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[読切:再投] 夜の扉 [1001のバイオリン/曲からストーリー]

ザ・ブルーハーツ『1001のバイオリン』に寄せて書いた青春SF短編。

以前、ピリカさんの「曲からチャレンジ」という挑戦で書いた物語を【休みん俳】勝手に『曲からストーリー』(曲から一句スピンオフ)に参加のため再投します。
文字数 約 16,000文字で完全オーバーですが、せっかくあるので…。

夜の扉を開けて行こう
支配者たちはイビキをかいてる
何度でも夏の匂いを嗅ごう
危ない橋を渡って来たんだ

THE BLUE HEARTS『1001のバイオリン』/作詞・作曲:真島昌利



夜の扉

 西暦2300年ごろ。
 人類は、透過度の高いアクリル製のドームの中に都市を築きかろうじて生き延びていた。

・・・

 俺は今日も、焼けるように熱いトタン屋根の上。修理士をして暮らしている。

 ハイテク工場の屋根が今時こんな錆びたトタン屋根のだなんて信じられないだろう?
 何でも百年前に作られた当時のままだそうだ。

 お陰で常に補修が必要で、俺たち修理士は食いっぱぐれることはまずない。

 ここはドームの天井にほど近い場所で、日光の熱をまともに浴びるため、地上に比べて気温がアホみたいに高い。

 まるで雑巾みたいに汗を絞り出されながら剥がれた屋根を溶接し終えると、俺は腰を伸ばし、ドームの天井の遥か向こうに視線を移した。

 そこには信じられないほどに平和な草原が、風に煌めいているのが見えた。

 あれが見えるのがこの仕事の特権だ。この閉ざされた世界で、あれを気兼ねなく眺めることができるのはこの場所しかない。
 あの風景が見たいがために俺はこの職業を選んだと言っても過言ではないのだ。

 あの風景を見るたびに俺は思い出す。
 今から八年前、俺たちが成し遂げたあの冒険のことを。

・・・

 八年前、俺は高等学校の三年生だった。

 今は廃止されてしまったが、当時は中学から高校まで、寮での集団生活が義務づけられていた。

 大人たちは寮に入れておけば俺たちを飼いならせると思っていたみたいだ。
 集団生活の基礎を学ぶとかなんとか言って。
 だけど、現実は…人件費をケチったために、ろくでもない寮監が多かったし、管理も穴だらけだった。

 寮生活は本当にひどいものだった。
 そんな中でも、俺たちは毎日面白いことを探して人生を楽しんでいた。

 八年前のあの出来事は今でも色褪せずに俺の中で輝き続けている。宝石のような想い出なのだ。

・・・

 寮の部屋の窓にカツッと小石が当たる音がした。俺がなかなか出てこないから下で待っているユウジがイラついて投げているのだ。

 分かっているけど、今日に限って同室の原田がなかなか寝付いてくれない。腹を壊したとか言って何度もトイレに行くんだ。
 彼は俺とは違って純粋で生真面目な奴なんだ。

 原田は数分前からやっと寝息を立て始めている。もういいだろうか?
 俺はそっとベットから抜け出すと、音を立てないように部屋を出た。

 たいていの寮には、一部のやんちゃな生徒にのみ代々受け継がれている秘密の出入口がある。
 さすがに昼間は抜け出すことは難しいが、夜間であれば割とやりたい放題だった。
 夜勤の寮監も一応はいるのだが、クズばっかりだから心配には及ばない。

 二階のトイレの個室。
 ここの窓の蝶番がバカになっていて簡単に外れる。

 いつものように音を立てないようにそっと窓枠を外し、雨樋を伝って地上に降りるとユウジが下で待っていた。

 ユウジは保育園時代からの腐れ縁が続いている幼馴染である。
 運動も勉強もできる奴で、真面目に生きていれば生徒会長なんかやるくらいの優等生になっただろうが、彼はそうはならなかった。
 ジャーナリストをしている父親の影響なのか、反体制の気質があり、学校でも度々問題を起こして来た。

 ユウジは面白いことを何でも知っている。ガキころから俺は、まるで絵本を読んでもらうみたいに、ユウジの話をワクワクしながら聞いて来たのだ。

「もたもたすんなよ、もうすぐ時間だ」

 俺が雨樋から降りると、すぐにユウジは走って行ってしまった。
 俺も慌てて彼の後を追った。

 あと数日で高校生活最後の夏休みが始まる。
 夏休みが終われば、仲間のみんなは、別々の都市に就職してバラバラになってしまうことが決定していた。
 都市が違ってしまえば、今みたいに会うことは叶わなくなってしまう。

 その前に俺たちにはやっておきたいことがあった。

 集合場所の小屋までは俺の寮から走って3分くらいの森の中にある。
 ユウジはほぼ全速力でその道を走って行った。
 俺は追いつくのがやっとだ。

 ユウジに遅れて小屋に到着すると、彼は既に他の面々と話をしていた。
 息も切れていない。

 俺はといえば、ぜえぜえとひどいもんだ。
 どうやったらあんな体力をつけられるのだろうか…。

「遅れてごめん」

 俺はやっと息を整えてみんなに言った。
 小屋を見渡すと全員が揃っていた。

 手前のキャンプ椅子に座ってタブレットをいじっているのがマナブ。
 彼は中学からの友達だ。
 小学生のころに国家機関のサーバへのハッキングに成功したとの噂もあるほどの天才である。
 本人は何も語らないのでその真意は不明なのだか、凡人ではないことは確かだ。
 俺がその噂を信じて、夜の博物館に忍び込むゲームに誘ったのが仲良くなったきっかけだった。
 あのタブレットは一定のIQ以上の生徒のみに支給される特別なやつなのだ。

