見出し画像

お受験への道

気がついたらもう2024。

最近ひろし、わたし、あんじにすみれの
4人のスケジュールが
毎日違うから
もう頭で記憶できない。

昔バイトしてた時
よくしてたこと。

「メモをとる。」

人間はそもそも記憶ができない。らしい。
記憶できてしまったら
人間の大半の人が辛い記憶に潰されて病んで死ぬんだって。

メモする前は自分のことと子供のことちょっと
ぐらいだったのが
今はもう!1日何もない日なんてなくて
時間もバラバラで
弁当も昼いる日、夜いる日、とさまざま。

買い物もお弁当増えるから
弁当にできる料理に切り替え。

冬といえば鍋。
野菜もなんもかんも鍋に入れて
沸かすだけで時短できたけど
そうもいかない。

もう毎日ドタバタ奮闘記です。

20年も子育て、家事してきたのに
お母さんてこんなすることあるん?

母親ってすごいって
思っている。
今更やけど。

すること多すぎん?って
子供達、自分、旦那のスケジュール管理
こなしてるんだもんね〜
みんなすごいと思う。

家事だけならええけど
仕事までしてるお母さんも
いっぱいいる。

いつ寝てる?って
よく聞くよね。w

わたしはまだひろしのサポートがあるけど
よく聞くワンオペってお母さん。

どうしてるの?
どうやって毎日こなしとん??って
思う。

たまに見かける。
3人子供抱えたお母さん達。

友達なんて
上の子小学校と学童。
下の子供二人別々の保育園預けて
自分は都心まで電車で移動してフルタイム。
いつ買い物?
いつ洗濯するん?
旦那さんはみんなが家を出た後に起きて
寝た後に帰ってくる。
もちろん家事も育児も一切ない。

え!!
どういうこと?って感じよな。
でもそんな家結構聞くから
驚く。

そりゃ習い事、やりたい事なんて
なったら
送迎。。。。

ぶっ倒れる。
一人では無理やって〜〜。
ほんまに。

長男と次男は
9歳離れていたので
あまり被ることはなかったけど
今回三女すみれが
そんな早い段階でやりたいこと見つかる?って
歳に
「これを学びたい!』って。

去年までは
ひろしとわたしそれぞれ
家事しながら仕事ができてたのが
去年後半からめっちゃ注文数が増えてきて
今年から会社として
別の場所に移転して
ひろしが世の中のお父さんみたいな
出っぱなしに。

本当に毎日毎日
スケジュールが違う日々を
送っていて
さらに
年末にあんじが
「おれあの学校へ行きたい!』と。

お受験です。お受験。

昔独身の時に
「スイートホーム」っていう
お受験ドラマを観ながら

めちゃ人様事で観ながら
小さいのに大変やな〜って
思ってたら
まさかこんな未来が
私に待ち受けてるとは!!!

そんなこんなで
「日々メモ」を
作った。

毎日、次の日の予定をだだだーと
書いていく。

すごく気持ちが楽になった。

頭で覚えておこうって
頑張らなくて済む。

このメモをするきっかけになったもの
あんじのお受験騒動のおかげ。

とにかく学んだこと、聞いたこと
覚えとかないとならないこと
何の準備が次いるとか
書いとかないと
全部、頭の中で覚えておけるん?って
あんじに言った言葉が
そっくりそのまんま
自分に返ってきた。

あ、そっか。
わたしもやな、と。

覚えられないんだから
メモしなさい。ではなく
人ってそもそも覚えられないから
メモしてた方が楽やでと。


去年の暮。
あれは、あんじの人生の分岐点だった。
と今思う。

あの日、ひろしがバスケットの当番にどうしても
行けず
わたしが行くことになったこと。

初めて行ったあんじのミニバスチームの
親達の冷たい態度と
子供達のやる気の無さ具合。

あれは気づきやったんや。
そう思う。

だから、あの親達にあの子供達に感謝する。
ありがとう。
ほんまに。

そんな出来事のおかげで
出会ったコーチとチーム。

今は小学生だから
練習に参加できるけど
中学生になったら
このコーチとこのチームと
この環境でバスケットができないって
ことは
この学校へ入学しなっければならないということ。

