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自分との向き合い方


つい先日書いたこのnoteに
磨くこと=自分の本心に確認する。とサラッと書いてしまった。
しかし書いている途中で、そもそもどうやって確認するのか??自分を知るってどうやって?…という昔の私の声が聞こえてきてハッとした。


自分と向き合う。

私にとっていつの間にか当たり前になってしまったこの感覚。でもこれは、初めから出来たかというとそうではないことを思い出したのだ。
せっかく思い出したので、あえて今それを言語化することにする。

自分との向き合い方なんて、100人いれば100通りのやり方があると思う。
いつも同じことを書いている気はするけれど、あえて書くと、正解などない。
誰かのためになったらと思いつつ、私のためにも、自分を整理する目的も含めてここに残していきたい。



意外と大事なのが、準備

方法の前に、環境や状態が自分と向き合えるように整っているのか。これ割と大切。
外部要因のせいにしたいわけではなくて、それを作り出しているのも自分だという大前提で書いていく。


自分が集中できる環境ってどういった場所だろう?

私の場合、1人の空間。出来れば無音。
でもカフェの中のように誰かと同じ空間にいても、"自分は今1人だ"と思えるなら、カフェのガヤガヤくらいシャットダウンできる。

受験期などに、「家じゃ勉強できないから、塾の自習スペースを使っている」と言っていた友達がいたけれど、そんな感じで"自分が集中できる場所"を知ることは重要。


時間はあるか?
私は、前職の時はあまり自分と向き合うことができていなかった。朝はバタバタ。夜はクタクタ。電車は爆睡。土日は外へ。…というのは完全に言い訳ですが笑
朝30分早く起きる。寝る前携帯を触る時間を1時間減らす。それだけで時間は作れる。

でも、あの時の私はあの時間配分がいっぱいいっぱいだった。そういう方も多いかなと思うので、そういう時はやはり仕事自体を見直したりすることも視野に入れてもいいのかもしれない。
そもそも自分と向き合う時間は、意図的に確保しないと作り出せない。というのはよくわかった。

心に余裕はあるか?
自分をみつめると、うわぁぁぁ!ってなるくらい辛いものや恥ずかしいものを見つめる。それを、受け止められる心の隙間は果たしてあるだろうか。

その余白がないと、自分を見つめるにあたって大切な核心部分から、自然と目を逸らすようになる。
現在の状態から変わるのが億劫になって、この状態でいかに自分が満足しているか、という風に脳みそで捉え方の変換を始める。
悪いことではないが、変わりたい場合には厄介。

その心の隙間を作るには、何が足りない?
睡眠時間、趣味の時間、美味しいもの、読書の時間、友達と遊ぶこと、おしゃべりすること…私は、何もすることがない余白時間が少なかったことと、活字不足だった。

時間の余白は、心の余白。
活字不足は、幸せ不足。byちうこ

今は自分で作り出した予定しかないのと、読みたい時に本を読むので心に余裕がありまくりなのである。


こんな感じで、環境・時間・心の余裕を準備することが、自分と向き合うための最初にやるべきことかなと思った。参考までに。



何かに嘘をついている自分

準備が整っていざ自分と向き合おうとする時に、初っ端でぶつかるのは事象を並べて、どうしたらよいかわからないとなること。

例)
私は痩せたい。
だからダイエットを始めた。
お菓子を食べないようにしている。
でもパートナーがケーキを毎日買ってくる。
もうどうしたら良いかわかんなーい!

…みたいな。
だったら、ダイエット中だから買ってこないでって言ったらいいじゃないって言うと、だってそんなこと言ったら嫌われるかもしれないし…と言ってくる。

ここで、まぁいいや!食べてることが幸せだもんね!と自分で解決できるのであれば、そもそも自分と向き合う必要がない。悩みに見せかけた惚気だから、可愛いねでおわり。


…もしそれでも解決できなくて、だってとでもを繰り返して自分の中で悶々としてしまう場合。
何かに嘘をついている。

そういう時の朝は、基本見つめると苦しいものだから、あー目逸らしてるな自分。
認めてあげるだけで前進。

そこを認めたら、さらに嘘をついている
そのなにかを徹底的に考える。

私の経験上、自分にとってこわいという気持ちや、自分が恥ずかしいと思うこと、他人を羨む感情など、なんかしらの痛みを感じるものがここには潜んでいる。

例)
・パートナーに嫌われるのがこわい
・誰かに体型を笑われると思うとこわい
・パートナーと仲の良い友達に嫉妬している
・ただ、いい女風なことを言いたいという見栄

こんな風に目を逸らしていた何かと向き合った時、自分の心の本当の声が聞こえるようになる。
△ダイエットがしたい→◯自分に自信をつけたい

私は今、自信がないんだなぁ…そうかぁ…。
まできたら、一回自分を褒める。
カッコ悪い自分とたくさん向き合って、心が苦しいね。でも偉い!!もうこっからカッコよくなるだけだ!いいぞー!!

…このような流れが、私が自分と向き合う時の手順かなと今は思っている。



向き合った先に


ここまできたら、自分と向き合うことは出来るといっていいのかなと。あとはその原因をどう取り除いていくかを考えるだけ。

またさらに深掘ればよいし、きっと自分で答えを見つけられる。
これ以上考えてもわからない場合は、現時点の自分で解決できるものではなかったりするから、周りにヒントをくれる人がいたりする。神様がそうしてくれる。神さまは優しい。



心に余裕がないと、このカッコ悪い自分を見つめることができないから。気が付かないふりをして、でもとだってを永遠に言い続けることになる。

それはそれで、弱い自分を見つめて前に進むことに耐えるだけの心が出来上がっていないから、ある意味自分の心を守っているともいえる。
そういう場合は、別に無理して自分と向き合う必要もないのかなと。

ちなみに、自分と向き合うことが出来ていなくてわからんわからんと苦しんでいる時も、真剣に向き合っていたら神様は周りの力を使って背中を押してくれたりもする。
その場合、結構激しく背中蹴り飛ばされることも多いけど。それに耐えられると神様が思った場合のみ。


今回このようにまとめたことで、今後自分を見つめられないという状況が起きた時に、振り返る場所が出来た。

私は4月からは環境を変える。
だからきっと、今当たり前に出来ていることが出来なくなる。そのための備えの気づきなのだと思うと、小さなことに気がつく今の自分に感謝したい。
きっとこのnoteは、今後私にとって大きな意味をもたらすのだろう。

あわよくば、誰かの気づきになり
自分が心から愛せる自分でいられる人が増えますように。


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