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モラ録。22〜DV面談〜

私はDV相談窓口の電話で紹介された
近隣の男女共同参画センターへ向かいました。 

そこは来訪者に配慮されたセキュリティに
なっており、施錠されたドアのインターホンを
押す際には周囲の人に名前を聞かれないよう、
名乗らなくて大丈夫ですと言われていました。

中に入ると優しい雰囲気の部屋へ案内され、
ソファの好きなところに座って下さいと言われました。私の場合は2人の相談員の方が担当して
下さいました。


私は始め、藁にもすがる思いで自分はこれから
どうしたらいいのか、離婚すべきなのか、我慢すべきなのか、明確な答えを教えて欲しいと思っていました。
しかし、相談員の方々は決して〝こうするのがいいですよ〟とは言いませんでした。

それを決めるのは私だからです。


けれど、
私の話に共感し、味方になり、
これからどうしたいのか、そのためには何を準備すればいいか、一緒に考え、作戦を立ててくださいました。

その中で、
これまでモラ夫の恐怖の支配によって、DVの事を誰にも話す事が出来なかったとお話しした際に、
1人の相談員の方が

「保育園に言っちゃえ!」


と言ってくれました。

私「言っちゃって大丈夫ですかね…プライベートな事だし、ご迷惑なだけなんじゃ…」


「言っちゃっていいと思います!」


私はこの言葉でとても救われました。

話しても…いいんだ、話してみよう、
周りの人達に頼ってみよう、助けてもらおう!


モラ夫の
〝家の事を外部に決して話してはいけない〟
という呪縛から解き放たれた瞬間でした。



そして暫くモラ夫と離れて心を落ち着かせる事にしました。
私はもし一度離れたらもう戻ることは
出来ないだろうと思い込んでいたのですが、

相談員の方々が

「今すぐに結論を出さなくてもいいんですよ。
お試しで少し離れてみて、
また戻ってもいいし、戻らなくてもいい。
何度か繰り返して決めてもいいんですよ」

と言ってくれました。

私はこの言葉で
何度もは現実的にも精神的にも厳しいけど、
一度くらい離れてみるのはいいのかも知れないと
思う事ができました。



そして1度目の面談が終わった数日後、
保育園にDVの事を打ち明けました。

先生方は

「安心して下さい、私達はお母さんの味方です」

と言ってくださいました。


そして実家帰省を機に、
2週間ほど保育園をお休みしたい旨を伝えました。

保育園は安全を考慮し、
モラ夫にはその事がバレないようにしますと
言ってくれました。



2度目のDV面談で
保育園での出来事を話すと、

相談員の方々が涙を流して

「良かったですね!」

と言ってくれました。

たった2回しか会っていない私の事で
涙を流して喜んでくれる人がいるなんて…。
とても嬉しかったです。


そしてモラ夫と離れた時、
モラ夫がどう反応するかみんなで考え、
対策を練り、その日の面談を終えました。


面談の頻度としては月1、2回程度で
私の場合は全部で5回行いました。

1回目は話を聞いてもらう
2回目以降は報告と相談、今後の作戦をたてる

といったかんじでした。



同時に同じ施設で行われていたDVのトラウマケアの講座にも参加しました。
毎月違うテーマで講師の方がお話ししてくれる
もので、全部で12回ある講座全てに参加する必要はなく、遅刻も退室も途中で席を移動するのもOKな自由度の高い講座でした。

〝ひとりずつ経験を語り合う〟というのが苦手だった私には聴くだけのこの講座はとてもしっくりくるものでした。

その中で、

DVとは何か、

モラ夫とはどんな人物なのか、

DVを受けていた時自分はどんな状態だったのか、

DVが子供へ与える影響、

トラウマを回復させるための様々な方法、

などを知る事ができました。

特に
モラ夫の機嫌をとるのは本人の責任で私の役目ではない事や、相手を選んでするDVは病気が原因ではない事を知れた事がとても心を軽くしてくれました。

また、自分と同じ境遇の人が沢山いると知れた事もとても励みになりました。


DV関連の本も沢山読み、
DVのメカニズムを知る事で、
今まで私がモラ夫からされてきた事は
正常ではなかったんだと認識し、
〝私のせいだ、私が悪いんだ〟
と思わされていたモラ夫のクソみたいな呪いから少しずつ決別する事ができました。


私はモラ夫に◯日から実家に帰省したい旨を
伝え、了承を得ました。
(まだモラ夫が下手に出てくれていたので、
簡単に了承を得る事ができました)

その際、何泊するのかなどは聞かれなかったので、私はその辺りを濁したまま過ごしました。

もし聞かれたら嘘をつかなければいけなくなるので、少し心配でしたが、モラ夫が私の帰省について聞いてくる事は一切無く、もちろん両親によろしくなどの挨拶もありませんでした。


そして当日、
暫く戻らない旨の手紙を義母に直接渡し、
その場にいなかったモラ夫には置き手紙を残しました。

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