正月明けに学校説明会に行って
あんじはもちろんだけど
ひろしもわたしも
私学に通ったことのない二人は
こんなに環境って違うんかと衝撃的だった。

過去の中学時代には絶対に戻りたくないけど
この学校へ通って
中学生活やり直せるなら
戻りたいって強く思った。

中高一貫校だから
中学で高校受験勉強をしない学校で
そんなことよりも
課題に合わせて
自分でテーマを決めて調べて
まとめて発表することを
3年間ひたすらすると。

今大人になって、思うこと。
日本人は意見を発表しないで
あとでこそこそじくじく
あ〜してほしかった、こうだっあら
よかったのにとほざく。

発言する、できる力を
養う。
思考判断を強化していく学習。

これこそ、学ぶ楽しさだと思う。

大人になって、
やっと独学だけど
何かに興味を持って
それをとことん調べて学んで
自分なりに解釈したことを
形にしていくことが
生きるために必要か
自力になるかわかった。

生きていく力。
だと思う。

前に習え、右向け右。
多数決。
その思想が嫌で嫌で
たまらなかった過去の自分。

でも、なぜかこんな
進化してる時代に
そういう思想がそのまんま?

未だに、牛乳はカルシウム取れるって
給食で牛乳が出てくる国公立。

現場の先生達も
昔から変わらない無意味な規則とか
規制に違和感しかないというし。

でも日本に雇われていたら
ストライキが起こせない。
変化がさせれない。

市議会選挙にも行かないから
総理大臣も選んでないから
何も言えないよね。

争わなくて済む策は一つ。

自分の思想に合う学校へ行く。

でも、でも。
誰でもは入学できない。

ここなのよね〜〜〜。

説明会の時に
過去問題をもらってきた。

どうやら、学校によって偏差値が違うから
試験レベルは違うらしい。

どんなに入学したくても
レベルがどんなに頑張っても
無理だろうってところなら
諦めれたけど
あんじの志望校は
県内でも偏差値が結構低いらしく
ほなら、あと一年あったら
なんとかなるんちゃんと。

これがまた甘かったね〜〜〜。

なにせ
私学のお受験なんて通わす
発想がないし、情報もなかった。

すみれは、
どう見ても誰が見ても
ぶっ飛びすぎて
そんなすみれを受け入れてくれた
幼稚園がたままた
幼稚園から高校まで
試験はあるけどエスカレート内部入学
できる私学で
受験戦争に巻き揉まれんで済むわ〜なんて
たかをくくってた。

やから、まさか。
しかも勉強が
一番苦手なあんじが
受験する?

え?って。

でも親だからわかる。

こいつがやる気を
見せた。

ほな、わたしも
みこし担いだらんと!

でもすみれのおかげで
すみれの幼稚園周りで
知り合いになった
私学でずっと
代々学校行ってる的な
お母さん達から
情報をマスコミぐらい食いついて
聞いて聞いて生情報を
かき集めることができた。

あんじのために。
まずはなんでも情報収集。

「ネットに落ちてる情報なんて古い」と
スィートホームでも言っとった。

みんな優しいから
さらにコミニティー内で
あんじのために
いろんな情報をくれた。

ちなみにあんじは
去年の過去問は
数学0点、国語20点。

ひろしは過去問見て
これなら余裕でしょって
思ったら、
まさかのーーーーゼロ〜〜〜〜。


あんじはほんまに勉強が嫌いで
机に向かったらそっこ
だら〜〜〜ん。
特に文章問題が苦手。

でも。
今思うと
苦手じゃなくて
めんどくさかったんだろう。

何聞いても
忘れた。
わからん。

この前、チョコプラが
やってた
宿題をしてこなかった6年生だっけな〜
そんなコントが
あんじとおんなじ答え方で
男の子って多かれ少なかれ
おんなじような子供おるんやろうな〜って。