 その隣に座っているのがヒロ。彼も中学生の時からの仲間だ。
 メカにやたらと強い。どんな機械も分解してまた元に戻せる神業を持っている。
 しかし、じっとしていることができないタイプで、おちゃらけ者のムードメーカーだ。
 こんなに落ち着きない奴がなぜ、あんな精密機械をいじれるのかは永遠の謎である。

 奥の方の壊れかけた木箱に腰掛けて偉そうにタバコを吹かしているのがサチ。
 彼女は誰かと群れたりするタイプではないのだが、なぜか俺たちと連んでいる。

 彼女との出会いは小学生の頃だ。
 学校の裏山で天然記念物の “ネコ” を一緒に隠れて飼っていたのが仲良くなったきっかけだった。
 珍しいものがいるとユウジに呼ばれて行った先で、子猫を大事そうに抱いているサチを見た時は驚いたものだ。
 それまで、彼女に対しては冷酷無血の不良少女という印象しかなかったからだ。
 教師に向かって竹刀を振り回しているような女の子は、子猫にはひたすら優しかった。

 このメンバーが固定してきたのは中学のころで、今はそれぞれバラバラの学校に通っている。
 でもこうして未だに一緒に遊んでいるのだ。
 昼間は学生たちの行動は厳しく監視されているので、俺たちの自由時間はもっぱら夜中だった。

 俺たちはこれまでに夜の世界を謳歌してきた。

 夜中の学校に忍び込んでプールで泳いだり、肝試しをしたり。
 河原で焚火や花火をしながら酒盛りをしたり、廃墟巡りをしたり。

 酒を買えるIDを持っている奴はさすがにいないが、ユウジの寮の近くの公園にある自販機が壊れていて、取り出し口に手を突っ込むといくらでも酒が出てくる仕様になっているのだ。
 その公園には俺たちが通っていた保育園が隣接していて、俺らはよく酔っ払って真夜中の巨大滑り台でも遊んだ。

 そして今みんなが集まっている森の小屋は、中学生のころにヒロが見つけたものだ。
 誰も使っていない朽ちかけの小屋。秘密のアジトのようでみんな気に入っていた。
 大事な計画を練るときはここに集まるのだ。

 しかし、そんな俺たちの子供の時代も終わりを迎えようとしていた。

 最後の夏休み。
 俺たちは一生の思い出になるようなことをやろうと去年あたりから考え始めていた。
 今までに誰もやったこともないような、すごいことをやりたい。

「ドームの外へ行こう」

 最初にそう言いだしたのはサチだった。あれは確か去年の秋口だったと思う。
 これは、別の都市という意味ではなく、文字通りドームの外のことである。

 “ドームの外” というのは俺らにとって話題にしてもいけないほどのタブーだ。
 ドームの外壁に近づいたり、ましてや外に出ようなどとしたら、どんなことになるのか想像もできなかった。

 確実に存在するけれど、意識してはならないもの。それが “ドームの外側” だった。

 サチは何回目かに寮を脱出した際に、図らずとも外壁の近くまで行ってしまったことがあった。
 その時に見たというのだ。

 ドームの外壁は、透過度の高いアクリル板でできているのだが、地上から300メートル付近までは不透過のペンキがべったりと塗ってあり、それを超えて向こう側が見える位置に窓を付けてはいけないと法律で決められている。
 この法律は70年ほど前に施行されてその後改定されていない。

 サチがたまたま近づいてしまった外壁は、スラム街のほど近くで、メンテナンスが行き届いてない地区だった。
 初めて間近で見る外壁に圧倒されてふらふらと近づくと、ペンキが一部剥げている箇所があることに気が付いたと言う。

 ほんの数センチの幅であったが、そこから向こう側が透けて見えたのだ。

「外はどんなだったと思う? 草原だよ! ドームの向こう側に信じられないほど美しい草原が広がっているんだ」

 サチがそこにいたのは昼間だった。だから外がよく見えたとのことだ。
 太陽に照らされた草原の美しさにサチは憑りつかれて、それ以来ずっと外のこと考えているのだ。

「大人たちが言っていることは全部ウソっぱちだよ。ドームの外には大自然が広がっている。どこかから出れるはずだ」

 最初にこの提案に興味を持ったのはハッキング担当のマナブだった。
 ドームの外に出る。彼はそれをこの世で最も攻略の難しいゲームのように感じたらしい。

 俺も単純に面白そうだし外を見てみたかったので、すぐサチに賛同した。

 ヒロは最後まで反対していた。
 外の世界がこんなにタブーなのは何か危険な理由があるはずだ、と夜な夜な映画を山ほど見ているヒロは言った。

「何も、外に出て遠くに行こうって言ってるんじゃないんだ。ちょっとだけ、外の世界を感じたいだけ。顔だけ出してすぐ戻ってくるのでもいいんだよ」

 いつもは冷静な雰囲気のサチが熱く語っていた。

「外に出る…。こいつは今まで俺たちがやってきた子供じみた遊びとは違う。俺たちの最後の遠足にぴったりなんじゃないかな。やるなら徹底機にやろう。それで最終的にダメでも後悔しないくらいに、徹底的にだ」

