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夢も目標もキャリアプランもなかった私が今やりたい事に夢中になっている理由

公認会計士の神田ちづるです。
私は2019年1月に起業し、ベンチャー企業と子どもを支援するNPOを経営・会計面でサポートする仕事を始めました。
それに加えて、働く女性の様々な息苦しさを払拭しイキイキと仕事できるようにとの強い想いから、メンターサービスも立ち上げました。

というと、順風満帆キラキラキャリアみたいに思われることもありますが、
実はすべてが無計画を決め込んだ人生の賜物だったりするので、
まずはそれを綴ってみようと思います。


1.夢も目標もキャリアプランも考えることを放棄した

私は、子どもの頃から夢や目標を持つ気になれなくて
ちょっと、いや、、、かなり可愛げのない子どもでした。

「大きくなったら何になりたいの?」と大人に聞かれた時、
周りの子どもたちは「歌手!」「野球選手!」「ケーキ屋さん!」と元気よく答えるのに、私はじっと黙っていました。
(そんなものになるために、どれだけの努力とお金と時間が要るかわかってるんだろうか)と思いながら。←ホントに可愛げないですね、、、汗

・7歳で人生初の挫折を味わった

なぜそんな子どもだったのかについて、1つだけ思い当たることがあります
それは 人生初の挫折 です。

私の母は、私が物心ついた時には既に入退院を繰り返していました。
周りの大人からは「お前が良い子にしてたら、お母さんの病気は治る」と言われていたので、めちゃくちゃ努力してたんです。
「抱っこして欲しい」とは言わない。苦手なお魚も頑張って食べる。
自分のことは自分でやる。 子どもなりに最大限の努力をしました。

なのに、
私が7歳の時、母は病院から無言の帰宅となりました。
もちろん、私は自分を責めました。私の努力が足りなかったからだ、と。
一方で「あんなに努力したのに」という思いもありました。

私は7歳で、【努力しても叶わないことがある】 という大きな体験をしました。

・8歳で自分の全ての可能性に目を閉じた

母が他界して1年が経ったある日、
私は自分名義の貯金通帳を見つけました。
生前、母が毎月貯金をしてくれていたことは知っていましたし、
お年玉でもらったお金を窓口に持っていくと、通帳の数字が大きくなるのを
ワクワクしながらみていました。

今はどうなっているんだろう。
久々に見つけた通帳を開いてみると、、、
残高は0になっていました。
衝撃でした。
残高が0になっている意味を瞬時に理解したからです。

私は両親にとても愛されて育ちました。
父も母も私の事を第一に考えてくれている、そんな実感がありました。
だから、
私名義の貯金残高が0ということは、それを使わないとどうにもならない程家計が大変なんだ、とすぐに理解しました。

父を助けなければ!
将来、何になりたいか、そんな悠長な事を言っている場合じゃない。
1秒でも早く大人になって働かなければ!

私は、自分が何に向いているか、何が好きか、どういう人生を歩みたいか
それを考える事を意志をもって放棄しました。

2.だけど常にやっていたこと

子どもの小さな狭い視野で考え、決断するとはオソロシイことです。
私は義務教育が中学までと知り、中卒で働こうとしていました。
周りの大人たちに全力で止められて、その理由に納得した私も高校までは行くことに変更しました。

・『自分で考える』ということ

高校でも周りの大人たちに全力で大学進学を勧められましたが、今度は聞き入れることなく、私は高卒で働くことにしました。
勧められる理由に自分の納得感がなかったからです。

私は、幼い頃からの『自分の事は自分で』をずっと続けていました。
母がいないから余計にというのもありますが、それが父の教育方針でもありました。
「自分で考えろ」「好きにやってみたらええねん」常にそう父に言われ、
私は常に自分で考えに考え判断し、大人の意見も鵜呑みにはしませんでした

時々、私の判断に対して「それは間違っている」「それだと失敗する」と断言してくる大人にたじろぐことはありました。
そんな時、父にそのことを伝えると父はこう言いました。
「同じように失敗するとは限らんのにな」
「今日の間違いは明日の正解かもしれんのにな」
そして優しく笑いながら言いました。
「自分で考えろ」「好きにやってみたらええねん」

