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[小説] ミサキミラー(3/6) | 三、ミラミラ | 創作大賞2024

≪ 二、ミサキ

三、ミラミラ

「こんなの送られたら来ちゃうって…我慢してたのに」

 トオルくんは相変わらずな調子で携帯電話をヒラヒラさせながら言った。

「ここ三階なんだけど………あ、そうか…」

 ミサキは思い出した。ヴァンラスは通常の人間の十倍くらいの身体能力を持っていると学校で教わっていたのだ。

「てかさ、ミサキちゃん。君、何? 俺のこと怖くないの?」

 言いながらトオルくんはぐっと顔を近づけてきた。ミサキは少しだけ顔を逸らせた。

「怖いよ。怖いけど、それより心配になちゃって。ずっと姿が見えないから…」

 今度はトオルくんが動揺する番だった。おそらく捕食対象にこんなことを言われたのは初めてだったのだろう。

「心配していたの? ミサキちゃん、俺のこと心配してくれてたの?」

 ミサキが「うん」と言って頷くと、トオルくんは「ハァ~」とため息のような息を吐き、何とも言えない表情をした。
 頬にかかったトオルくんの息は熱く甘ったるい匂いがした。

「だめだよミサキちゃん。そんなこと言われたら俺、君のこと食っちゃいそうだよ」

 ミサキはヴァンラス相手に挑発するようなことを言ってしまったと気が付いて慌てて後ろに下がった。

「ところで、あなたはあれから何をしていたのケ…ケイプリアン?」

 思い切って彼の本当の名前を呼んでみた。するとすかさず彼はそれに反応した。

「ダメダメ、俺のことはトオルって呼んでよ」

「ケイプリアンなんでしょう?」

 そう言うミサキの口をケイプリアンは手のひらでそっと抑えて黙らせた。
 一瞬、あの気味の悪い男に口を押えられた時のことがフラッシュバックしミサキの背筋に冷たいものが走った。

 ケイプリアンは本当にどうしてもその名を口に出してほしくないようだった。
 ミサキはしばらく考えてこう言った。

「じゃあ、ケイくんって呼ぶ。それならいいでしょう?」

 ケイプリアンは嫌そうだったがしぶしぶ承諾してくれた。

「それで、ケイくんは何をしていたわけ?」

「君にたかって来る輩を駆除してたんだよ」

「え? 私に?」

「ああ、君さ、俺のマーカー着いちゃってるんだよね。まさかこんな感じになると思ってなかったからさ…。マーカーついてると狙われやすいんだよ。特に俺のマーカーだとさ、敵が多いもんで」

 ミサキは気が付かないうちに間にマーキングされていたと知り、少し腹立たしく思った。

 …なに勝手にマーキングしてるのよ、犬じゃあるまいし。

「それで、私を守ってくれるのはありがたいんだけど、あなた、それでまずくないの? 立場的に」

「あ、いいのいいの。俺、反対してるから、ここを攻略するの」

 これはだいぶ意外な回答だった。

「え、なんで?」

「なんでだろうねぇ…。最初に会った時に言っただろう? なぜかわからないけど、ここが気に入っちゃったんだよね。誰にも渡したくないってゆうか…」

 そういうと、唐突にケイプリアンはミサキを部屋の奥へと突き飛ばした。
 それと同時にミサキの部屋のベランダが破壊されて、一人の人影が部屋へと入って来た。

「やはり、ここにたのかケイプリアン」

 黒いボディスーツを身に着け、鳥のような仮面をつけた女だった。
 右手にムチを持っている。

 冷血のヴァンラス ミラミラだ。教科書で見たことがあった。

「なぜその小娘に執着する?」

「別に執着なんかしてないぜ」

「ガジューをはめて処刑に追い込んだのもその女のためか?」

「いいや、あいつは勝手に自滅したんだよ」

「お前が父上に敵対するというのならば、私はお前を今ここで葬る」

 そう言ってミラミラはムチを振り上げた。

「あ、ちょっと待って、ここでやるのやめよう。こっちこっち」

 ケイプリアンはそう言うと空きっぱなしの窓から出て行ってしまった。
 それを追ってミラミラも行ってしまった。

 独り残されたミサキは茫然と破壊されたベランダを眺めていた。
 見事な破壊っぷりだ。

 なんという力であろう。
 これをやった奴とケイプリアンは今、戦っているのだ。

 ミサキにとってミラミラはおとぎ話の中の悪役のようなものだった。
 それが実在し、自分のうちのベランダを破壊するなんて…。

 確かミラミラとケイプリアンは兄妹だったはずだ。

 …いくらヴァンラスでも本気でやりあったりはしないはず…だよね…。

 ミサキはそう自分に言い聞かせながら、窓の状況を確認するために立ち上がった。
 窓ガラスが一枚割れたのみでダメージは少なかった。

 ベランダは完全に崩れ落ちて、下の道路に散乱していた。
 幸い通行人はいなかったようだ。

 こんなご時世である。
 ベランダひとつ破壊されたからと言って騒ぐ者はいなかった。

 ミサキはずいぶん前に政府から支給された窓補修用キッドを取り出し、割れてしまった窓を補強した。

 そうしてひたすらケイプリアンの帰りを待った。

 ケイプリアンは2日後の夜に帰って来た。

 コツコツと窓をノックする音がするので開けるとそこにケイプリアンは立っていた。
 ベランダはなくなってしまったので、かろうじて残っている残骸につま先で立っている状態だった。

