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角川『短歌』2022年1月号

①「座談会 短歌の継承と変化」副題はー時間とともに見えてくるものー。メンバーは島田修三、米川千嘉子、穂村弘、横山未来子。共感して読める話が多かった。全体的に読んでうんうん、というような。特に結社について、とか。

島田修三〈結社ならではの良さというのは、良い批評を得られる可能性が高いということです。(…)君の歌は説明に過ぎないではないか、予定調和に陥っているいるよ、などと批評される。最初はわからないけれど、やがてわかってくる。〉同意。しかし個人的にはわかるまでに物凄く時間がかかった。

②「座談会」米川千嘉子〈長い年月にわたってお互いを見ているわけですよね。この人はこれまでこういう歌を作ってきた、今はこうかという、その人の路線で話すことができますね。そこはとてもありがたい感じですね。お互いに人生や表現で苦労しているところを見ているからこそ出る深い批評がある。暗中模索のところを、その批評に出会えて半年生きのびられる、ということはあるのじゃないか。〉全面同意。「半年」ってところが具体的で言えてる。まさにそのぐらい。

③「座談会」穂村弘〈でも、短歌共同体にとっての大きな文体の流れとしては、永井さんたちの影響下にある口語のリアリズムが今の主流ですよね。〉前提のように言っているが、「口語のリアリズム」は、描く対象の話なのか、読者が受ける印象の話なのか。その定義が曖昧だと思う。

光よりあかるい地上の黄菊群 空虚(うつろ)な人はひと愛すべし 日高堯子 理屈では、光より明るいものは無いはずだが、歌でこのように言われると納得する。特に黄色は明るい色だ。下句は警句のようだが、上句の明るさと呼応して読む者に前向きな気持ちを抱かせる。

眠らむとしてくらやみをするすると生家の間どりをたどりてゆけり 花山多佳子 眠ろうとして半分ぐらいぼおっとしている。暗闇の中を「するすると」歩いていると生家にいるような気になる。錯覚と言えばそれまでだが、生家の記憶は決して消えず、意識と眠りの境によく現れる。

ダリの時計、ダリアの深紅、この世なる夢はかの世の夢でもあって 松平盟子 初句の音に釣られて二句が出てくる。三句以下も対句的で意味は薄いのだが、全体的に韻律の美しさと意味性の希薄さがいいバランスになっていて、心地良く記憶に残る歌だ。

アルプスの岩塩舐めて脳天にしろいひかりを降らせんとする 小島ゆかり 岩塩、脳天、の「ん」音が響き合う。舐めるという味覚と、白い光という視覚の繋がり。塩があまりにしょっぱいので、ちょっと目元がくらっと来た、という感じか。内容と結句の大袈裟な言い方の落差が面白い。

歯ブラシと命は近きものなれば生き延びた朝に夜に握りをり 川野里子 大袈裟に聞こえるかもしれないが、そうなんですよ。歯ブラシは命に近い。歯を清潔に保つことが全身の健康に繋がる。災害に遭った後も、病気をした後も、人間関係で辛い思いをした後も、人はまず歯を磨く。

何処までも五線譜なりや累々と小鳥の森に墓地がつらなる 波汐國芳 実景だろうか。とても怖い風景。墓地の墓碑を五線譜の音符に見立てていると取った。小鳥の森であった自然豊かな場所に連なる墓地。心象詠だとしても数多くの死に出会った経験が背後にあるのだと思う。

子どもとは籤のやうなとうけうりのことばひとつを妹にいふ 三井ゆき 子供を授かるのは籤に当たるようなものだという意味か。きょうだいでも親の遺伝子を籤のように引いて違う人になるという意味か。親ガチャと同じで親も子を選べない。選べないがどちらも偶然の結果ではない。

鈴かすてら買ってくれたね〈無印〉で 食べきるまへに死んではいけない 久我田鶴子 〈無印〉の鈴かすてらを買ってくれた知人。主体は、それを食べきる前に知人の命が尽きそうな予感に怯えている。可愛い食べ物と、無機質な店名のギャップに、人の命の儚さが響き合う。

 エッセイの「自分だけの珍しい体験」は久我田鶴子のが一番すごいと思った。偶然の一致にびっくりだ。

遍在と偏在 あまねく、かたよって、どちらの愛が尊いだろう 永田紅 日本語の二字熟語は本当に同音異議が多い。これなどは真逆と言えるだろう。愛に結び付けたのは作者の手腕。言葉遊びっぽい一首だが、深遠な心理を突いてもいる。二句三句のひらがなと句読点が伸びやか。

思ってはいけないことを思いたるろうそくがその炎をゆらす 鍋島恵子
人間の考えることのどのぐらいの割合が「思ってはいけないこと」だろう。人によっては思惟のほとんどがそれということもあるだろう。ろうそくが揺れるように思いは揺れているのだ。

いいえ仕事があるだけいいはうですから 配達の女のひとは去つてゆきたり 山下翔 宅配便を運んできた女性に、大変ですね、とか声をかけたのだろう。その返事が上句だ。その反対の状況を主体も簡単に思い浮かべることができるからか、何気ない会話が心に静かに残る。

晴天の奥へますぐに鳥ゆけどくひ入りてわが内に来たりぬ 小原奈実 鳥が真っ直ぐに空の奥へ飛んで行く。そう見えたのにその鳥は自分の内側に食い入るように入って来た。実景と心象が混じり合う。物の動きが真逆になるため、食い入り方の鋭さが強く感じられる。

おはじきの容に見ゆる秋光よ「傷が輝く」という戯言 立花開 秋の光がおはじきの形に見えている。地面に映っていると取った。光は輝いている。それから連想される下句が強い。「傷が輝く」は傷ついたことの無い人の言葉だ。本当に傷ついた者は吐き捨てるように言う、戯言と。

⑰生沼義朗「短歌月評」Ⅱ
〈川本千栄の巻頭作品「火」二十一首は、どの歌も一首そのものが喩に見えながら、そうとは言い切れない何か不思議な手触りを感じる。これは詩性の高さのあらわれでもある。〉『短歌往来』12月号の私の作品を評していただきました。とてもうれしいです。

⑱「新春131人歌人大競詠」は年代順の掲載だった。これも落ち着いて読めていいなと思った。大体近い年代の歌人の歌はやはり似ている。年代順に読んでいくと穏やかに歌が移り変わっている印象を受けて読みやすかった。

2022.2.13.~15.Twitterより編集再掲