聞かれたことに対して
考えて答えるのがめんどくさい。

漢字も画数が多いし
なんだっけって考えることが
めんどくさいんだろうと。

今そう思う。

なぜなら。
自分の実力を知り
行きたい学校の実力を知り
今までやってこなかった勉強を
たった数日やっただけで
あんじが
ちゃんと会話ができるようになった。


いつも。
え?いつの話?
え?それは誰の話?
え?なんの話?って

あんじの話は
なぞなぞだった。

こっちが考えて
それって昨日の話?とか
バスケットのこと?とか
答え合わせ。

それが、
いつ、だれが、どこで
何を話して、おれはこうして
ほんでからこうすることにしたんよ。と
ちゃんと一気に文になった。

あんじのこの変わり具合は
わたしもひろしも
すぐにわかった。

そして、人って
こんな変われるんやな。

そして、5科目を
勉強する意義が
ずっとわからなかったけど
あんじの態度を見て
受験を私なりに調べて
勉強の大事さが
とても理解できた。

この年で、初めて理解した。

誰でも教えてくれなかった。
なんで勉強せなあかんお?の質問に。

大人は、大体の答えが
大人になって苦労したくないやろ?
って。

勉強しなかったから苦労するって
なに?って。

大学へ行けないとか
ええ仕事につけんとかそういうこと。

でもそんなん全然納得できんかった。

お父さん中卒やけど
社長でめっちゃ稼いで
ええ生活してるやん!って。

お父さんはきっと学歴はないし
勉強も私と同じように
やる意味がわからなかったんだと思う。

だからお父さんも私も
勉強する意味が学生の時に
わかっていたら
もっとでかいことできたし
もっといろんな人と関わって
もっといろんなことができたんだと思う。

わたしはちなみに
外国へ高校中退して
出たけど
ロンドンで
日本はどんな国?
どんな文化?
総理大臣はだれ?
政治はどんな風に行われているのか?

聞かれたけど
何も答えられなかった。

そん時初めて、
無知ってださって
はずいって感じた。

ほんで帰国して
高校へ単位取った分の履歴書を出してもらって
残りの単位を大学資格検定で
一発で取ったろと
東京でバイトしながら
勉強した。

高校に行ったけど、勉強してないから
高校の問題が解けない。
悔しいから、その当時働いていた
バーの学歴あるお客さんに
勉強を教えてもらったりした。

1年に一回しかないチャンス。
逃してたまるかって。

高校受験の時こんなにマジに
なれなかったのに。

そして、大人として
ずいぶん生きて思う。

まじめに取り組む。
なんであれ。


目的を常にもって生きるほうが
おもっしょいって
しかも意外と楽なことを、
目的を達成しながら
生き抜いてほしい。

そうなれるには
子供には
人生経験もないし
押し付けは無意味。

でも今回
あんじは自分で
目標を定めた。

あんじの好きなことを
ええ環境でやれることが
どれだけスペシャルなことか
本人が体感した。

そして、
努力しないと
自分自身が頑張らないと
そのスペシャルが手に入らないって
わかった。

でも、だからといって
今まで
ぜーーーんぜん勉強を
してこなかった。

自分ごとじゃなかったから
授業も上の空だったと思う。


でも、受験するって決めて
スイッチが入ったやつは
ひろしに教科書を持参して
「今日習ったけど
意味がわからん。教えてほしい。」

え!!!!!!!!!
って。

あんなごろごろ
だらだらして
ゲームが指定時間できなかった日にゃ
ふたくされ
テレビをどっちが見る見ないで
すみれともめ続け
負けたら半泣きだった
あんじが。

ゲームもしない。
画面は
バスケのために
ストレッチ動画だけ。

おんなじ子?って。

おれ塾に行きたい。とも
自分から言うた。


ほりゃほうよなーー。

そんで調べたら
1年しかない受験のことを
「一年受験」って
言うねやな。

塾によったら
もう時間が足りないと
入れてくれん。って。
え!!
3年生、早い子供は
もっと早いって。

えーーーー。

入塾テストってのがあって
偏差値低かったら入れてくれへん。って。

なに〜〜〜〜〜〜!!!