 玄関から入ればいいのに…と思ったがミサキは彼を部屋に招き入れた。

 彼はズタボロだった。
 服はあちこち破れて、鞭で打たれたような傷が多数あった。

 ミサキの部屋に入ると、彼はそのまま彼女のベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。

 ケイプリアンは泥だらけで血まみれだったので、一瞬うわっ…と思ったがミサキは腹をくくった。

 おそらく、ケイプリアンが今頼れる相手は自分しかいないのだ。

「大丈夫?」

「ああ、あんまり大丈夫じゃないかも」

 彼がミサキの手を握って来たので、彼女も握り返した。

「なあ、ダメ元で聞くんだけどさ…」

「何?」

「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、かじらせてくれない?」

「え?」

 ミサキが返事をするのを待たずに、ケイプリアンは彼女の手首にかぶりついた。

 血液を飲んでいるのだった。

 慌ててミサキは腕を引っ込めようとしたが、ケイプリアンにがっちり手を掴まれていて動かせなかった。

 ケイプリアンは数秒だけミサキの血液を飲むと彼女を解放した。
 そして寝返りをうち上向きになると、目を閉じたまま「ごめん。もうしない。でも助かった」と言った。

 ミサキは何と返事をしてよいか解らず黙っていた。
 ケイプリアンに噛まれた手首が痛くて血も止まらなかったので咄嗟に反対の手でぐっと抑えた。

「ミラミラはもう君には手を出さない。約束させた。安心して眠りな」

 そう言ってケイプリアンは眠ってしまった。

 ミサキはため息をつくと、「噛んでいいって言ってないのに…」と小さい声で言った。

 恐る恐る噛まれた場所を見ると、歯型がついて血がにじんでいた。
 彼女はキッチンで傷口を洗うと、ガーゼを当てて包帯を巻き止血した。

 ヴァンラスは人の生き血も好んで飲むと聞いている。
 栄養ドリンクみたいなものなのかな?

 ミサキは手首に巻いた包帯をさすりながら先ほどの出来事を思い返した。

 血を飲まれたことはショックだったが、どこか耽美な時間にも感じてしまっていた。

 ミサキはブンブンと首を振ってその考えを追い払った。

 …これではまるで変態ではないか…。

 ミサキはストールを持ってきてソファーに横になった。
 自分のベッドを見ると、ケイプリアンがスヤスヤと寝息をたてて眠っていた。

 ミサキはこの状況を客観視して、滑稽に思ってしまった。
 数週間前には恋焦がれていた男性が自分のベッドに血まみれで眠っている。

 人生でこんなことが起こるなんて想像できただろうか。

 ケイプリアンに対しては以前のような恋心は正直なくなってしまった。
 ただ、何かわからないけれど、傷だらけの野良犬を拾ってしまったようなそんな心情に彼女はなっていた。

 ほっといても生き延びるだろう。
 だけれども、この一瞬、二人の人生が交差したこの時だけ、少し面倒をみてあげてもいいんじゃない?

