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今だからこそ、『空をゆく巨人』を仰ぎ見る

現代美術のスーパースター・蔡國強を追うノンフィクションを読んだのは、昨年の秋。今、改めてこの本を思い出した。

私が現代美術に興味をもって見始めたのは、残念ながら遅い。夫の専攻が美学の現代美術だったから、連れ立って見に行くようになった。だからまだ20年もたっていない。育児で中断もした。

ただ行くと、見るというよりも身体で感じるのだと知ることができた。楽しかった。機会があれば行くようにして、毎回新しい感覚が自分の中に開いていくように思えた。

ただ今年はしばらく美術館に行けず、再開したときには飢えた者がむさぼるように向かった(現代美術に限らずだが)。今はすばらしい現代美術展がいくつも開かれている。たまたまこのnoteにも書いたように「バンクシー展」「ピーター・ドイグ」「オラファー・エリアソン」などなど。ほかにも多いし、これからも開かれる。

この本は蔡國強という一人の現代美術家とともに歩んだ仲間を書きながら、現代美術の考え方や軌跡を描いている。読むと現代美術の一面を体験するようなわくわく感があるのだ。それがよみがえった。

以前から蔡國強は知っていた。

2008年の北京オリンピックの「ビッグ・フット」は有名だ。開会式で空中に大きな足跡が歩くように浮かび上がった。息をのんだ。この画像を見ると、思い出す人が多いだろう。(photo by Hiro Ihara)

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その彼がいわきに住んでいて、そこの人々とともに大きな足跡を残したことは知らなかった。

その経緯や、彼の足跡が詳しく記されている。彼だけではなく、支えた人々がいかに自由に楽しんでいたかを。

作者の川内有緒さんはnoteで、「空をゆく巨人」を公開している。

全文公開は終わっているが、途中までは読める。

本文は360ページ、結構読みでがあるが、途中からぐいぐい読まされる。

驚きの連続だ。日本に来た経緯、「たまたま」会ったいわきの志賀忠重との結びつき。ギャラリーでもやらないか、と誘われて蔡國強の個展を開くがこれが彼の初の個展である。しかも絵を買った志賀は「どうして」と問われて「だって頼まれたから」という。

しかしその結びつきはずっと続く。構えなず、見栄を張らず、格好つけず、自然体で、おもしろがる。

志賀は蔡國強がどんなに有名になっても変わらないし、蔡國強も彼らを大切にし続けている。

おもしろいエピソードはありすぎるほどある。

そのなかで印象に残ったひとつ。

いわきの仲間は志賀忠重を筆頭として、蔡國強のために力を惜しまず協力をした。作品・リフレクションという廃船を組み立てるときには手弁当でアメリカまで行き、滞在して解体された廃船を組み立てた。

その次、カナダでの展覧会の時も同じように頼まれた。しかしいわきの彼らにとって、これは仕事ではない。滞在費は自腹で、しかもその間は仕事ができないのだ。だから今回は難しいと断られる。「ではそのうちの二人だけでも来てもらえないか」と蔡國強が頼むと、「二人ではできねえ。誰が欠けてもチームとしてうまく機能しない」と志賀はいうのだ。

すると蔡は美術館側に交渉して、11人全員をに来てもらえるようにしたという。「彼らも作品の一部です」と説明したというのだ。作業員ではなく、参加型アートとして認めてもらい、航空券・滞在費用に加えて日当も出してもらえたという。

これはうまくやった、のではない。現代美術として確かにあるべき姿だ。作業ではなく、アートだから作品の一部なのだ。組み立てられていく過程も作品だからだ。


しして、その後の東日本大震災。

蔡國強はずっと連絡をし続け、翌年来日する(彼は1995年からニューヨークが本拠地となっていた)。

様々な経緯の末、いわき市に美術館を作ろうということになり、彼が費用を出す。それがいわき回廊美術館だ。

いわき回廊美術館は、完成しない美術館だ。桜を9万9000本植えていくという万本桜プロジェクトでもある。龍のような回廊はどんどん伸びていく。

いつか行きたいけれど、今年は行けない。でも今年も桜は咲いただろう。来年もそこには桜が植えられるだろう。

いつか桜を植えに行きたい。満開の桜を仰ぎ見たい。

そして、会えなくても信頼で結ばれている仲間を仰ぎ見る。






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