 こんな調子でユウジがその気になってくると、ヒロも納得して、「ドーム脱出計画」は始動した。
 マナブが “ドームの外側” という言葉を使うのを警戒して、≪ハックルベリー≫ というコードネームを付けた。大昔の物語に出てくる不思議な友達の名前から引用したのだと彼は言った。
 みんなはこのコードネームが気に入った。

 調査はサチが発見したペンキが剥げているポイントの確認から始まった。
 そこへはスラム街を抜けて行かないといけない。

 しかも俺たちが動けるのは夜中だけだ。

「おまえ、こんなところを一人で行ったのかよ?」

 ユウジが呆れて言った。サチはペロっと舌を出してごまかした。
 確かに男四人いても、子どもばかりでは少々不安な道のりである。

 こんなところにふらっと来るわけないよな…。サチはここで何をしていたのだろうか?
 サチは大切な仲間だけど、わからないところもたくさんあった。でもそれがサチなのだ。

 スラム街を抜けて、外壁に近づくと、俺たちはその巨大さに度肝を抜かれた。
 サチ以外はこんなに近くで外壁を見るのは初めてだったのだ。

 サチはペンキが剥げていた箇所を見失っていた。前回来たときは昼間だったけど、今は夜。月は出ているが、この辺りは街頭もないので懐中電灯の小さな灯りだけを頼りにサチは必死で隙間を探した。
 もしかして塗りなおされたのかも…と全員ががっかりした気持ちになったところに、ようやくサチはその隙間を再発見した。

 それは本当に数センチの隙間だった。
 かすれたペンキの間から外の世界が見えた。

 サチが言う通りにそこにはどこまでも続く大草原が広がっていた。
 その日は満月ではなかったけれど、それが十分に見える月明かりだった。

 俺たちは代わる代わる隙間から外を覗いて感嘆の吐息をもらした。

 全員の心の中に「あそこへ行きたい」という気持ちが高まった。

 それから夏休みに入ると、俺らは計画を練りに練った。

 そもそも外に通じる出入口が地上にあるのかどうかも怪しかった。
 俺たちが他のドーム都市へ行く際には、地下を通る鉄道を使う。
 そのトンネルから地上に出られるとは考えにくかった。

 マナブが必死にネットワーク上を探したが、ドームの設計図的なものなんてそう簡単に見つかるわけもない。

「ハックルベリーはガードが堅いな…」

 そう言いながら、マナブは毎日何かをずっと調べていた。

 そちらはマナブに任せることにして、俺らは交代で、ドームの外壁の探索を始めた。
 小屋から壁までの最短距離を歩くと、一時間ほどかかる。

 いずれも森の中である。
 壁に突き当たったところから、俺たちは北側に沿って調査を進めた。

 そして、ちょうどドームの真北の森がより深くなる地点に、何やら背の高い金網で囲まれた進入禁止区域があることを発見した。

 金網の付近には監視カメラがついてるようだったのでうかつに近づけない。
 遠目に観察した結果、外壁に面した球戯場くらいの広さのエリアが閉鎖されているようだった。

 どうしたものかと悩んでいると、ある日、ヒロがとんでもないものを持ってきた。

 それはタヌキの着ぐるみである。
 体育館の倉庫に放置されていたものらしい。

「これを着て行ったら動物だと思ってスルーされるんじゃない? 必要だったらまだ何個かあったよ」

 ヒロはこんなことを真面目に考える奴なのだ。

 俺とユウジはバカじゃないのか? と笑ったが、意外とマナブはまんざらでもない感じだった。

「本物の動物と思われるかどうかはわからないけど、これを着て近づけば身元はなかなかバレないかもしれない」

 翌日、ヒロがタヌキ、マナブがクマに扮して金網の周囲を偵察にしくことになった。

「あいつら、バカじゃないの? 今ごろ見つかって捕まってるんじゃ…」

 サチは終始心配そうだった。俺とユウジは何となく、奴らなら大丈夫と思って待っていた。
 数時間後、二人はケロっとした顔で帰って来た。帰って来た彼らは着ぐるみは着ていなかった。

「どうだった?」

 待ちきれないサチが声をかけた。

「予想どおり、あの金網には電流が流れているね」

 マナブがいつもの調子で言った。

「金網の中央に端末みたいのがあったんで、ヒロに確認してもらったんだけど…」

「だいぶ旧式のやつだった。あれだと、監視カメラは一度に3台しか動かせてないと思う」

「古いデバイスだとハッキングするのは難しくなるんだけど、楽勝だったな」

 ここで二人は顔を見合わせて笑い始めた。

「信じられるか? ご丁寧にパスワードが端末の裏にメモしてあったんだよ! あはははあ」

 マナブがいかにも可笑しいといったふうに爆笑しながら言った。
 俺なんかパスワードをすぐ忘れるからそこら中にメモしている。それが大爆笑されることなのか知って、少々気恥ずかしい気持ちになった。

「着ぐるみはどうしたんだよ」

 サチが聞くと、マナブとヒロの二人はまたもや笑い出した。
 二人ともバカバカしくなって、出発の五分後には着ぐるみを脱いで森に捨ててきたそうだ。

 結局マナブが念のために持ってきた黒い布をかぶって行ったそうだ。

 とにかく、金網の電流は簡単にオフにできそうだし、監視カメラもなんとかなるだろう、とマナブは言った。
 本番の時にセキュリティが強化されたらいやなので、練習はしない方がいいだろうとのことだった。

