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『チメイタンカ』

その薬缶は母の肉体ぐらぐらと煮え続ける湯を抱えておりぬ 井上久美子 「薬缶」という少し古風な漢字遣いに、ある年齢の母が想定される。外からの火を転換して、内面に煮えたぎる湯を抱え込む。母自身の癒され無さが熱量として、子である主体に伝わってくるのだ。

蟻たちは熱き八月の地中へと逆さまの城を築き上げおり 遠藤由季 薄いがらす板に挟まれた「蟻の巣観察キット」みたいなのが小学生の時あった。それをぐるっと上下逆にした映像が頭に浮かんだ。上下逆向きの視点と共に、勤勉な蟻・暑さに疲弊した人間の対比も感じる。

心まで照らせるとしたらこれだろう量産型がもつ神聖さ 高橋小径 大量生産されたように個性の無い人を悪く言う言葉だと思っていたが、その無個性に、心が照らされるような神聖さを感じるというのだ。最後の五音での意外な展開とも思うが、共感するところがある。

裏側の枝落とされて現れた母屋の窓のステンドグラスは 竹内亮 正面から見て木の裏側にあった枝を切り落とすことによって、隠れていた窓が現れた。その窓はステンドグラス仕立てであった。おそらく少しレトロな建物なのだろう。ハッとしたような気持ちが伝わる。

長すぎる補給路に沿い点々と灼けながら棒立ちの向日葵
 いつの日も正しい側に身を置いて啜るエルダーフラワーのお茶
 侮った報いはらはら散る花のようにきれいな終わりは来ない 松野志保
 「縦深陣地」より。おそらくロシアのウクライナ侵攻を素材にした連作。一首一首は端正なのだが、全体で戦争の不毛さや無惨さを浮かび上がらせている。ウクライナだけではなく、全ての戦というものに通じる普遍性を感じた。

キーボード打つ指にぶし〈生きがい〉は英訳できぬことばのひとつ 吉村実紀恵 仕事の場面だろう。書類を英訳している時に、訳せない言葉がいくつかあるのだ。その一つが、意外だが〈生きがい〉。この観念を説明する表現を考えるだけで、キイを打つ手が鈍るのだ。

ショッピングモールの灯り次々と消えて惰性で人を恋う日々 吉村実紀恵 上句は一日の終わりの閉店ではなく、モールそのものが減っていく年月と取った。その日々は下句と重なる。情熱的に人を恋うのではなく、惰性で人を恋う。気怠いが、それも一つの恋う形。

2023.12.22. Twitterより編集再掲

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