見出し画像

自らの老いを素直に受け入れる

母は50代の頃、自分の老いを自覚したことも受け入れようと思ったこともないらしい。

それが災いして、90歳近くなってできないことが増えても、自らが老いた事実を受け入れられずに苦しんでいる。しょっちゅうそのことで愚痴を言っては泣いており、周囲がそれに振り回される構図が出来上がっている。

一方、私は酷い更年期障害と持病発病の影響で強制的に老いを受け入れる努力をせざるを得なかったが、今思えばそれでよかったと実感している。気持ちだけ若くても体が追いつかない現実に直面したおかげで、今の自分にできることで人生を楽しむ方法を探す方向性にシフトチェンジできた。

これから私にはどんどんできないことが増えていくだろうが、それを受け入れながら余生を過ごそうと思う。(子育てが終わった時点で自分のこの世での役割は終わったという思いは年々強くなっている)

母はなまじ病気知らずの健康体だったから、高齢になって病気と共存せざるを得ない現状を受け入れられなかったんだろう。

一方、私は50歳直前に遺伝性の病気を発病。その後新たな持病の発病と鬱で半死半生の状態も経験。そのせいか、割とすんなり老いてできないことが増えた自分を受け入れられている。もちろん完全にではないが。

そんなわけで。
持病持ちの私の50代は母の50代の頃とはだいぶ様子が違ってしんどいことも多いのだが、奇しくもそのことが人生を見直す良いきっかけになった。なんとも皮肉なことだが、それもまた悪くない。

でもそれで母のように老いを受け入れられずに毎日泣き暮らす晩年を迎えるリスクを減らせるのなら、今後も引き続き素直に老いを受け入れながら生きていきたい。

これからいつまで続くかわからない余生を少しでも明るいものにするためにも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?