〔公開記事〕「ただの偶然」(前半)『現代短歌』2024.3特集「新人類は今」記載エッセイ

「ただの偶然」(前半)      川本千栄


    「川本さんはまさに新人類って感じだね」と年上の同僚から言われたことがある。一九八五年に就職してすぐの頃だ。私のどこが新人類?真面目なつもりなのに…。この言葉は良いニュアンスで使われていなかった。新しく、かつ自分勝手な考え方をする、協調性が低い若者といったニュアンスだ。私の世代は、一九七〇年代の中高生時代にはシラケ世代、三無主義と呼ばれていたのに、大学を出る頃には新人類と呼ばれ出した。この語は、まさに私が就職した八五年前後の数年だけ流行ったと記憶する。そう言えば、八五年就職組まで女性の就職は旧態依然で、「結婚するまでの腰掛け(死語)」扱いだったが、翌八六年就職組の、たった一歳下の後輩女性たちは、「男女雇用機会均等法」一期生として華やかに就職していった。私見では、特に女性は、そこからがバブル世代。新人類世代は、バブル世代よりやや屈折しているのだ。
    就職して二年後の八七年五月、俵万智歌集『サラダ記念日』が出版され、一大ベストセラーになった。彼女は私と同い年。短歌に全く関心が無い私の家にも一冊あった。母が買ってきたのだ。今もある。見てみると同年八月で一四二刷である。短歌史的に振り返るとその頃、おなじく同い年の穂村弘荻原裕幸のニューウェーブ歌人たちもデビューしていたはずだが、当時私は短歌の世界の外にいて全く見えなかった。現代短歌は新聞歌壇と『サラダ記念日』だけに見えた。

(つづく)
〔公開記事〕『現代短歌』2024.3.


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