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生きにくさと「この国のかたち」

今年は自分noteアカウントに月に2〜3本記事を書こう! 2月にそう決意したものの、3月〜5月は結局1本も書かないまま終わってしまった……。

書き始めるとどうしても、「読みやすい、伝わる内容にしたい」という気持ちが湧き上がってきて、結局時間がかかってしまう。でもそれだと続かない。そんなジレンマを抱えてきた。だけどもう、気負わずに書いていこう、と今年何回目かの決意(笑)


ちょっとした言葉が気になってしまうことがよくある。テレビやラジオから流れてくるもの、仕事で読んでいる資料、何とはなし目に入ってきたスマホのニュース。心に大きく響くものもあれば、考え込んでしまうもの、違和感ばかりが大きくなるもの……など、いろいろだ。

これまでは自分の中に留めたり、もしくはその時隣にいる人にシェアしたりする程度だったけど、ここに書くことを通して、もう少し掘り下げて考えてみたいと思う。

どんなところが気になった? 共感ポイントはどこなんだろう? なんでこんなに怒りが湧いてくるのだろう。そうやって考えながら、自分や社会の「現在地」、そして「進んでいきたい未来」を確認していきたい。


ということで、まず手始めは、「暮しの手帖」にあった、「『難民問題』とこの国のかたち」の中から。

ウィシュマ・サンダマリさんのことをきっかけに、広く認識されはじめた日本の難民認定問題。だいぶ遅ればせながら、私もその異常さ、問題の根深さなどを理解し始めた。そんなときに出合ったこの特集記事。

母国で命の危険を感じて日本に逃げてきた。だけど、難民認定を待つ間にビザがきれてしまった……。そんな方々の現実の暮らしが、専門家や支援者の解説とともに丁寧に紹介されている。

記事の最後に、移民や難民問題を専門にしている研究者・高谷さんの語ったことが、とても印象的だった。

人がいて社会がある。人々のために制度がある。本来そうであるにもかかわらず、この国では順序が逆転しがちです。

そして、その「典型的な例」として、こんなふうに続けたのだ。

「岸田文雄首相が『同性婚という制度を認めたら社会が変わってしまう』と言いましたね。社会には実際に同棲のパートナーシップがあり、そうして生活している人がたくさんいる。人々の意識も変わってきている。それなのに現行の制度を維持し、社会の変化を押しとどめようとしている。そんなことでは、社会は生きづらいものになってしまいます。

「難民問題」とこの国のかたち
東京大学准教授 髙谷 幸
『暮しの手帖』 第5世紀24号

ああ、やっぱり。
突然別の社会問題が出てきたにもかかわらず、ものすごい納得感があった。

日本が難民を全然受け入れない(認定しない)こと、同性婚を許容しないこと、選択的夫婦別姓がいつまでたっても認められないこと。全然別の問題のようで、根っこの部分は全部つながっていたのだ。

日本では、制度に当てはまる一定の形、いわゆる「普通」や「当たり前」といわれる選択や生き方だけが推奨される。そして、それを望まない人にも一方的に押しつけてくる。挙句に、その中に入ることを拒否したり、疑問を呈したりすると、社会から疎外され、時には異常に叩かれる。

だから、うまく生きていくためには、無理やり制度の形に自分を合わせなるしかない。そりゃ生きにくいわけだ……。

本当はみんな思っているはず。制度って人のためにあるんでしょ? 現実に合わせて変化するものでしょ って。だけど、なぜかいつまでたっても、制度が人の変化を踏まえて変えられることはない。

結局今の日本では、制度が私たちの「生きにくさ」を生み出しているのではないか。そんな気さえする。

私自身、もうずーーーっと前から、「世間というのはこういうものだ」「当たり前にオマエが合わせろ」という無言の圧力に対して、かなり違和感と憤りを感じてきた。

自分なりにできることを探していた時期もあったけど、だんだん諦めに近い気持ちが湧いてきて、この10年くらいは何だかんだ日々の生活に埋もれて、疑問に思いながらも「制度の押しつけ」を許容してきてしまったのかもしれない。

本当は夫婦別姓にしたかったけれど、結局普通に婚姻届を出したし、子どもが2人いるけれど、当時育休を取ったのは私だけで(当時は会社員だったので育休を取得できた)、そんなもんか……と強く疑問を呈したりはしなかった。

だけどやっぱり、問題について知ること、考え続けることをやめてはダメだな、細々とでも自分にできることを続けていかなきゃな、と改めて思う。

絶望的な気持ちになることもあるけれど、同時にこういう疑問や違和感を、言葉にして発信していける時代になったことに心強さも感じる。

それこそ10年前は、こういうこと言ったら「変わった人」というレッテルを貼られそうで、場所によっては自分の考えをひた隠しにしていたのだから。

変化を望む声や動きは、確実に大きくなっている。だから私も、ここで諦めてはいけないよね、と自分を励ましながら、小さくてもできることを積み重ねていこうと思う。

全く異なるように見える問題でも、突き詰めたらその原因は同じところにあるんだと、再確認させてもらった記事だった。もちろん、難民認定の問題への理解にもとっても役に立つと思う。

是非、いろいろな人に読んでもらいたい。


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