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角川『短歌』2024年7月号

章ごとに人の言葉を挿し入るる第一歌集の饒舌を惜しむ 永田紅 同じようなことを思ったことがあり共感した。引用が程よい量だと歌集に奥行きを感じるが、多過ぎると食傷する。他人の言葉で勝負しているような印象を持ってしまうのだ。

川に浮く中洲が遠くへゆかぬよう陽に灼けながら石橋架かる 吉川宏志 そんな訳無いのだがなぜか読むと納得してしまう。どこかへ流れて行ってしまいそうな中洲。中洲を今の場所に引き留めている石橋。少し童話味があるが「陽に灼けながら」の観察眼があり甘くない。

軍は去り滑走路のみ残りたり雨に打たれて揺るる草麦 吉川宏志 世界中のどこかで今もなお「軍は去り○○のみ残りたり」という風景が繰り返し作り出されているのではないか。滑走路だったところに草が生え、その草を雨が打っている。人工と自然の対比も感じる。

なだらかな背の彫り方は彼の好みか つねに死角でありし彼の背 北辻一展 ロダンの彫刻を見ての歌。写実的な彫刻といえど彫り方の好みは違う。観察の上句から彫刻家自身の背に思いが至る下句。誰にとっても背中は死角。彫刻家であれば余計にそれが思われる。

地上にもデルフトの空の青と白 水仙は冴ゆ陶器のごとく 鷺沢朱理 青と白の鮮やかな対比が特徴のデルフト焼き。青空に浮かぶ白雲のように、海と沿岸の水仙に色の対比がある。咲いたばかりの白い花が冷たく硬い陶器を思わせる。陶器のイメージに統べられた一首。

⑥安田純生「うたの場 白珠」
〈今、「歌の歴史」といったけれど、その「歌」の中には、古典和歌や近代短歌だけでなく狂歌をも視野に入れておきたいものと、歌誌編集人としての私は考えている。〉
 まさにそう。狂歌を考えずに近世和歌を考えることはできない。

2024.7.7. 12.  Twitterより編集再掲

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