『塔』2020年8月号(3)

葉を広げ白き花咲く朴の木は見上げる吾を見下ろすことなく 山浦久美子 大きな葉、上向きの白い花を咲かす朴の木。作者は木を憧れを込めて見上げるが、朴の木はそんな作者を見ることはない。常に上へ上へと視線を向ける木。作者の思いは、孤高の人に対する尊敬と憧れのようでもある。

この問いを抱えて生きていくことを許して蜻蛉が低空に飛ぶ 紫野春 「問い」の内容は明らかにされないから、一層普遍性を持つ。持ってはいけない問いを抱えてしまったのだろう。蜻蛉は自分の心を掬うために低く降りてきたのかも知れない。今月のこの作者の一連にはとても心を惹かれた。

戻れない橋をわたつてしまひけり黒いマスクであそぶ子供ら 岡部かずみ 戻れない橋を渡る、は後戻りできない決断の喩か。しかしまるで彼岸へ渡ったような印象を受ける。コロナで黒いマスクも見慣れたが、それをつけて遊ぶ子供は少し不気味。お話の中のあの世のような雰囲気がある。

救われたい人より少ない呼吸器は救える人に回されてゆく 竹田伊波礼 命の選別(トリアージ)は、緊急事態宣言下でよく話題になった。その頃作られた歌だろう。私も自分なら呼吸器をつけてもらえるか、と考えていたが、今はこの歌を見てやっと思い出したぐらいだ。緊張感は減ったな。

㉑方舟「リモート歌会考」沼尻つた子〈Zoom歌会では「切り替えの難しさ」を感じた。(・・・)歌会という「公」が生活という「私」へ浸食してくる感覚〉確かに家の中を人に見られるのは、戸惑う。生歌会でいいものはリモートでもいい、ダメなものはダメで切り替えるしかないのだろうなあ。

尾ひれのない魚はいない尾ひれのない魚になって重力を泳ぐ 山田泰雅 何だろうこの不思議な雰囲気は。いない、と言っておきながら、その魚になるとは。そして重力を泳ぐとは。尾ひれもないまま重力に逆らって泳ぐ、圧倒的な無力感・徒労感。しかし淡々と詠われているので共感を感じる。

一本の骨のようなる柱頭をあらわにさせてチューリップ散る 青海ふゆ チューリップは好きな花なのだが散り際があまり美しくない。この歌を読んで、そうか、柱頭は骨に似ているのか、と気づいた。花びらを一つ一つ落とし、骨を露わにして無残に散るチューリップ。それも花の一つの姿だ。

いい風が自転車の籠を通り抜け何も持たない身体で良かった toron* 上句で自転車に乗る爽やかな気分を感じた後、下句で詠われる気持ちに立ち止まった。持つことがいいことと、無条件で思っている無意識が揺さぶられる。持たない清々しさを風が吹き抜けてゆく。

2020.8.30.~9.1.Twitter より編集再掲