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『短歌往来』2020年9月号

①田中章義「教科書で習うことのない歌のたいせつさ」〈ここ十数年、さまざまな時代の施政者や戦国武将、幕末の志士、芸術家、教育者などが詠み残した歌と対峙しながら(…)〉歌人以外の人、特に歴史上、名のある人の歌、という理解でいいだろうか。

 心あらば此の民草のかれのべに露ほどだにも月やどりせよ 田中正造〈「民の住む枯野辺となった田畑の上をほんのわずかでも月が照らし、恵をもたらしてほしい」と願った正造の一首(・・・)民草のために尽力し続けた正造も歌を尊ぶ一人だった。〉田中正造の人柄と、その祈りをよく伝えてくれる歌。

 歴史上の業績と歌を並べて読むと面白い。歌は文学としての側面だけではない、という文化史的な観点なのだろう。ただ、歴史上、業績のある人だから歌も価値があるというわけではないと思う。いい歌かどうかはまた別の問題だ。

②松村由利子「時代の変化とともに」〈子育てを詠んだ歌は、いつの時代もあふれんばかりの情愛に満ちている。そして、親たちのひたむきな姿は、子どもたちの愛らしさ以上に胸を打つ。〉そうなんだけど。何か物足りない。私の場合も含めて、こんな子育て短歌ばかりじゃない気がする。

終わりなく答え欲しがる夏休みていねいに応えてあげればよかった 佐伯裕子〈母親が社会に馴染めないと、敏感な子はその感受性を共有して、バランスを崩してしまう〉耳に痛いエッセイ。「~すればよかった」と後からは思うのだが、その時はそれができないんだよなあ。

驚かない落胆しない騒がない そういう母にまだなる途上/揺れ、すがり、諦め、肝を削ぐような感情 今夜も娘とねむる 鈴木英子 一首目は二首目の詞書。子育てのどんな時も冷静にいようとしながら、毎日それができないまま、娘と眠る。大人にならない娘と。衝撃の連作だった。

すずめ蛾のやわらかき腹わが知らぬ少女となりて子の夏は過ぐ 奥田亡羊 子を恋うる歌。蛾の腹から少女の柔らかい腹に想像が及ぶ。自分の子を詠いながらどこか性的な印象がある。わが知らぬ、と子の成長を直に見ていないことも、禁忌の雰囲気を感じさせる。

⑥三枝浩樹「再訪八木重吉」〈〈わたし〉を消すことによって、木がいよいよその全貌を現すのである。その風景の中に歩み入るためには〈わたし〉を消さなければならない(…)信仰のベースには自己否定がある〉信仰の話はいつも難しく思うが、今号の話は詩と響き合い、腑に落ちた。

2020.9.7.~10.Twitter より編集再掲