子供は誰が

 昨年11月号(『塔』2019年11月号)に書いた評論「家族はどのように詠われてきたか」で、性別役割分業は資本主義の発展に都合の良い観念で、「子育ては母親がすべし」という考えはその時期から強くなったと書いた。ではそれ以前は誰が子育てをしていたのだろうか。幾つかの社会学系の本では「村落共同体」「村ぐるみ」「家族ぐるみ」と漠然と書かれていて、具体的に誰なのかがはっきりしない。
 少し自分なりに考えてみたのだが、乳幼児の場合、年長の子供が見ていたのではないか。明治~昭和初期の子供の群像写真を見ると、男女問わず相当数の子供の背中に乳幼児が括りつけられている。幼い弟妹を背負って石蹴りなどの遊びに興じている子供の存在は当たり前過ぎて、資料に文字化されていないのではないか。弟妹以外に甥姪、近所の子という場合もあろう。仕事として、違う階層の他家に奉公に行くこともあった。子守として働くのは多くは女子である。裕福な家は子守を雇うのだ。
  にんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけり 斎藤茂吉
 笑えないのは疲労のためか。各地に残る子守唄からも子守の仕事が重労働だとわかる。彼女らは年がいくと女中として家内労働をし、主家の子供のしつけを担当することもあった。ねえや・ばあやという存在だ。
 小説『津軽』『坊ちゃん』はどちらも、主人公が遠方にいる元ねえや・ばあやを慕う気持ちで貫かれている。このような疑似親子関係が、「母=子育て」の時代以前にはかなりあったのではないかと私は考えている。

2020.6.『塔』「方舟」

幾つかの社会学系の本・・・『母性という神話』 E・バダンテール( 筑摩書房)1991/『増補 母性愛神話の罠』大日向 雅美 (こころの科学叢書) 2015/『結婚と家族のこれから~共働き社会の限界~』筒井 淳也 (光文社新書)2016