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思いやりなんて幻

子供の頃から、いつか結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を築くのが人生だと思っていた。

もちろん、そういう幸せを否定するつもりもないけれど、そうなれないからと言って、別に不幸せというわけでも決してないのだと、自分が結婚するタイミングが近付いてきてようやく実感した。

大学の頃、友人が私は別居婚で週に1度会えたら満足、という友達がいた。当時の私は「えぇなんで!?結婚する意味なくない?」と反論したものだったが、今なら彼女の気持ちも少し分かる気がする。

その友達以外にも、誰かと一緒に暮らすのは無理、という子もいるし、私もステイホーム期間中に(これは一緒にい過ぎると嫌いになるな……)と思ったばかりだ。

それでも根っからの寂しがり屋でもある私は、1人の生活はきっと耐えられない。だから、今彼氏が一緒にいてくれていることには本当に感謝をしていて、これからも一緒にいたいと思うから結婚もしたいと思っていた。

でも、子供を産む、ということに関してはずっと否定的な自分がいる。肯定的な自分もいるけど、同じくらいかそれ以上に不安とプレッシャーで押し潰されそうな自分がいる。

同い年や若い人が子供を産んでいる姿を見ると尊敬してしまう。覚悟決めたんだなぁ、って。自分はまだ覚悟を決めきれない子供だなぁ、って。

昔は恋愛ものの話を読んでいる時、例えばデート中……

(子供かぁ……○○くんとの子供はきっと可愛いんだろうなぁ)

という思考から結婚などの未来を想像シーンがあるが、別に子供いなくてもいいよな、と最近は思うようになってしまった。

いや、物語の主人公がどう思うかは、そのキャラクターによるので、別に万人に合わせた価値観を持ち合わせる必要もないのだけれど。

少なくとも私の価値観は少しずつ変わってきている気がする。だから今あるのは、私は大学時代の友人をとても傷つけてしまったのではないか、と後悔だ。

あの時は理解ができなかった。似たような思いは持つことになったけど、結局私は彼女の本当の気持ちを知ることなんてできない。

相手の立場に立って、思いやりのある行動をしましょう。と小学生の頃、よくクラスのスローガンに掲げられていた。

あんなもの幻だ。相手の立場になんて一生立つことはできない。思いやったフリをした自己満足だ。何を言ったところで人は傷つく時は傷つく。それは逆もあるかもしれないけれど。言葉は凶器だ。

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