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『短歌往来』2023年10月号

夏椿これが普通と思ってた咲いても咲いてもただ散るばかり 川本千栄    
 自己宣伝失礼します。特別作品「迷宮」33首が掲載されています。ぜひお読み下さい。

②大谷雅彦「短歌に詠われた植物」
〈『現代短歌全集』(筑摩書房)に収録された三〇〇余の歌集を中心に、斎藤茂吉や与謝野晶子などの全歌集(全集)、その他の歌集をデジタル化して資料とした。歌集総数は約五〇〇、作品数は約二五万四千首。〉
 すごい!!!の一言。
〈二五万四千首のうち、植物を詠んだ歌は、約九万二千首あった。〉
〈特定の植物の比率は六五%で約六〇、〇〇〇首である。植物名としては約九〇〇種類だが(…)〉
 もうこのデータのすごいことすごいこと。圧巻だ。最も多く詠まれた植物は、最も高い比率で植物を詠んでいる歌人は・・・
 最も多く詠まれた植物は・・・私は桜だと思ったが違った。いかに自分が思い込みで考えているか、データで突きつけられると分かる。それぞれの植物名も呼称を含めて細かく分類されている。近代歌人がそれぞれどんな植物を好んで詠んだかも分析されている。時代ごとの特徴も。

③大谷雅彦〈今回の調査に使用した短歌作品群は、個人的に整備してきたもので、便宜上短歌データベースと呼んでいる。このデータベースは二〇〇〇年頃から作成にとりかかり、昨年までに一応の完成を見て、現在精査中である。〉
 これって、もしかして短歌の世界の財産になるようなものではないか。あるいはこうした取り組みが個人から集団になってデータベース化が進めば、短歌の評論にとってかぎりない恩恵に成り得るものだと思った。
 この面白さはぜひ、本論を読んで多くの人に味わってもらいたいと思った。

構想を固めていよよ書かむとし構が早くも揺らぎ始めつ 佐藤通雅 評論のことだろう。テーマを決め、構想を練り、材料を集め…万全の状態で書き始めても、すぐに構想が揺らぎ始める。筆が全然関係無い方向に行ったりして。そっちの方が面白かったりして。

やはり手は羽なり鳥を見つけたら羽ばたきたくて力をこめる 江戸雪 人間の手が羽だとか、鳥の羽が人間の手だとか、全て人間の側のファンタジーに過ぎない。しかし人間はファンタジーに支えられているのかもしれない。鳥を見た時、手に自然と力がこもるのだ。

⑥江戸雪〔秋の愛誦歌〕大男が力まかせに撞く鐘に山中の檪どつと散るなり 永井陽子〈永井陽子のイマジネーションの世界は、この世の憂さを晴らしてくれるユーモアと力に溢れている。読むたびに想像力で乗り切れないことなんてないという気になる。〉憂さ…晴らしたい。

⑦池田はるみ〈良き時間はどの人にもあり、過去となり、きれいに消えてゆく。日々の暮らしを営む者にとってはそれで良いのだ。〉
〔私の愛誦歌〕だったが、歌の鑑賞では無かったので歌は省略。エッセイそのものがとても良かった。とても身にしみるエッセイだった。

誰も誰も違う傷持ち俄雨の打てば誰もが痛いと思う 大塚亜希 誰もが傷を隠し持っている。誰の傷もそれぞれ違う。傷ができた原因も、傷の深さも人によって違う。しかし俄雨に打たれれば痛いのは同じ。誰もが痛いと思うが、誰も自分の傷の痛みしか分からない。

⑨勝又浩「日本語自称詞の問題」
〈文献に「僕」が頻出するようになるのは江戸に入ってからである。(…)その典型、代表が吉田松陰とその仲間たちだった。松陰の全八四八通に及ぶ書簡を追跡、分析してみせたところは、他に類を見ない本書の独壇場と言ってよいであろう。松陰の書簡群には、言うならば時代の子としての「僕」の新しい姿があるのだが、この蘇生した「僕」はそのまま明治近代に受け継がれてゆくことになった。〉
 「本書」とは友田健太郎『自称詞〈僕〉の歴史』(河出新書)のこと。
 ずっと前に何かの資料を探している時に吉田松陰の書簡を読んで、その「僕」の激しさにびっくりした。しかしそのびっくり止まりだったので、今回、この記事を読んでとてもうれしかった。そうだよね、アツいよね、吉田松陰の「僕」!と仲間を見つけた気分だ。

2023.10.16.~18. Twitterより編集再掲

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