行かないといけなくて開けてしまったカーテンの青 濱本凛 上句は言葉を長々と使った迷いのある文体。下句は逆に短くきっぱりとした詠い方。「開けてしまった」が、進むことへの決心とまだ少しの後悔を感じさせる。カーテンの青が清々しい。

アンニュイな十六歳のやわらかな平方根のようなあやうさ 増田美恵子 「―な」が続くのだが、「やわらかな平方根」「平方根のようなあやうさ」と二回かかるように読める下句が好きだ。どちらの比喩も意外性がある。

緩やかに薄き魚がひるがへるこころのなかに降りてゆくとき 加茂直樹 カウンセリングの時間を描いた一連。魚は作中主体が見ているモビールであり、実景だということが他の歌から分かるが、この一首では喩のように読める。意識の断片のように思える。

労働の合間はひとり死んだものばかりを詰めた弁当を食ふ 千葉優作 何という孤独な歌だろう。三句四句の句跨りのせいで「ひとり死んだもの」のところで切れて読めるので、初読の時ぎょっとする。他の生物の死を食べるという発想を、目立つ名詞を使わずに韻律で際立たせている。

まだ何か言わないでいる君の背がチヨコレイトのぶん遠ざかる 真栄城玄太 とても好きな歌。選歌後記には「君」が石段を登る、と書かれているが、私は平面移動のように思う。というより、ジャンケン遊びは喩で、何かを言わずに君は離れて行き、自分はその地点から動けないと読んだ。

彼の背に香るマンデリン本日もセーター越しに背骨をなぞる 立花ふみ 歌の雰囲気が好きだ。「本日も」なので朝の風景だろう。少し改まった言い方が面白い。セーター越しに背骨がなぞれることから、「彼」が痩せていることと薄着なことが分かる。二人の親密な空気が伝わってくる。が、最初「マンデリン」は「マンダリン(オレンジ)」の別のカタカナ表記だと思った。調べてみるとコーヒーの種類だった!彼が柑橘系のコロンをつけていると思ったのだが、コーヒーの香りだった。(調べて良かった…。)朝のコーヒーを淹れている彼に後ろから近付いたのかな。

書くじゃなく打つと云うときだけ文字は誰かの窓を叩く雨粒 toron* 文字は書くものから打つものに変わりつつある。「窓」は液晶画面だろうが、実際の窓が目に浮かぶ。雨が誰の窓にも降るように、自分の文字が誰とも知れない人の画面に届く不思議。「叩く」ように心に呼びかけるのだ。

2020.5.26.~29.Twitterより編集再掲