『塔』2020年9月号(2)

⑧「私の休日」薔薇なんて嘘がつないだ池と鳥と時計台夏が蒼天ならば(ばらなんてうそがつないだいけととりととけいだいなつがそうてんならば)有櫛由之 この短歌、回文なんだ。びっくりした。普通に(と言っていいのかどうか)情趣溢れてる。作者は年百首の回文短歌を二年間作ったとか!

朝五時に散歩をすれば紫陽花は目の前に来てから現れる 椛沢知世 「目の前に来てから現れる」がすごく上手い。人間の認識のしかたを短歌の形で丁寧に再現している。「現れる」のが朝の紫陽花なのもいい。近くに来てから、はっと気づいた時、人の頭とニアミスしたような錯覚を持つのだ。

籠もり居のテレビに世界の街を知る行つてよい日に行かざりし街 栗栖優子 きっと同じことを思って緊急事態宣言中に家でテレビを見ていた人がたくさんいるだろう。私もそうだ。行けたら行くわ、とか言ってないで、強い意志を持って行ってれば行けたのに…。次に海外旅行できるのはいつ?

鳶の羽くつきり見ゆる薄曇りダム湖に舟を出すひとがゐる 山縣みさを 軽いタッチでスケッチしたような風景が目に浮かぶ。これは実景だろうか?どこか幻想的だ。ダム湖に舟を出す人は釣り人だろうか。結句の言い方が物語の始まりのような余韻がある。

七月のほたるほうたるこはれたるちからに銀河ひらいてゆけり 浅野大輝 上句は「る」音の繰り返しが心地よく、それに下句のラ行の音が呼応している。「こはれたるちから」は蛍の弱々しさだろうか。「銀河ひらいて」は蛍の点滅の繰り返しと思った。頼りない、しかし数多の点滅が浮かぶ。

ミルクティーの渦は我の奥にある思いを引き出してゆく夜な夜な 吉口枝里 三十一音だけど不自然なところで切れる。なので何度も繰り返して読んでみたくなる。すると自分もぐるぐる回る渦を見つめているような気になってくる。結句の「夜な夜な」が投げ出したような言い方で面白い。

墓石のように並んだロッカーの自分で決める暗証番号 田宮智美 喩がとても説得力がある。まるで並んだ墓石の前で、自分の入る墓の番号を決めているかのようだ。「墓石のように」が無ければ全然当たり前の「自分で決める」が、それがあるばかりにひどく不気味なものになっている。

20209.23.~25.Twitter より編集再掲