 そんなふうにミサキは思った。

 やがてミサキも眠りに落ちていた。

 翌朝、目を覚ますと、ケイプリアンが素っ裸で洗濯されたシーツを干していた。

 ミサキは驚いて飛び起きた。

「ケイくん!? 何しているの? えと、服着てっ!!!」

「あ、ごめーん。おはよう。だって俺の服ボロボロになちゃったんだもん。捨てちゃったよ」

 何とも呑気な奴である。

 ケイプリアンの細いが引き締まった肉体には昨日のムチの跡に加えて新旧様々な傷跡がついていた。

 彼が潜り抜けてきた壮絶な戦いの日々を想ってミサキは少し胸を痛めた。
 実際は各領域を蹂躙して来た跡なのであるが…。

 ミサキは引き出しから男性用の下着と洋服を取り出し彼に渡した。

「え、ちょっと待って。何でミサキちゃんの部屋に男の服があるわけ? 下着まで…」

 ケイプリアンが怒った口調で言った。「弟の」とミサキは一言で返事した。

 ケイプリアンはふーんと疑っているような声を出しつつもそれを着た。
 ミサキの弟の服は彼には少しきつそうだった。

 ここでケイプリアンがミサキの手首の包帯に気が付いたようで、念入りに彼女の腕を調べ始めた。
 何かを探しているように見えた。

「大丈夫、あなたが噛んだのはここだけだよ」

 ミサキは噛み痕を探しているのかと思いそう言った。
 ケイプリアンは「うんそうだね」と言ってにっこり笑った。

 そこでドアのチャイムが鳴り、間髪入れずにドアがガチャリと開いた。
 咄嗟のことでケイプリアンも隠れる時間はなかった。

 ミサキの弟のナオキが部屋に入って来たのだった。
 彼には合鍵を渡してあり、自分の家のように自由に出入りを許している。

「姉さん、何か姉さんちのベランダが壊れてるって通報があったんだけど…え、…え!?」

 そこまで言ってナオキはケイプリアンの姿を目に止めた。

「姉さん!? 誰こいつ? 何で僕の服着てるの?」

「ああ、ナオキ…これはね、えと…」

 ミサキが慌てて何と言い訳しようか考えている間に、ケイプリアンはさっと立ち上がってナオキの前へと移動し、次の瞬間には彼の手を握っていた。

「君がナオキくんね! はじめまして、あたしトオル。ミサキちゃんの友達なの。昨日家が壊されてぇ、慌てて身一つで逃げてきたらどぶに落ちちゃったのよ~あはあは」

 ケイプリアンは女性のような言葉遣いで自己紹介をした。
 その雰囲気に押されてナオキも警戒心を少しほどいた様子だった。

「あ、初めまして。姉さんのお友達だったんですね。失礼しました…」

「やだな~ミサキったら、あたしのことナオキくんに話してなかったの? ひどいわね。いくら私がチェリーキラーだからってあんたの弟は食わないわよ」

 ミサキは思わずケイプリアンを睨みつけた。
 …シャレにならない。

 だがこのやり取りでナオキは二人が本当に仲のよい友人同士と思ったようだった。

「それで、姉さん、そのベランダどうしたの?」

「あ、これ? 私もわからないの。起きたらこうなっていて…」

「え、こんなになってるのに気が付かなかったの?」

「うん…耳栓して寝ていたから」

 苦しい言い訳だが弟は信じるだろう。弟はミサキが時々耳栓をして寝ているのを知っているのだ。
 何かあったときに起きられないからやめろといつも怒られている。

 ナオキはため息をついて首を振った。ミサキの話を信じたようだ。

「だから耳栓するなって言ってるのに」

「ごめん…もうしないよ。私も起きてびっくりしたけど、特に何も取られてなかったし、私もこうして無事だったし」

 そこでナオキはミサキの手首の包帯に気が付いた。

「怪我したの?」

「あ、これは…えと、窓を直そうとして切っちゃっただけ」

「まったく姉さんは…。トオルさん。トオルさんは家を壊されたって言ってましたけど、どの辺にお住まいでしたか?」

 まずい。とミサキは思った。ウソがばれる。

「北地区の3番通りよ」

 ミサキの心配をよそにケイプリアンはあっさり答えた。

「ああ、あそこですか。あそこは壊滅的です。お気の毒に…しばらく姉の家にいますか?」

「避難所が見つかるまでね」

「そうですか…この辺一体はまだ目立った攻撃を受けていませんが危険なのには変わりありません。充分に気を付けてください。あ、もしシェルターに入りたかったら言ってください。姉はなぜかシェルターに入りたがらないんですよ。トオルさんも説得してくださいよ。僕、手配できますから」

「ありがとう。わかったわ」

 そう言ってケイプリアンはナオキに向かってウインクをした。
 ナオキはびっくりして赤くなってしまった。そして「またくる」と言い残してミサキの家を出て行った。

「息を吐くようにウソをつけるのね」

 ナオキを見送ったミサキが振り返りながら言った。

「そういうお仕事だからね俺。相手が信じたい相手になるんだよ」

「じゃあ、私の知っているトオルくんも演技だったんだ」

「いや~あれはほぼ俺。ウソの俺だったらショックだった?」

 そのふっかけに「別に…」と答えながら、ミサキは何か食べるものを用意しようとキッチンへ向かった。
 すると、ケイプリアンは窓から出て行こうとするではないか。

 あわてて彼の元に駆け寄った。

「ちょっと待って、どこ行くの?」

「君の弟に顔見られちゃったからね。彼、案外鋭いからそのうちバレちゃうよ。ミサキちゃんに迷惑かけちゃうからもう行くね。ナオキくんが来たら脅されてたって言うんだよ」

 ミサキは行くと言っている彼を引き留める理由が自分には全くないことを知っていた。
 ただ、彼とこれっきりになるのは嫌だと彼女の本能が言うのだった。

 ミサキが黙っていると、ケイプリアンの方が話を始めた。

「あのさ、この領域の人たち、妙な武器を使ってくるんだけど、あれ、何か知ってる?」

(つづく)
四、ミサキとケイプリアン ≫


登場人物

カガミ・ミサキ
主人公。ごく普通の会社で働くごく普通の女の子。

ケイプリアン/トオルくん/ケイくん
人を喰らう種族“ヴァンラス”の青年。ヴァンラスの王の長男。
“ヴァンラスの道化” の異名を持つ。

ミラミラ
ケイプリアンの妹。史上最強の“ヴァンラス”。
“冷血のヴァンラス” の異名を持つ。

ガジュー
ケイプリアンの弟。醜い容姿にコンプレックスを抱く。

ナオキ
ミサキの弟。政府関係の仕事をしている。



目次

一、ケイプリアン

二、ミサキ

三、ミラミラ

四、ミサキとケイプリアン

五、わたしの正義

六、ケイプリアン(終章)

▽マガジン



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