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釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたのか』(中公新書)

 日本語の発音の変遷とそれを表す仮名遣いを時代順に綴った本。本書は新書であり、キャッチ―な帯が付いているが、内容は高度に学問的で、一般人が理解するのはなかなか困難である。しかし、著者は非常に柔軟な発想の持ち主のようで、CMや高校球児の歌う校歌なども時に引用しながら、出来る限り、一般読者にも興味深いものにしようとしてくれている。〈証拠を挙げて本当のことをいう人は、いつの世でも嫌われる(P196)〉など文章の面白さも要所要所で冴える。そのため、分からないながらも、ところどころ爆笑してしまった。
 この種の本を読むと、いつも自分の為に、気になった部分をすぐ調べられるように引用して感想を附しているのだが、(取り合えず、この発音史、仮名史の中での重要人物は藤原定家と本居宣長。この二人はこうして書いておく。)今回は本が付箋だらけになったので引用は断念。図書館で借りた本だったが、諦めて購入し、付箋を貼り直すことにした。 

 究極面白かったところ一か所だけ引用しておく。
小竹(ささ)の葉は深山(みやま)もさやに乱るとも我は妹(いも)思ふ別れ来ぬれば(巻二、一三三)
 これは、分かれた直後、妻を思うあまり全山を揺るがせる笹(ささ)の葉音もうわの空である、という意味であろうが、『日本古典文学大系 萬葉集一』(岩波書店、一九五七年)の頭注者は、「乱るとも」(乱友)を「さやげども」と読んでこの歌がサ音が柔らかく繰り返される美しい響きがあるとする評価を引きつつ、「有坂秀世博士、橋本進吉博士」による音の復元案によって当時の読みを「ツァツァノファファミヤマモツァヤニツァヤゲドモ~」としている。この頭注者は、国語学者大野晋(一九一九~二〇〇八)と思われるが、意図はともかく従来のロマンチックな解釈に冷や水を浴びせたかもしれない。〉(P32~33)
 笑える。よく短歌の評論などで「サ音の柔らかい繰り返し」が言われるが、こうした日本語学の論を読めば、それが錯誤だということが分かる。生兵法は大怪我の元というのはこういうことか。万葉の時代の発音は柔らかくも無いし、ロマンチックでもない。(これも、現代的な感覚に照らして言えば、の話だが。)これに続いてハ行音がp音であったら、天孫降臨の神「アメツヒコヒコホノニニギノミコト」の発音が「アメツピコピコポノニニギノミコト」になってしまう、というエピソードが続く。神様の名前が可愛過ぎる。
 全編こんな感じではなく、ほとんどは学問的な本であることは、繰り返しになるが付け加えておく。

中央公論新書 2023.2. 定価:本体840円+税 


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