「あの金網の向こうに何があるのかはわからないけど、何かしらあるはずだ。ハックルベリーはあそこだ」

 マナブの意見にみんな賛成だった。

 こうして、俺たちは金網まで全員無事にたどり着ける段取りや、金網の突破方法、その後の何パターンかの行動予定を何度も考察した。

 いつも行き当たりばったりで楽しんで来た俺たちでも、壁の外となると慎重にならざるを得なかった。
 だって、失敗したら死ぬかもしれないし、一生を棒に振るかもしれない。

 そしてとうとう、夏休みが終わる一週間前にXデーはやってきた。

 早めに寮を抜け出して来た面々は真剣な面持ちで顔を見合わせていた。
 準備はできている。

 これから世紀の大冒険だというのに、俺たちの持ち物は少なかった。
 飲料水と少しの食料、それに加えて、それぞれが必要な小道具などをリュックに入れた。
 向こうで野宿などするつもりは全くなく、少し体験できたら夜が明ける前に戻って来るつもりだった。

 ユウジがみんなを見渡した。

「準備はいいか?」

 全員が頷いてそれに答えた。

「ハックルベリーに会いに行こう!」

 小屋の外に出ると、ドームの中からもわかるほどの美しい満月だった。
 なぜこんな明るい日を選んだのかと言うと、危険を冒してでも外の景色は見よう!という結論に達したからだ。
 外の世界には文明の光は一切ない。月明かりがなければ外に出たところで、何も見えないのだ。

 小屋から一番近い外壁までは、これまでにも何度も行き来してきた。全員が慣れた道だ。
 俺たちはいつものようになるべく木の陰に隠れながら進んだ。

 途中でユウジがサチに近寄って行って、「タバコある?」と言っているのが見えた。
 サチは黙って彼に煙草をくわえさせると、火もつけてやっていた。

 この二人には恋中の時期があることを俺は知っている。
 その時は燃えるような恋をしたとかしなかったとか。二人が俺らの前でイチャつくことはなかった。
 しかし、そんな彼らの恋愛は数ヶ月で破局したようだった。

 別れても二人は前と変わらない態度でお互いに接しているように見えた。
 別れた奴と何もなかったかのように関係を持続できるなんて俺にはとても無理だ。
 もしかして、まだこの二人は付き合ってるのかな…? そういえばサチはどうやって煙草を入手してるのかな…? などと俺はぼんやりと考えながら歩いていた。

 二時間ほど歩いて、北側の出入口を守っていると思われる金網のところまで来た。
 金網の中も鬱蒼とした森が続いていた。

 まずは監視カメラに映らない位置に全員が待機し、マナブ一人が黒い布をかぶって操作端末までゆっくりと近づいて行った。

 緊張した場面でどうしても笑ってしまうヒロが、クスクス笑いだしたので、俺は奴のケツをつねった。
 このくだりは中学生のころから何度もやっている。
 ヒロはマナブと一緒に何度かここには来ているはずだが、今日の緊張感は彼にとっても耐え難いものなのだろう。

 ヒロのクスクス笑いはなんとか治まった。

 端末の前では、マナブが自分のタブレットを取り出し、何か操作をしているようだった。
 簡単にできるとは言っていたが、想定外のことが起これば、ヒロが呼ばれるか、みんなで一斉に逃げるかだ。

 逃げる時は全員バラバラの方向へ逃げることを決めてあった。

 永遠とも思える時間が過ぎて行った。

 すると、ブーンという低い音がしてきて、一定の高さまで音程があがると、急に静かになった。

 マナブが黒い布を脱ぎ捨てて合図を送ってきたので、みんな金網と外壁が接する箇所まで足早に近寄った。

「電流を止めて監視カメラはハッキングしといた。偽の映像を録画している」

 マナブがツンツンと金網を触って確認した。
 ユウジが時計を確認し、急げ、と言った。

 すかさずヒロとサチがワイヤーカッターを取り出してカチャカチャと金網を切っていった。
 これまでに何度も練習していたヒロは少々手こずっていたが、全く練習している様子はなかったサチは反対に手際がよかった。
 サチのやつ…さては初めてじゃないな…と俺は思った。

 金網に人が通れるほどの裂け目ができると、一人ずつ、慎重に中に入った。

「で、出口があるとしたら、この金網で囲まれたエリアの真ん中あたりだと思うんだけど、そこまで数百メートル。どんな風になっているか全くわかってない。」

 マナブが言った。
 ユウジがリュックから棒状のものを取り出した。金属探知機だ。

「俺がこれを使って進むから、みんなはその後に一列になってついて来てくれ」

 地雷を警戒しているのだ。現政府がそんなものを置いたままにしているとは思いたくないが、本来、人が入ることを想定していない場所だ。
 ユウジ、ヒロ、俺、サチ、マナブの順に並んで、壁沿いに俺たちはゆっくりと進んだ。

