50歳を過ぎてから何かと煩わしい

少し前に、「人間の本当の寿命は今でも50歳。それからはおまけの人生だ」と、いつも行く整形外科の先生に言われた。

それは自分自身が50歳になった頃からずっと実感していることでもある。

50歳を過ぎた頃から体のあちらこちらにガタがき始め、一生モノの持病の持ち主になった。見た目の衰えも顕著になり「老いには抗えないなあ」としみみじ思ってしまう今日この頃である。

加えて、若い頃には自分の中にも確かに存在したポテンシャルや勢いを失ったことも実感せざるを得ない。「そこまで老けるのはまだ早いだろう」と思いながら何とか気力を振り絞り、自らを鼓舞して頑張ってはいるが、体力気力の両面で頑張ることが年々しんどくなっているのもまた確か。

しかし、ある意味人生はこれからが本番である。高齢の親の介護や終活、そして自分の老後の生活や終活など、これまでにない煩わしさMAXな人生最大のビッグイベントが控えているからだ。

ああ、なんで神様は年々衰えていく人間にそのような試練をお与えになるのだろう?自分の人生に幕を下ろすために必要なタスクとはいえ、あまりにも重責すぎやしないか?

それを考える度に「できることなら今すぐ全てを投げ出して人生をジ・エンドさせたいわ!」とさえ思う。後に遺された人に押し付ける形になって末代まで恨まれそうだけど。

そんな風にこれからの人生をネガティブに考えてしまう私は、何を隠そう根っからの長女体質だ。昔から、さまざまなシーンで重い責任を自ら背負ったり他者から背負わされたりしやすい。

長子長女として周囲から「お姉ちゃんだから」とあらゆる責任を負わされてきた。それが自分の役割として引き受けてきたが、もはやそれが板についてしまったので逃げようにも逃げる術を知らない。

それでも、周囲は私をマイペースだ身勝手だと言う。しかし何かあれば周囲が真っ先に面倒事を持ち込む先は私だ。その度にそれなりにまじめに対処しているつもりなのに、面倒事を持ち込んだ方が満足する結果が出ないと「楓はちゃんと対応してくれない」「薄情だ」などと言われるのもいつもの話。

それがどの程度煩わしいかと言えば、リモートワークで1日中家にいる子どもが一部始終を目の当たりにしているが、「よく根気よく向き合っているね。自分なら耐えられない」と言うレベルだと言ったらおわかりいただけるだろうか。

そんなわけで、年を取るほど煩わしいし報われない思いが募っている。

今この時だけ考えればそれなりに人生は楽しいが、その先のことを考えるとただただ煩わしくネガティブな未来しか見えなくて心底うんざりしてしまうのだ。

それが、この年ですでに人生を終わらせたい一番の理由かもしれない。

だからと言って、本当に今すぐ全部投げ出して死ぬにはまだ早すぎるとも思っている。

それでとりあえず人生を投げ出す方向に気持ちがいかないように納期に追われるライターを始めたのだ。

また、長女体質ゆえの責任感が全てを投げ出すことを許さないことも自分でわかっている。

重圧感とか煩わしさで逃げたくなっても踏みとどまらなけばいけないことも重々わかっている。

もちろん実際には逃げずにそれらと向き合うつもりだが、やっぱり逃げたい気持ちだけは変わらない。

まあ、最近は仕事や体調不良などを理由に「わがままには付き合いきれません」「自分のキャパシティの範囲でやらせてもらいますわ」というスタンスに方向転換し、すべての煩わしさや重責が自分一人に向かないように留意しているが。

少し前からそのスタンスを取るようになってからさらに恨み言を言われるようになったが知ったことか。これ以上わがままを黙って聞いていたら私が倒れてしまう。それで困るのはあなた方だ。

そう思いながら、最近は少し無責任になることを心がけながら生きることにした。でないと親に逆さを見せる羽目になってしまう。また、現在コロナ禍のせいでまだ会えていない孫とのご対面を果たすまではとりあえず生きていたい。

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