競争・序列化の悪影響を受けているのは他ならぬ私自身だった話
先週全4回分が公開された、講談社コクリコでの連載記事。
大まかな内容は前記事にも書いたが、テーマは「子どもへの接し方」。
その前提として、第1回では「大人の勘違いが子どものやる気を奪っている」ということを説明した。その中で特に印象的だったのが、テストなどによる「序列化」に関する内容だった。
この数年、教育系の記事を書いてきて「競争ってあんまり意味ないよな」と思ってはいた。だけど今回の取材で、意味がないどころか悪影響のほうが大きいんだ! と目からウロコが落ちた。
そしてこれ、自分自身を振り返ると、思い当たるフシがありすぎるのだ。子どもではない、私の、しかもごく最近……というか今現在のはなし。
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フリーランスのライターとなり3年。ありがたいことに、いろいろなご縁で仕事を紹介していただき、ゼロから始めたにしては順調に執筆する機会を得てきた。
でも、定期的に猛烈に落ち込むことがある。何がきっかけかはわからないが、こんなかんじになる。
「私の書く文章なんて、ライター歴の長い人に比べたら読むに値しないのではないか」
「ライター歴がそれほど長くなくても、たくさんのメディアに、しかも自分の追いかけたいテーマで書いている人がいる。それに比べて、私はなんて成長のスピードが遅いのだろう」
お気づきだろうか。上記に共通しているのは、いつも他人と比較して自分のことを卑下している、という点だ。
気分が回復してくると、あんまり建設的じゃなかったなと少し冷静になる。けれど、数ヶ月経つとまた同じようなことが起きる。これを繰り返しているのだ。
何度目かの落ち込みのとき、なぜ私はいつもこんなに誰かと比較してしまうんだろう、と考えてみたのだが、よくわからない。私は別に、やたらと比べてくる親に育てられたわけでもない。むしろ正反対の自由な環境にいたと思う。
だとすれば、家庭環境ではなく、外から受けた「刷り込み」なのではないかと思うのだ。だって、家庭で比べられなかったとしても、学校では常にテストや成績で他人と比較し、何位くらいなのか、偏差値はどうなのか……という尺度を当てはめられる中で生きてきたのだから。
それを知らないうちに、自分の中に取り込んでしまっているんだと思う。そして、かなりいい大人になった今も、その序列意識に苦しめられている。
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記事の中でも少し触れたのだが、こうした比較や序列化の悪影響から、中学生までテストは法律で禁止している国がある。デンマークだ。
最初にこれを教えてもらったとき、ものすごく興奮した。
なんだ、世界では「競争の弊害」をきちんと認め、それを教育政策にまで落とし込んでいる国もあるんだ! そう思って希望が湧いてきたのだ。
日本では、(特に学校教育の現場では)「競争で失われるものもある」といった発言をすると、「いやいや、競争がなければやる気は出ないに決まっている」とか「社会は競争の連続なのだから、幼いうちから経験させるべき」という意見がまだまだ多いように思う。
だけど、中学生までテストをせず、「子ども同士の序列化はよくないことだ」と捉えているデンマークが、日本よりも問題山積な状態にあるかというと、むしろその逆のように見える。何でもランキングで語るのは気が引けるが、幸福度ランキングは常に上位だし、民主主義も根付いていて自分たちの課題を自分たちで解決する風土がある、とも聞く。
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「序列化して劣等感を植え付けるよりも、自分のペースで納得いくまで取り組むこと」。これが大切だし、その先には自分も他人も認め合える世界が広がっているのだと思う。
インタビューした炭谷さんは、以下のように話してくれた。
日本社会からすぐに競争や序列化がなくなることは期待できないけれど、まずは私自身が変わろうと思う。次に「他人と比較して劇的に落ち込んでしまう癖」がやってきたら、大波が去るのを待ったあと、自分に言い聞かせよう。私は私なりに着実にできることをやっているではないか、自分のペースで大丈夫だよ、と。そして、何度も何度も繰り返し自分を励まそう。
序列化に苦しめられていることに意識的でいれば、そこから自由になれる日もきっとやってくると思う。もちろん、子どもについても誰かと比較することなく、その子自身の持っているものを大切にしていきたいと思っている。
▼ 連載記事(第1回)はこちらです。
大人がかわらなければ……という話題は第3回や第4回にも出てきます。
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