そんなん知らんかった。

どないしようって
思ってたら
ええ風が吹いた。

看板も出してない
紹介でしか入れない塾を
知り合いから
紹介してもらえた。

こんな私の小学生の時代にあったような
個人塾に巡り会えるなんて
ラッキーすぎる。

お弁当持ってきな。って、
おやつもいいよ。
途中でバスケットしてもいいから
ボール持っておいで。って。

ビルの無機質な一室じゃなく
お家。

まるでおばあちゃんちに
いるような安心感。

先生も35年経歴があって
孫3人。
この先生好きじゃ。って
私が思った。

大体、わたしがこの人なんか
嫌だって思う人は
子供達も無理で
この人好きって人は
子供達もいけるんよな〜って
言ったら
おちづが癖強すぎるから
そんなおちづを受け入れられる人は
子供らなんか安易に受け入れられるわと。

人生は
そこでなにかをしなかれば
ならないことはないけど
すべての出来事の先に
自分を成長させるなにかが待っている。

不運な出来事だとしても
その先に不運だった理由がある。

あんじが受験に失敗しても
きっとこの1年間で
ものすごい成長をすると思っているし
蓋を開けてみたら
中学受験よりも高校受験の方が
大変だったことを知った。

これにあんじも私ら親も気づいてなかったら
高校受験取り組めなかったかもしれない。

あんじに関しては
20歳までに元気でとりあえず小学校で
勉強する読み書きと計算ができたら
望むことはなかったし
今もそれは変わらない。

でも本人がそれでは嫌だと
自分から変わろうとしている。

大人になって出会う人で
ものすごい偏差値の高い高校や
大学を出てる人に
すごいな〜って
言っても
本気で
「そんなん誰でもできること」と
言う人がいる。

あれはなんなん?って。

ひろしに聞いたら
きっと
そう言う人は
自分がそうしてもそうしかった
わけじゃないけど
親とか周りに言われて
そういうもんだ、その道が正しいと
言われても反抗せず
やってきたから自分の手柄じゃないんだろうって。


子供を産むのは
命かけるけど、授かったら
産むだけやし
保育もできる。

でもその子が
夢中になれることを
本人が巡り会えることって
まぐれだと思う。

そしてそのキラキラを
するためには
我慢も努力も辛抱も
する、できる、やれるって
スイッチを入れるのも
安易じゃない。

この微かな灯火を
消すのは自分
でっかく燃やすのも自分dなけど
親が、周りが
消さないように
親のわたしらが
しっかり支えてる。

あんじお受験まで
1年。

バスケットと塾で
1週間が終わる。

すみれはバレエ。

おちづとひろしは
送迎で
2度往復する時もあるし。

それでも
応援したい。

母ちゃんすること
めっちゃ増えたけど
メモ帳で
なんとか乗り切る。

彼らのためにできるなら
なんだってする。

大好きなお洋服も
アクセもカバンも
何年も買ってないし。

でも子育ては
今しか使えない。

子供なんてすぐにデカかくなる。

あんじだって、あと
7年したら18歳。
大学に生になれなかった
とりあえず子育て終了。

最近はおじさんになっても
おばさんになっても
実家で上げ膳据え膳の
人たちもいっぱいおるけどね。


1年後、想像してない未来を

おちづとひろしの人生の共通課題だけど
今の所
そんな感じで
どんどん景色が変わってるな〜〜。

死ぬ際に
思い出せるぐらい
この1、2ヶ月の
あんじの大きな変化。
人生の変化。

おもろいな〜〜〜。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?