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【新型コロナ】まあ落ち着け。なるようにしかならない

2003年にSARSが大流行した時、私は死者が多数出た中国南部に住んでいた。

政府も医療機関も報道機関も混乱していたのか、まるで今の日本のように雑多な情報が錯そうし、一種のパニック状態に陥っていたのをよく覚えている。

マスクがまったく手に入らない状況も、デマでスーパーやドラッグに人が押し寄せるさまも、笑ってしまうほど今と同じ。まさに「歴史は繰り返す」を目の当たりにしている状態だ。

今回のCOVID-19はSARSよりも感染率が高く致死率が低いといった違う面もあるが、未知のウイルスに人々が右往左往している様子は全く同じで、まるでB級映画を見ているようだ。

そんな光景を眺めながら、どこか他人事のようにこの緊急事態をとらえてしまうのは、今回の流行が初めての経験ではないからだろう。

今回のようなどうにもならない事態においては、どんな未来が待っていようがなすすべもない。ただ、今できることをやるしかない。それしかやるべきことはない。

・手洗いやうがいを丁寧に行う
・急用もないのに人が密集する場所にはいかない
・ちょっとくらいの不調で病院に行かない

以上のルーティンを流行が収まるまで馬鹿みたいに繰り返すことが、今の私たちが行うべき義務ではないか?

ところで、2003年と今年のコロナ騒動を比べて気づいたのは、「母国にいる今の方が、海外に住んでいた時よりも怪しい情報に踊らされやすい」ということだ。

思い返せば、2003年当時は限られた日本語放送や現地マスコミの情報しかなかった。

そのような限られた情報しか得られない状況では必要な情報も入ってこないが、それ以上によけいな情報を見聞きする機会がなかったのは幸いだったのかもしれない。

その結果、「今何が必要か」「どのように行動すべきか」などのことを自分の頭で考える必要に迫られ、「とりあえず今できることをやるしかない」という形で不安で揺れる心を静めることに成功した。

しかし、どんな情報も理解できる言語で入ってくる環境にいる今はそうもいかず、あまりにも多くの情報が入りすぎてもはやカオスな状態だ。

そのせいか、よほど気を確かに持っていないと変な情報に振り回され、いたずらに不安が増大してパニックに陥りかねない。

それはまさに、言葉がわかる母国にいることの弊害でしかないと感じている。

たとえば、一部報道番組やネットで専門家の口から「国家陰謀論」をにおわせるような発言があったようだが、仮に事実であってもそれがなんだというのだ?そんな発言について議論する暇があったら手洗いうがいの回数を増やして感染リスクを減らすのが先決だろう。でないと感染リスクが高まってしまう。

今私たちができる唯一のことは、とにかくコロナウイルスを全力で避けることだ。事実かどうかもわからない情報の一つひとつに右往左往することではない。品薄のマスクや紙製品のためにドラッグストアに大挙することなどはもってのほかだ。

私も2003年はデマや不安をあおる報道に踊らされて爆買いに走ったり、お酢を沸かすなどの怪しげな民間療法を実践したりした。

しかし、当時デマに扇動されて爆買いしたマスクは使い切るまでに15年近くかかった。また、お酢の感染予防効果などまったくなかったことは言うまでもない。

そのようなことを実際にやらかした黒歴史を持つ私から最後に不安を和らげる呪文をお伝えしよう。

「まあ落ち着け。なるようにしかならない」


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