短歌月評Ⅱ

「現代短歌」五月号
正常さを保ちつつ町が動きいる一人一人が保つ正常   花山周子
 「正常 二〇一九年十月~十二月」より。一見普通で当たり前に見える日常生活。しかしそれは、危ういバランス上にある。個人が正常で無くなれば、町の正常さは失われるのだ。当たり前を疑う歌。

「歌壇」五月号
学校の授業たやすくなくなりぬそのスピードを怖るるわれは   大口玲子
インターネット動画配信のミサの間を蠟燭の炎揺れつづけをり

 「うさぎとマスク」より。一首目、コロナ禍の影響で全国の学校へ、二〇二〇年三月二日から休校するよう要請がなされた。学校は行くもの、行かなければならないものという社会の前提が、疫病の流行の前にあっという間に無となってしまう。その怖ろしいスピードに、前提に従おうとしていた者は茫然とするのだ。二首目、コロナの流行を抑えるには密閉・密集・密接の三密を避ける必要があると言われる。宗教的儀式は三密の最たるものだ。ネット配信となってしまったミサを見つめる作者。神と繋がる儀式が実は人と繋がることから成り立っていたということを再認識する歌だ。
中吊りを見上げるマスク越しの口完璧なほど開きつぱなし   惟任將彦
毛髪をぷつりと抜いたその根本ちょっと記憶が付着している   島本ちひろ
わたくしが見てゐなくても最後まで蹴られつづけるサッカーボール   千葉優作

 特集「秘蔵っ子歌人32人競詠」より。この秘蔵っ子という言葉に違和感を感じた。一首目、電車の中吊り広告をポカンと見つめる人。マスクをしていてもあまり効果は無さそうだ。二首目、毛根を記憶といわれるとそんな気がしてくる。三首目、試合におけるサッカーボールをそのまま詠んだようだが、痛ましさが伝わってきて巧み。

「短歌往来」五月号
疫病を鎮めるためのお祭りが中止となりぬ疫病のため   河野美砂子
引き波が根こそぎ持つてゆくやうにキャンセルが次のキャンセルを呼ぶ

 「三月―二〇二〇年」より。京都の玄武神社の花鎮めのやすらい祭りは、散っていく桜の花びらと共に拡散していく疫病を鎮めるためのもの。それを疫病の流行を理由に中止するのは、疫神や怨霊の祟りと信じていた平安時代の人々から見れば、本末転倒の行為だろう。しかしウイルスの存在を知る現在の我々は、花鎮めの祭りも結局平和であったからこそできたものだということを痛感するのだ。二首目、行事が次々とキャンセルされる事態を引き波に喩えており実感がこもる。
あの船と呼ぶときこの船おほいなるかたちあらはす日本といふ   川野里子
見捨つるやうに鷗飛び去り病む船と病みゆく孤島よりそひ残る
炙り出しのやうに国境あらはれ上蔟(じやうぞく)のしづけさにをりあの国この国

 「船歌(バルカローレ)」より。「あの船」はダイヤモンド・プリンセス号、「この船」は日本である。二つの船は同じ運命を背負って寄り添い並ぶ。あの船は今病んでおり、この船はこれから病んでいく。国際化が叫ばれ、国境を越えて人や物が動いていたはずが、危機に際し、地図上の線であるはずの国境が突如あらわになる。上蔟は蚕に繭籠りさせること。国々は繭籠りするように国境線内で身を縮めて、自国さえよければ、と危機が去るのを待っているようだ。
粗大ごみの額に嵌れるガラス板蝶の体温ほどの雨降る 小島なお
 「絆創膏」より。三月は引っ越しの季節。粗大ごみの中に額を見かけた。「蝶の体温ほどの」という比喩がいい。額は昆虫標本だったのかも知れない。

「短歌研究」五月号
戦ひと人は呼べども ブランコに春を抱へて丁寧に漕ぐ   石川美南
桃がみな桃色であるはずがない。桃は刻々変異してゐる。   小佐野彈

セシウムを恐れしやうにウイルスに怯ゆる日々よ銀座しづけし  栗木京子クラスターつて果物の房をも言ふらしい熟れたぶだうの汁が飛び散る  黒木美千代                              湖の底から木々が生えているように間隔あけて並んで   東直子     人間を集め処分することはできぬ十三万頭の豚みたいに   前田康子   アメリカの銃砲店の銃売れ尽くすコロナ禍くれば町は荒れむと   森山晴美

 「280歌人新作作品集」より。今年から男女別年齢順が廃止され、五十音順になった。
 一首目、幼い子供を散歩させる作者。ウイルスとの戦いと言われても子供には分からない。ゆっくりブランコを漕いでやる。二首目、桃はウイルスの喩だろう。「刻々変異」に戦慄する。三首目、/  。四首目、セシウムもウイルスも目に見えない。セシウムは病気との因果関係が証明し難いので、恐怖で閉じこもる人はだんだん減っていった。ウイルスに対してはどうなるのだろうか。五首目、ウイルスによる感染の拡がりが、果汁の飛び散る様子でまざまざとイメージされる。六首目、湖に枯れ木が立つ情景に似て、人が離れて並んでいる。孤絶感が伝わる。七首目、以前インフルエンザの流行で感染が疑われる鶏や豚が処分された。それと人間を比べることで恐怖感が浮かんで来る。八首目、日本ではマスクやトイレットペーパーが売り切れて買えないと騒ぎになっているが、銃が売り切れる不気味さとは比べ物にならない。伝聞の歌だが、事実の重さに圧倒される。

2020.6.角川『短歌』