 金網の中に入ってしまえば監視カメラはなさそうだった。
 もしもこの状況を誰かが見てるとしたら、なんであいつら縦に並んでいるんだ? と不思議に思うかもしれない。

 ヒロも同じことを思ってしまったようで、またクスクス笑いだした。俺は再び奴のケツをつねった。
 今度は俺も一緒にクスクス笑ってしまった。

 後ろから、サチにどつかれて、やっと俺たちの笑いの発作は収まった。

 先頭のユウジは慎重に進んで行った。

 こうして俺たちが数百メートルの距離を壁沿いにゆっくり進んで行くと、前方に何やら見えてきた。
 それは想像を超えるものだった。

 それの少し手前でユウジが立ち止まってしゃがみこんだので、みんなもそれにならった。

「あれ、何だと思う?」

 ユウジが後ろのヒロに聞いた。
 ヒロが首を伸ばしてそれを確認した。

「顔?」

「俺にもそう見える。」

 前の二人の会話を聞きながら、俺も前方の壁にくっついているものをよく見ようと目を凝らした。

 そこには、ちょうど人の背の高さくらいに、石だかプラスチックだか、とにかくツルツルの白い素材でできた、とてもリアルな人の顔が張り付いていたのだ。

 俺たちは壁に沿って立っているので、横顔しか見えないが、どうやら中年男の顔のように見えた。
 髪の毛はなく、とにかくツルツルだ。

 得体の知れない物の出現に、さすがのユウジも一瞬思考が停止してしまったようだ。
 みんな黙って奇妙なおじさんの横顔を見ていた。

 やがてユウジはみんなに立ち上がるように指示し、顔に向かって進み始めた。
 どうやらみんなで見に行くことにしたようだ。

 みんなもユウジに続いた。

 顔の近くに来ても、やはりそれが何であるかはわからなかった。
 ツルツルのおじさんの顔だ。

「誰なんだ?」

 ユウジが自分の脳内の情報を探っている時の表情をしながら言ったが、思い当たることはないようだった。

「このドームを作った人の記念碑とか?」

「それだったらこんなに厳重に隠す必要はないんじゃない?」

 友人たちの不毛な会話を尻目に、さっきから顔の上下左右を詳しく観察していたヒロが、唐突におじさんの鼻の穴に指を二本突き立てた。

「わ!ヒロ!何するんだよ!」

 その場にいた全員が、ヒロのいつもの悪ふざけだと思い、焦って彼を抑えた。
 ところが、それは悪ふざけではなかったのだ。

 鼻の両方の穴を同時に押すことで、この顔の機能が起動したのだった。
 顔の周りに、ちょうど家の玄関のドアくらいの大きさの切込みが入り、そのままその部分がグググググっと壁の内側へと入って行った。

 そして、外壁にトンネルができた。

 ヒロは自分を抑え込む友人を見ながら、どう? という顔をした。

「驚いたな…どういう仕掛けなのか全くわからないよ。これは僕が知っているテクノロジーではないな」

 マナブが関心した声で言った。

 俺たちは突然できたトンネルを覗き込んだ。
 それは、外壁の厚みの分だけ外側に伸びたトンネルだった。突き当りにはさっきのおじさんの顔があって、通路はふさがっている。

「行くか?」

 ユウジが言った。

「行くに決まってるだろう」

 サチが全員の気持ちを代弁してそう答えた。

 僕たちはゆっくりとトンネルの中に入った。それはドームの壁の中に入ったということも意味する。
 ここに来て初めて知ったのだが、ドームの壁の厚さは、軽く五十メートルはあるのだった。

 それにしても、ドームのアクリル板は驚くほどの透明度だ。
 まるで水のトンネルの中を進んでいるようだった。

 前方には、内側の壁とおじさんの顔が、さきほど凹んだ部分のそのままにぽつりと立っているかのように見えた。
 その向こうに広がる景色に俺たちは釘付けになっていた。

 月明かりに照らされて風になびく草原がどこまでも続いていたのだ。
 外の音は聞こえないが、ザワザワと草が鳴る音が聞こえてきそうだった。

 その代わりに、トンネルの中には、チュイーーーンだの、パキーーーンだの、奇妙な音が響いていた。
 きっとアクリル板が何かに反響して鳴っている音なのだろう。

 僕たちは連れ立っておじさんの顔の元まで進んだ。
 外の世界は目の前に広がっている。

 ユウジが二本の指を突き立てて、おじさんの鼻の穴に突っ込んだ。
 何も起こらなかった。

 あれ? という顔をしてユウジが振り返ると、ヒロが変わって顔を調べ始めた。
 そして、今度は二本の指を、おじさんの両目にブスっと刺した。

 すると、ガゴンという音がして、おじさんの顔の真ん中に裂けめができ、内側の壁だった部分がまるで自動ドアのようにゆっくりと真ん中から開き始めた。

 すると、外から信じられないほどの熱風が俺たちへと吹き付けてきた。
 俺は咄嗟にシャツの裾を持ち上げて口と鼻を覆った。

 周りを見ると、みんな同じようにしていた。
 これは、避難訓練の時に教わる動作だ。

 そして、気が付いたら俺は草を踏んでいた。
 けたたましい虫の声。ドームの中にも夏の夜に鳴く虫はいるけど、こんなにうるさくはない。

 なんだこれは! やはり外の世界はまだ人が生きられる状態ではないのか!?

 俺はパニックを起こしそうになりながら、慌ててトンネルに引き返そうとした。

 そんな俺の目に、信じられない光景が飛び込んで来た。

 サチが、ひゃっほーと叫びながら天に向かって拳を突き上げていたのだ。

 ついに彼女は発狂してしまったのか!? と周りを見ると、俺以外、全員が同じように鼻と口を覆う姿勢をやめて、飛び跳ねていた。

「何やってるんだよ! 嗅いでみなよ、この空気!! これが本当の夏の匂いだよ!」

 サチが俺に向かって叫んでいた。

 夏の匂い!?

