17: 過去は「今ここ」で変えられるー詐欺的タイトルか?
普通は「過去に起こってしまった出来事を変える」ことは、出来ないと思われているのではないでしょうか?
その為、SF映画などでは「タイムマシン」や「タイムトラベラー」等が出てきて活躍することになります。
そんな物語では、過去の出来事が原因で起きた「現在の問題を」解決するために、「過去へ戻り、原因となった出来事を変更」する事になります。
でも、これは作り話だから可能であって、実際には不可能だと思っているのではないでしょうか?
確かに「過去に起きてしまった事実」そのものを、今から変えることは不可能だと思えます。
でも、自分は「過去を変えることが出きる」と思うようになりました。
それは、起きてしまった事実に対して抱いている「解釈を変える」ことです。
過去に起きた出来事には、その当時知覚した解釈があります。
それが、現時点でも同じである必要は無い訳です。
こんな言い方だと具体的では無いので分かりにくいと思いますので、一つだけ例を話してみます。
過去の自分の体験です。
例としてはあまりぱっとしないのですが、千代能が書いているのでこんなもんでしょ💦
【過去の事実 ー 千代能の失敗例】
自分が大学生の頃の話です。
その頃は、「徒歩+電車+自転車」を使い片道2時間30分かけて大学に通っていました。
使っていた電車は、地方のローカル線なので1時間に1本しかありません。
大学から駅まで自転車で30分を走り、電車で帰ります。
その日は、部活が遅くなり急いで駅に向かったのですが、駅の近くのわき道からタクシーが急に出てきたのです。
急ブレーキをかけましたが間に合わず、目の前に現れたタクシーの横に自転車がぶつかりました。
自転車が止まり、自分の顔面がタクシーの窓の上にぶつかりました。
一瞬の出来事です、もう電車に乗り遅れるどころでは有りませんでした。
幸いというか、自分の怪我は前歯の上側が何本か折れ、下の歯は全体的に斜めに歪み歯だけで済みました。
歯医者に行き、大分遅くなってから家に着きました。
自分は、その事故によって、前歯を何本か無くしその時の歯科治療の問題から、その後きちんと歯を食いしばれなくなりました。
自分にとっては、まだ大学生の時に取り返しのつかない失敗をしてしまったという記憶が強く残ってしまいました。
【過去を変える ー 過去の失敗の解釈を変える】
その出来事は、自分にとって「無くしてしまいたい過去」だったのですが、ある時、ある気づきがありました。
それは、その出来事によって「どんなに忙しい状態でも危険なほど急がない」と言う自分ルールが出来たのです。
最悪、間に合わなくたって事故を起こすよりはいい。
間に合わないのなら、事前に連絡すればいいだけです。
実は、このお陰で何度も「もっと危険な状態」にならずに済みました。
歯を食いしばれないことから、歯を食いしばらない習慣も身についてしまいました。
また、その時、タクシーの運転手から騙される経験もしています。
まだ、社会に出る前に信用してはいけない人間がいるということをはっきり自覚した体験でもありました。
後から思うと、その事故は、今の自分にとって大切な体験を沢山得られた貴重なものとなったので。
詐欺的タイトルに対する言い訳💦
ここで言いたかったのは、「事実が変わること」と「解釈が変わること」の本質的な違いはないのでは無いか?と言うことになります。
現実とは何か?
と言う「問い」にも繋がります。
「マトリックス」と言う映画の中で、「マトリックスに繋がれた人間の現実」はコンピュータによって作られた「仮想現実」ですが、その住民達には「現実」そのものです。
自分たちが、外界を認識するためには、五感を通して行われます。
そして、最終的には「思考」で最終認識されます。
ただ、この「思考」がどこまで信用していいのかわからないのです。
あまりにも簡単に、エラー情報(思い込み、偏見)を拾ってしまい、現実を知らないうちに誤認識してしまうのですから。
はっきり言って自分にはよくわかりません。
バークリの哲学書に「ハイラスとフィロナスの三つの対話」があります。
この本を読むと、五感で認識できたからと言って、「認識された現実が本当に存在するか?」確信が持てなくなってしまいます。
ただ、言えるのは「自分にとっての真実」は、「自分の主観」が一番大事なのではないか?ということになります。
以前の記事
の中で出てきた「色眼鏡」の話と、基本的な考えは同じです。
出来事に対する自分の解釈は、その出来事を解釈する「ルール」次第なのですから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?