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35.映画『聲の形』でアップデートされた価値観

映画『聲の形』…何気なく観始めた作品でしたが、途中からメモが止まりませんでした。
いじめの渦、子どもたちの本音、その後の姿…などなど、リアルかつ丁寧なストーリー展開と心理描写に、目が離せませんでした。

そんな作品を観て、私の中では大きく二つの価値観がアップデートされました。
※以下、ネタバレを含みます。

小学校で、耳の聞こえない少女をいじめてしまった少年。海の意識に苛まれながらも、やり直したいと思う少年は、高校生になった少女を訪ねる。

まずは【認めよう】ではなく【否定しない】の一歩から

苦手、相性が合わない…それでも、相手を「認める」ことが果たして本当にできているだろうか。
初めてのこと、人、モノ、に触れた時、誰だって最初は驚き、初めから受け入れる…認める…ことは難しいのではないだろうか。

そう思うようになりました。

学校では「差別をしてはいけません」「みんな一人一人を尊重し、認め合いましょう」というでしょう。

が、「〜してはいけません」「〜しましょう」という文言と共に、その理由が述べられていないこともあれば、子どもたちはどう思うだろうか。

驚いてどうしていいかわからない段階、まだ受け入れる余裕がない状態でも、「認めなくてはいけない」の強迫観念に苛まれていては、心から「認める」ことはできない。

だから、まずはできることから。
認められないでいても【人を否定しないこと】。

【ありのまま】を曝け出し【否定しない】

なぜ、いじめが起こるのか。

それは、自分のありのままを受け入れてくれる人がいないのではないか、という心理的不安から大なり小なり自分を隠し、

本音を言わずに「察して」を互いに強いることで、ズレが起こる。本音を言わないまま、みんなに合わせることで、自分を守り、浮かないようにする。

そんなビクビクした状態で、誰か共通の敵がいた方がいい、そうして起こるいじめも有るんだろうなと。

それが一つの原因であると仮定した時、その解決策のひとつして、勇気がいることですが、互いのありのままを曝け出す。曝け出すと、価値観の違いで合う合わないは絶対に出てくると思います。が、そんな時、合わないから、受け入れられないから、いじめる…のではなく、合わないけど、否定しない。そこがまずは一歩なのではないかと思います。

また、曝け出せるくらいの心理的安心がある雰囲気、環境づくり…これは周りの大人が率先して導いていくことではないかなと思います。

【一度の失敗】を許し合えるように、【一生の傷】をケアできるように

本作品の主人公・石田くん(加害者)中学入学と共に受けた、周囲が敬遠する様子(いじめ加害者が被害者に変わるパターン)を見ていても分かるように、過去と向き合い、前に進もうとする人の足を引っ張らないような…人々が失敗を許し合える環境、心理体制を整えること、これが大切

とはいったものの、被害者からすれば、たった一度だとしても一生の心の傷になる可能性も高く、許し難いことだと思います。
ありのままを受け入れてくれる人…と共に丁寧に治療にあたること…これが大切なのだと思いますが、どんな方法があるのか、調べていきたいです。

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このように、今回の映画には本当にたくさんのことを学ばせてもらいました^^

そして、全く考えの異なる人と一緒に映画を観て、その後感想を言い合う時間も好きだなぁと。違う側面から見ることができたり、ディスカッションする時間が本当に好きです。

おやすみなさい(^^)





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