・『行動してみる』ということ

私は、高卒で働くことを選び、ただただがむしゃらに働きました。
高卒と大卒の生涯賃金に差があるなんて全く知らないので、ご機嫌よく。笑
しかし5年後、私は大学に進学することになります。

生涯賃金の差を知ったからではありません。
大きな仕事を任せてもらい、21歳の分際で事実上の部下を複数人持ち、チームを動かす、という大役に自分の力が全然足りない、と思ったからです。
何が足りないのか、どうやって埋めればいいのか自分で考えました。
この時、私が出した答えは、「知識が足りなさ過ぎて解決策が全くわからない。だから大学に行ってみよう」でした。

大学では、経済学と商学を学びました。友人に誘われて、情報管理を専攻したので、プログラミングの基礎も学びました。
そして、私にとってのターニングポイント
それは、公認会計士という資格を知ったことです。

私は、父が脱サラして小さな町工場を経営していたことで、会社の在り方
にとても興味がありました。
公認会計士になれば、数多の会社の経営に触れられる!
ケーススタディから、会社はどうあるべきかの解が見つけられる!
ぅおおおおおお~、これだ!  
思い立ったら即、行動。
私は、国家試験を受けることにしました。ただし働きながら。
18歳から続けている父への仕送りを止める訳にはいかなかったので。苦笑

3.点が線で繋がっていく。そして時がきた

今思えば、働きながら公認会計士試験の受験なんて、無謀すぎます。
この試験は、成績上位者を合格とする相対評価。そして受験生は、1日10時間以上×365日を受験勉強に費やしているようなツワモノが大半です。
案の定、気が遠くなるほどの年数がかかりましたが、合格はできました。

・点が線で繋がっていく。そんな都合よくいくわけないと思っていた日々

公認会計士として働くようになると、当初想像した通り、数多の会社の経営に触れることができました。
ですが、会社はどうあるべきかの解には全く辿り着きませんでした。
むしろ、会社を取り巻く経済構造や様々な仕組み、ルールにまで疑問が増え
殆どが解消できず、自分のアタマの中の『疑問Box』に溜まる一方でした。

無数の点は、やがて繋がって線になる。
よく聞く言葉です。
クリエイティブな仕事をしている方々などから「一見、無関係なアイディアでも、いずれは繋がったりする」なんて聞くと、スゴイなーと思っていました。

私は、、、
疑問が出ては、考え、調べ、分析し、提案し、自ら試し、を繰り返しても
また新たな疑問が発生し『疑問Box』に無数の点が溜まったままでした。

・The time has come!~その時がきた!~ってあるんだ

どんな疑問が発生し、具体的にどう行動したのかは、別の機会に綴るとして
ある時、点と点が急に一気に繋がり始めました。
そして、やりたい事として、その輪郭が見えたというより、目の前に浮かび上がってきた感覚になりました。

     これからの世の中に必要な良い会社を輩出する

自分の中にミッションがうまれました。
ぅおおおおおお~、これか?  
若干の迷いはあったものの、思い立ったら即、行動。
私は、ベンチャー企業と子どもを支援するNPOと働く女性をサポートすることをビジョンとして仕事をすることにしました。

★まとめ

夢をもて 目標をもて
よく言われることですが、どちらもなくてもご機嫌よく生きていくことはできると私は思っています。
目の前のコトに対して自分で考える、そして行動してみる、というのを実践していれば。
だけど、それを実践するのは、意外としんどいことかもしれません。
それを実践し続けるというのは、もっとしんどいことかもしれません。

としても、夢や目標を探してウロウロするより、
今の自分と対峙することが、
いや、もしかするとそれが唯一
自分の道を切り拓く術 ではないかとも実感しています。

冒頭で【努力しても叶わないことがある】という経験をお伝えしました。
ですが、【努力は報われる】というのも感じています。
自分の『願い』としては叶わなくても、
夢や目標がその時点でなくても、
自分の人生のいつかどこかで効いてくる
絶えず自分で考え、行動していれば。

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