 そうか、本物の夏はこんなに暑くてうるさいのか!?

 ドームの中にも四季はあったが、それは人類が過ごしやすいように、だいぶソフトにしてあると聞いていた。
 ここにあるのは、そんな人工的につくられた気候ではなくて、本物の野生の夏なのだ。

 だって、ここはドームの外なのだから!

 俺は鼻と口を覆っていたシャツを下ろして、思い切り息を吸い込んだ。

 生暖かい空気が鼻から大量に入って来た。

 その香しいこと!!! 草の香り!! 土の香り!!

 ユウジもマナブもヒロも、全員がサチと同じように両手を広げて空を仰ぎ、思い切り深呼吸をしていた。
 俺もそれに加わった。

 空を見上げると、どんなものよりも明るい満月が俺らを照らしていた。

 夜だと言うのに、月の周りをものすごい速さで雲が流れているのがよく見えた。
 満月の夜はまるで昼間のように明るかった。

 俺たちは夏の空気を吸い込みながら、目の前の丘をどんどん登って行った。
 ドームから離れることに少し不安も感じたが、もしもこっちで生きていけ、と言われてもできそうな気がした。
 それほどに外の世界は素晴らしかった。

 丘のてっぺんに到着すると、ずっと向こうに真っ黒な高い山々の影が見えた。
 世界は本当に広い。

 頭では解っていたが、実際にこの巨大な空間の中にいると、気が遠くなる気持ちだった。

 みんなで丘の上に座って、この壮大な風景をしばらく無言で眺めた。
 サチが煙草を取り出して吸っていた。
 彼女のいつもの煙草の香りが、草原の香りにまざって何とも言えない雰囲気を作っていた。

「あ!そうだ! 忘れるところだった!」

 急にヒロが言って、リュックの中から何やら取り出した。
 それは高級そうな外国のお酒のビンだった。

「どうしたんだよそれ?」

 サチが興味津々で覗き込んだ。

「前に校長室の掃除当番になった時に、たまたま一人になる瞬間があって、くすねてきたんだよね。いつかこれを飲むのに相応しい日がくるんじゃないかって隠しておいて正解だった」

「これ以上に相応しい日はないな」

 俺はヒロの神がかった行動になぜか感動してしまって、ちょっと泣きそうになりながら言った。

 ヒロは全員分の小さなグラスも持ってきていた。みんなは輪になって座った。
 それに琥珀色の高級酒を注いでいく。

 全員に酒がいきわたると、ユウジが少しグラスを持ち上げて、「ハックルベリーに」と言った。
 それに続いてみんなも「ハックルベリーに」と言い、一気にグラスの中身を飲み干した。

 思ったよりも強い酒だった。
 のどから胃袋にかけて、カーっと熱くなるのが感じられた。

「もう一杯いい?」

 ユウジが言うと、ヒロは彼にビンを渡した。
 ユウジはグラスに酒を自分で注ぐと、その液体を眺めながら話はじめた。

「ずっとみんなと一緒にここに居たいけど。俺は休みが明けたら親父を頼ってこの街を出るよ。俺もジャーナリストになる」

 彼の行先はみんな知っていた。
 でも、前に聞いた話かどうかなんて、そんなことはどうでもいいのだ。この時間が永遠に続けばいいのに、と俺は思った。
 こうしてみんなで草むらの中に座っている、この時間が。

「ユウジの記事を読むのを楽しみにしてるよ。」

 俺が言うとユウジは嬉しそうに笑った。

 ユウジはグッと酒を飲み干し、そしてビンを隣のヒロに渡した。
 ヒロも自分のグラスに酒を注いだ。

「俺は機械設計士になるためにこの街を出る。この街では車しか作ってないからね。俺はマナブが持っているタブレットみたいな精密機械を作りたいんだ」

 まさにそれはヒロの天職であると思われた。

「ヒロの作った機材を使うことになるかもな」

 マナブが言った。

 ヒロはにっこり微笑んで頷くと、酒を飲み干した。
 ビンはサチへと渡った。

 サチは煙草をもみ消して酒を自分のグラスに注いだ。

「あたしは…動物の保護地区で働くんだ」

 何だか悲しそうな声だった。それきり彼女は黙ってしまった。
 ぐっと酒を飲み干し、隣に渡すかと思いきや、サチはもう一杯酒をついで、それも飲み干した。

 そしてビンをマナブに渡した。

「僕は、NASALLSで宇宙科学の研究をすることになっている。今回の経験は誰かに話すことはできないけど、きっと僕の人生にとって大きな糧となると思う。サチ、ここへ導いてくれたありがとう」

 それを聞いてサチは首を振り、「ここに連れてきくれたのはあんただよ。あんたがいなかったら、ここには来れなかった」と言った。全員がそれに激しく同意した。
 彼女は少し涙ぐんでいるように見えた。

 マナブは優しく微笑んで、ぐびっと酒を飲んだ。
 ビンが俺に回って来た。

「俺は、あそこ。メルセデス工場の屋根を直して回るよ」

 俺は、正面に見えているドームを指さして言った。
 そう、俺はこの街に残ることにしたのだ。
 ドームの中でひときわ高い建物。つい数週間前に、あそこの天辺で働くことを決めたのだった。

