見出し画像

庭田杏珠×渡邉英徳『AIとカラー化した写真でよみがえる 戦前・戦争』

 去年から新聞紙上で話題になっており、ずっと読みたいと思っていた本。新書で写真集というのがとても新鮮。戦前・戦後の写真をカラー化するのは『記憶の解凍』プロジェクトの一つである。

 今までも白黒写真に彩色する技術は無かったわけではない。しかしどこか不自然で人工的なものになりがちだった。それを解消したのが機械であるAIによる彩色だというのもどこか逆説的だ。もちろん、手作業での彩色技術が使われた時間のほとんどを占めるのだろう。1枚の写真に込められた気の遠くなるような時間を思い、圧倒される。

 絵を描いていた時によく思ったのは、あらゆる線があらゆる線と、あらゆる面があらゆる面と繋がっているということ。現実の世界には、日本の俳画のような白い余白はどこにも無い。色のついていないものは何も無いのだ。光が全く無いところでは全ては黒く見えるのだが、光が当たった途端、全てのものに色が生ずる。それを描きだすのはごく小品であっても本当に大変なことだ。それをAIが手伝ってくれる。

 本書の中では個人蔵の写真をカラー化し、持ち主に見せたところ、持ち主が忘れていた記憶を蘇らせる行程がドラマチックに描かれている。それほど色というものの持つ力は大きい。

 写真が白黒であった時には現在と切り離された過去だったものが、カラー化された途端、現在と地続きの過去のなる。この不思議な感覚はなんだろう。もちろん私が生まれる前の時代の写真である。

 本当に変な話だが、私は白黒写真の時代は色が無かったように錯覚していた。白黒写真はカラーの世界を撮ったものだという当たり前を忘れていた。

 私が子供の頃、1960年代後半頃まで、写真は白黒が多かった。カラー写真を見れば「カラーだな」と意識したものだ。今とは逆だろう。テレビも新聞も白黒だった。それがテレビは1970年代にカラーが主流になり、新聞もおそらく1980年代に、特別な時以外もカラー写真になった。新聞印刷で、凸版印刷機の数より、(カラー印刷が容易な)オフセット印刷機の数が多くなったのが1987年ということだ。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtappij1955/53/7/53_7_834/_pdf

 私の曖昧な記憶では「結構最近まで」、新聞の写真も白黒だったような気がするが、上記の記事によると1980年代後半。この記事の書かれる少し前の1997年には、94%がオフセット印刷されていたということだ。

 しかし、それ以前、家庭のアルバムもテレビも新聞もみな白黒だった時代、私たちの目は、全く当たり前のこととして世界をカラーで見ていたのだ。自分が子供の頃の白黒写真を見て私は考える。この時着ていた服の色を思い出せるだろうか。父母の、祖父母の、妹の服の色を。家の中にあった物たちの色を。

 戦争体験者であった祖父母・父母はこの写真集を見てどう思うだろう。もう私の祖父母・父はいない。伯父伯母もほとんど世を去った。私の持つ戦争の記憶は全て言葉での伝聞によるものばかりだ。このプロジェクトに間に合って、カラー化写真を見られた戦争体験者がいることがうれしい。

 若い世代がこのプロジェクトの大きな一翼を担っているという事実に、瞑目したくなるような有難さを感じる。戦争写真には詳細な場所と日付がついている。見て感動するだけでなく、資料的価値もとても高い一冊だ。

光文社新書 2020.7. 1500円+税



この記事が参加している募集