ススメ〜、ぼくの学問。

「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という一文から始まる本、「学問のすすめ」をついに読むことが出来ました。原文は1871年発行のため、今回は斎藤孝先生による現代語訳版をゲット。

このあまりにも有名な一文は「人間はみな無条件で平等」という意味で捉えられてしまいがちなのですが、実際は不平等を認めた上での考えとなっています。"天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。しかし金持ちもいれば貧乏人もいる。賢いものも愚かなものもいる。その雲泥の差はなんなのか。それは「学ぶか学ばないか」である。"といった切り口からスタートします。「不平等は存在するが、人間は皆学ぶ権利がある」という旨を主張しているんですかね。

福沢諭吉が言う学ぶか学ばないか、いわゆる「学問」とは、科学や哲学などの知識の集積だけではなく、日常生活で使える学び=「実学」にも重きをおいています。例えば「文字を習い手紙を書くことが出来る学び」に始まり、「欲や良心をコントロールする学び」に至るまでを学問として身につける必要性を説いていきます。

学問を身につける手段として、一貫して強く主張してるのが「アウトプットの重要性」だと感じました。とにかく「口先だけで実行しないヤツ」を批判しています。複数の章にわたって批判しているため、マジで言ってやりたかったんだと思います。

その信念はとても強く、瞑想ばかりしている禅僧に対し、ユーモアまじりに「欲もなければ働きもない」と批判。ひいては論語の一文を引っ張り出し、孔子まで批判するのです。このおじさんとっても面白いですね。このおじさんのおかげで逆に論語を読みたくなりました。

「口先だけで実行に移さない者を批判」とは具体的にどういうことか。それは「議論と実行の両立」を「実行」させるということです。わけのわからない日本語をすいません。彼がそう書いてるので許してください。

福沢諭吉が言う議論とは「外界の事象に関係なく自由なもの」とし、実行とは「心に思ったことを外に表して、外界の事物に接して処理することである」としています。よって議論より実行の方が難しく、制限があるものとなります。どんな学問も実行しなければなんの意味もありません。たまにどっかの論文を引っ張ってきて優位性を豪語し、マウントをとってくる人がいますけど、再現性が低く実行に移せなければなんの意味もありませんよね。どんな有益な情報も、実行して初めて意味があるものになるとだと思うのです。

この「口先だけで実行に移さない…」というのは、小さなことから非常に大きなことまでを指しています。例えば「隣人の生活がだらしないと思うなら、自分が正しい生活をしなさい」と言い、さらには「医者に文句があるならば医者になりなさい」とまで言い切っています。口出しするならばそれ相応の責任が発生するのだと主張しています。

実行して初めて意味が生まれます。他人の間違いを見つける暇があったら、正しいと思う行動を一つでもとれるように。他人の間違いにイライラしている自分に気づいたら、許せる余裕を持てるように。そんな風に生きていった先に出会えた人達から、また新しくて面白いなにかを学べる人間になりたいと思いました。

最後に、冒頭でお伝えしたあまりにも有名な名言と、並ぶほどにカッコいい福沢諭吉の一文をお届けします。

「人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない」

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