 みんながドームを振り返って眺めていた。

「高いところ怖くないの? 危ない仕事なんでしょう?」

 ヒロが言った。

「うん。怖いんだけどね。噂で聞いたんだよ。あそこだけが、この草原を見ることができる唯一の場所だって」

 それを聞いて、全員がああ…と俺の選択を納得してくれたようだった。

「死ぬなよ」

 ユウジが一言そう言った。彼は真顔だった。
 俺は笑って頷いた。

 俺はぐっと酒を飲み干し、涙がこぼれそうだったけど、ぷはぁ~とか言ってごまかした。
 ヒロにビンが戻ると、急にサチが立ち上がって、「いえーい!」と叫んだ。

 みんはギョッとして彼女を見上げた。

「ハックルベリー、最高~!!!」

 サチはあはは~と笑って、また大きな声で叫んだ。
 彼女の声は空間に響いてどこまでも伸びて行った。

 俺たちも立ち上がって、様々な雄たけびをあげた。

「おーい!せかーい!」
「やっほー!」
「ぎゃー!」
「んがぁ~!」
「ひゃーはー!」

 俺たちの声が風に乗って空を飛んで行った。

 それに答えるかのように、遠くの空でピカピカと稲妻が走るのが見えた。
 すごい! 外の世界では音に反応して空が光るのか!?

 俺は面白くなってしまって、空に向かっていろいろな声を放った。

 そうこうしていると、急に風が冷たく感じられた。
 ザワザワと足元の草が鳴り、月が雲に隠れて急に暗くなった。

 ぽつっと雨粒が当たったな、と思った次の瞬間には、大粒の雨がまるで滝のように降り始めた。
 ザーーっついうものすごい音で、目の前に立っているヒロの声もかき消えてしまうほどだ。

 何と言っているのかはわからないけれど、ヒロの顔はものすごく笑っていた。大爆笑している。
 思わず俺も笑いだしてしまった。

 振り向くと、ユウジもマナブもサチもずぶ濡れになって笑っていた。

 ヒロがドームの入口に向かって走り出したので、みんなも続いた。
 俺たちはゲラゲラ笑いながらお互いぶつかり合い、もつれ合いながら、右へ左へとよろめきながら草原の坂道を走り降りて行った。

 一瞬、ドームの扉が閉じていたらどうしようと思ったが、扉は出てきた時同様に開いていた。
 俺たちはなだれ込むようにドームのトンネルへと戻って来た。

 中に入ると扉の閉め方は全くわからなかった。ヒロにもマナブにも解らないようだった。
 というよりも、俺たちは高級酒のせいで酔いがまわって、何もかもが可笑しくてしかたなくなっていた。

「誰だよ酒持ってきたの! 慎重に抜かりなく帰るんだぞ、これからぁ」

 ユウジが大笑いしながら言った。ずぶ濡れでドームのトンネルの床に仰向けに転がっている。

「俺だよ」

 と言ってヒロもがははは~と笑った。

「ここで夜明かしするわけにはいかないよ。ほらみんな立って」

 なぜか一人冷静なマナブがユウジとヒロを起こして歩かせた。
 一番量を呑んでしまったサチがぐでーとしていたので、俺が抱えて立たせた。

「しっかりしてくださいよボス」

「あたしはおまえのボスじゃねーし」

 ぶつくさ言っているサチを俺は半ば引きずるようにしてトンネルを進んだ。
 世界がぐるんぐるんと回転しているようだった。

 まったく、なんちゅう酒を持ってきたんだ、ヒロのやつ。

 そう思うと可笑しくてしかたなくなり、俺はひとりでゲラゲラ笑いながらサチを連れて歩いた。

 トンネルを抜けると、変わりない森が俺たちを待っていた。
 しどろもどろの俺たちは、何とか壁沿いに進んで、金網を目指した。

 ヒロが何度も脱線して、森の方へ入ってしまうので、その度に、俺とマナブが連れ戻した。
 来るときに死ぬほど警戒していた地雷はどうやら埋まっていないようだった。

 俺はもう、やっとのことで真っすぐ歩いている状態だったが、マナブはケロっとしていた。
 お前、平気なの?と尋ねる、「僕はこれくらいじゃ酔わないよ」と彼は言い切った。

 そういえば、マナブが酔っ払っているのを見たことがないなと思った。
 ずっと彼は飲まないのかと思っていたが、そうではなかったのだ。

 俺にぶら下がっていたはずのサチはユウジの方へ行ってしまった。
 まあ、そうなるよね。と俺は思った。

 ようやく金網が見えてきて、俺は助かったと安堵の気持ちでいっぱいになった。
 でもそれは少々気が早かった。

 やっとのことで金網から外に出たところで、俺たちはいくつものライトに照らされて見事に捕まってしまったのだ。
 あまりの眩しさと絶望感で、全員がその場にへたりこんでしまった。

 俺たちを捕まえに来たのは、白い宇宙服のようなものを着た人たちだった。顔まですっぽり覆われた奇妙な服だ。
 その中のリーダーらしき人が「対象アカウントを発見、確保」と言っているのが聞こえた。

 そして、俺たちは後ろ手に縛られて、救急車のような車に乗せられた。

 ベッドに寝かされて、口に酸素マスクのようなものを被せられた。
 そこから何か薬のようなにおいがしたかと思うと、急激に意識が遠のくのが感じられた。

 麻酔!?
 ちょっと、まって酒気帯びに麻酔はまずいんじゃ…!

