歌集批評会に思う(前半)【再録・青磁社週刊時評第七十五回2009.12.14.】

歌集批評会に思う(前半)          川本千栄


   (青磁社のHPで2008年から2年間、川本千栄・松村由利子・広坂早苗の3人で週刊時評を担当しました。その時の川本が書いた分を公開しています。)*所属結社等はこの記事を書いた時点でのものです。

 12月5日、「未来」の中島裕介の第一歌集『Starving Stargazer』読書会に参加した。中島は個性的な文体を持つ作者で、以前に一度、この週刊時評でも取り上げたことがある。

ベツレヘムに導かれても東方で妻らは餓える天動説者   
Staring at the star of Bethlehem, she’s a starving stargazer!    
  thereat
杳窕の明日 発声練習に「春と修羅」をと君は推したね

 中島の歌の一番の特徴は、歌集前半に見られる、英文の一行詩に日本語の短歌のルビがついているという形式だろう。また、歌集後半は普通の短歌の形式で、掲出二首目のように英語の詞書が付いているものもある。このように非常に「読み」が難しい作品群であるが、以前から気になっていた歌集であり、他の人がどう読むか聞いてみたかったので出かけて行った。
 会に参加したのは約30名。司会は加藤治郎、発表者は川野里子フラワーしげるであり、「未来」編集・発行人の岡井隆も参加していた。まず、川野里子が主語の拡散や、(本来は意味を持つ)言葉や宗教を意匠として使っている点を問題として挙げた。また翻訳家でもあるフラワーしげるは、中島の意図する「多声のコンポジション」を海外文学作品における「マカロニック(他言語文体)」と対比させたあと、何首かの英語詩を丁寧に訳し、付された日本語の短歌と比較した。また、形式の問題を取り払った時に、素材としてどうかという点を論じた。
 その後出席者が発言を求められたが、これがなかなか面白かった。結城文が英語短歌の観点から、どこに読者を想定しているのか、英語部分はネイティヴ・スピーカーによる文法チェックを受けたのか、という疑問を提示。私も英語で書く以上、英詩としての出来栄えが気になるという趣旨の発言をした。それに対して黒瀬珂瀾が、これは英語ではなく日本語なのだ、読者として日本語話者しか想定していないと発言。また、江田浩司が、エリオットの『荒地』など引用されているものを踏まえて読むべきだ、マラルメの方法論などの影響を考えるべきだという発言をしたのに対して、黒瀬が、引用された内容に踏み込むのではなく、全てがグーグル的に並置されていると解釈した方がいい、これからの詩歌における引用は全てそうしたものになっていくのではないかと発言し、江田との間に意見が交わされた。

(続く)

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