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「ミルク飲むかい?」"育休パパ"になった「毎日飲み会」"営業マン"

「私は、半年間の育児休業を取得させていただきます」

 時間にして1年以上、角度にして360°以上こねくり回した決意表明の言葉は、最大限無駄を省いたシンプルなものになった。

 僕は限りなくブラックに近い、グレーで大きめな企業に勤める営業マンだ。誰もが知っているような企業でありながら、令和という元号から二つほど遅れを取っている。旧態依然という言葉がよく似合う組織だ。

 200人ほどいる部署のメンバーは、そのほとんどが男性。営業という特性上、残業や飲み会が多く、バチバチの縦社会で、それに嫌気がさした若手社員の離職も相次いでいた。
 男性の育休取得が推進されている環境とは、口が裂けてもいえなかった。

 1年前、先輩社員が数か月間の育児休業を取得することになり、フロアがざわついた。僕は陰ながら、その先輩に感謝し、応援していた。

先駆者がいれば、
自分も育休を取得しやすくなるから──


 しかし先輩は育休がスタートして2週間ほどで出社して、パソコンに向かっていた。
 不思議に思った僕は、聞いた。

あれ?先輩どうしたんですか?育休じゃ?

うん、もう終わった。いろいろあってね。

 いろいろという言葉は非常に便利だ。それ以上は聞けなかった。
 僕の思い描いていた先駆者は、育休の予定を切り上げ、2週間で復帰する先輩の姿とはかけ離れていた。


「妻がどうしても育休を取ってほしいというので」
なんか違う、他人事だ。

「会社の男性育休取得率向上に貢献しようと思いまして」
なんか違う、ただのイヤミだ。

「友人はみんな育休を取っているので」
なんか違う、これは嘘だ。


 こんな具合に言葉遊びを繰り返し、冒頭の言葉にたどり着いた。
 想いは真っすぐ、シンプルに伝えるのがいい。

人間は選択し決意した瞬間に飛躍する
──キルケゴール


 育休取得を心の中で決めた僕には、先駆者も、応援してくれる人もいなかった。

 育休を最初に伝えた上司から、その上の上司に話は波及し、その後一気に部署全体に話が伝わった。

半年なんて長すぎ。どうせすぐに暇になるよ。
わかった、半年も休んで転職活動するんでしょ?
俺の時代は育休なんてなくてよかった。
育児に専念なんて俺には無理。すごいね。
俺は娘の顔を初めて見たのが、産まれて2か月後だったよ。
男が育児で役に立てることはない!
奥さん怖いんだ?
奥さん里帰りしないの?実家と仲悪いんだ?

 心無い、おそらく悪意のないお言葉をたくさんいただいた。たくさんいただきすぎて、返答のレパートリーを失った僕は、何を言われても「そっすね!」としか反応できなくなった。

 うん、悪くない。
 ライト兄弟にでもなった気分だ。

 育休取得は自分で選んで決めたこと。
その選択には自信と責任を持っている。
何を言われようと、僕はこれから空を飛ぶんだ。


 小学校から大学まで学校を休んだことがなかった。部活も英会話も休んだことがない。体は丈夫なほうだけど、体調がすぐれない日はもちろんあった。それでも休まなかった。
 一日でも休むと、周りに置いてかれてしまうのではないか、忘れられてしまうのではないかと不安になる。ずっと自分に自信がなかったから。

 半年間の育休取得。
人生の中で一番大きな決断だったと思う。
それでも、結論を出すのに悩むことはなかった。

──出産後の妻の心と体は?
「全治3か月ケガと同じ」だという。全治3か月のケガをしたことがないから正直分からない。でも僕が育休を取らなかったら、全治3か月の妻は昼間はずっと息子と二人きりになるの?

──息子と向き合う時間は?
「毎日飲み会」していたら、平日は息子が寝ているときにしか家にいられない。休日もひっきりなしに取引先から電話が来る。
おむつ替え、お風呂、ミルクはうまくできる?
あれ、妻はいつ寝るの?

──働きながら育児できる?
育児雑誌に先輩パパのスケジュールが載っていた!これは参考になるぞ!
【〇〇さん家族 パパは育休取得せず】
〜パパのスケジュール〜
8時 家を出発
9時〜18時 仕事
19時 帰宅
19時〜〇〇ちゃんお風呂
20時 夕食、皿洗い
21時〜24時 仮眠
0時〜7時 ママと交代!ワンオペ
「ふむふむ、〇〇さん3時間しか寝てなくない!?写真の顔笑ってないよね!?」

 出産と育児を知れば知るほど、育休を取得しない理由がなくなっていき、取得する理由だけが増えていった。
 理由はいくつもあったが、全ての根底にあるのは「自分のため」だった。妻が辛くなるのは自分もしんどいし、短い睡眠時間で仕事と育児と家事をやるのはしんどいし、息子と多くの時間を共有できないのはしんどいし...。

しんどい思いはしたくない!
育休取得するぞ!自分のためだ!

 お腹がどんどん大きくなっても僕の体を気遣ってくれる妻と、そのお腹の中でボコボコと暴れ回っていた息子が、自信と勇気を与えてくれた。


 息子が産まれた日は雲一つない快晴で、立ち合いの瞬間を待っていた僕は、近くのマクドナルドでコーヒーを4杯飲んでいた。カフェインと緊張で何度もトイレに行っては、コーヒーでのどを潤す、を繰り返していた。


 快晴のもと、汗だくになりながら産院へ向かい、分娩室に入った。妻の背中をさすって、うちわであおぐことしかできなかったのに、息子を最初に見たのは僕だった。妻に申し訳ないと思いながら、天使のような息子を見て、笑いながら泣いてしまった。


この先何十年働くんだろう?
たったの半年間。
振り返ったらきっとなんてことないよ。

会社の人に忘れられたっていいじゃない。
家族が元気でいてくれれば。



 育休を取得して2か月が経った。毎日があっという間だ。妻は幸い全治3ヶ月にはならず、家族三人でお散歩することができている。


毎日3分だけ仕事してないことが不安になる。

不安にはなるけど、妻と息子が笑って吹き飛ばしてくれる。

この道を選んでよかったと、心の底から思う。

 心の底から思う。
男性も育休を取った方が絶対いいと思う。
でもそれは、僕が「取った側」だから。
「取らなかった・取れなかった側」の本当の気持ちは分からない。
 僕はこの職場では、長期育休を取得した先駆者になった。これから悩める後輩たちが、僕に相談をしてくるかもしれない。

 その時には、決して価値観を押し付けないようにしたい。それでは上司と一緒になってしまう。
 先駆者の僕にできることは「選択肢を広げてあげること」だと思う。

 飲み会に行かなくなって、インフレ気味だった肝臓の数値が落ち着いた。体調がいい。
生後2か月の息子は、もちろんまだ話せない。
そんな息子に、僕は毎日笑顔で問いかけている。


「ミルク飲むかい?」



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