 俺の意識はここで途絶えた。

 夢だったのかもしれないけど、時々ぼんやりと会話が聞こえて来た。
 その声は、「全身スキャン」とか「ウイルスを検出」とか「無効化プログラムを適用」とか言っていたと思う。
 どれも始めて聞く単語だが、俺はこの言葉を覚えておかないとと思って、必死で脳裏に焼き付けたのを記憶している。

 やがて、俺は病院の一室で目を覚ました。
 腕には点滴が繋がっていたが、引っこ抜いて起き上がった。

 部屋には俺しかおらず、特に監禁されているわけでもなさそうだった。
 びしょ濡れだった服は脱がされていて、代わりに趣味の悪い服を着せられていた。
 持っていた荷物はこの部屋にはないようだった。
 俺はベッドから降りると、その変にあった俺のではない靴を適当に履いて病室のドアをそっと開けた。

 病室の外は廊下になっていて、目の前のベンチにサチが座っていた。彼女もダサい服を着せられている。
 そんな恰好で彼女は煙草を吹かしていた。

 俺は部屋からでると、サチの横に座った。
 サチが吸いかけの煙草を差し出して来たので吸った。

「禁煙じゃないのかここ?」

「知るかよ」

「今何時だ? どのくらい寝てたんだろう?」

「全くわからない」

 俺はサチの煙草を吸いながら、ふと疑問に思った。

「これどうしたの? 取り上げられなかったの?」

「あいつらもさすがにパンツの中まではチェックしなかったみたい」

「え? おまえパンツに煙草入れてるの?」

「違うよ。ほら雨が降ってきたら濡れないように咄嗟に入れてたんだよ。なんだよ、イヤなら返せよ」

 俺は別に嫌ではなかったが、煙草を彼女に返した。
 そんなやり取りをしていると、向こうの部屋からヒロが出てきた。

 ヒロはドカッと俺の隣に座った。
 続いてユウジが出てきてサチの横に座った。

 それと同時くらいに、スーツ姿の男が廊下にやって来て「もう、お前たち帰っていいぞ」とそっけなく言った。

 マナブがまだ出てきてなかったので、そのことを告げると、スーツの男の後ろからマナブが姿を現した。
 心なしかとっても疲れた顔をしている。

 みんなが大丈夫か?と聞くと、彼は、心配いらない、帰ろう…とぼそりと言った。

「俺たちのことを捕まえないのか?」

 ユウジがスーツ姿の男に言った。

「今回の件に関する法律が存在しないからお前たちを留置することも裁くことはできない。どっちにしても、今回のことを誰かに話しても、避けられるだけだぞ」

 確かに。外壁の外はタブー中のタブーなのだ。みんな話したがらないだろう。
 なんだか完全に敗北した気持ちだった。

 病院から出ると、外はすっかり昼間になっていた。

「ちなみに、金網で捕まってから2日経ってるよ」

 マナブが言った。彼は俺たちとは別の扱いをされていたようだ。主犯と思われてしまったのだろうか。

 病院から充分に離れると、ようやくマナブは話し始めた。

「俺たちを捕まえた奴らと、さっきのスーツの奴は、マクロフィーという民間の警備会社で、政府に託されて外壁の監視をしてるらしい。時々外に出ようとしようとする奴らはいるらしいんだけど、本当に出てしまったのは僕たちが初めてらしいよ。それで、うちで働かないかと誘われた」

 これには全員、立ち止まって驚いた。

「マクロフィーで働けば、この世界のもっと重要な秘密を教える、とか言われてさ」

 こんな誘いを受けたら、俺だったらすぐに食いつきそうだが、マナブは断ったのだという。

「だって、マクロフィーなんて聞いたことある? 怪しすぎるだろう。それにNASALLSで働くことは僕の子供のころからの夢だったんだ。あいつらにもそう言ってやったよ」

 マナブは気が抜けたような溜め息のような声であははは~と笑った。

「それに扉を開けたのはヒロだしな」

・・・

 あれから八年。
 俺は端末など持てるような身分ではないから、もっぱら手紙でのやり取りではあるが、みんなとは時々連絡を取っている。

 ユウジはご存じの通り、戦場の様子を生々しく伝えるジャーナリストになった。
 ヒロは世界最大大手の工場で精密機械を作っている。
 サチはこの間、絶滅危惧種のジャイアントパンダの繁殖を成功させた。

 で、マナブなんだけど、彼とだけ連絡が取れていない。
 どうやらNASALLSを数年でやめて転職したらしいんだ。俺はマクロフィーに行ったんじゃないかなと踏んでいる。
 NASALLSでやりたりことをやりつくして、あっちに行ったんだ。
 奴ならきっとそうするんじゃないかな?

 俺は相変わらず焼けるように熱いトタン屋根の上だ。
 ここからあの草原を眺めながら、毎日汗だくで働いているよ。

(おわり)


自分の高校時代のエピソードを少々交えて見たりもして。

物語を読み終わった後にぜひこの名曲を聞いてください!

夜の扉を開けて行こう
支配者たちはイビキをかいてる
何度でも夏の匂いを嗅ごう
危ない橋を渡って来たんだ

THE BLUE HEARTS『1001のバイオリン』/作詞・作曲:真島昌利



▽【休みん俳】勝手に『#曲からストーリー』(曲から一句スピンオフ)

概要はこちら


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