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「私の『普通』はあなたの『非常識』」その逆もしかり

年配の人の多くは「結婚して子どもがいるのが当たり前、孫もいるのが普通でしょ?」と思うらしい。

また、「女性は夫に従い家庭を守るのが普通。仕事を持っていてもそれは同じ」という信念に近い気持ちを持っている人も多い。

だから40~50代になっても未婚の人を露骨に軽蔑するし、子どもがいない人には障害があるのではないか?なんて心無い言葉を平気で言う人はざらにいる。今問題となっているワンオペ育児だって、そのような年配者の時代に即さない固定観念がまだ根強く残っているからに他ならない。

今は時代が大きく変わっている。そもそも共働きは当たり前の時代だ。それに結婚したくてもできない、子どもが欲しくてもできない人もたくさんいる。もちろん、自ら家庭や子どもを持たない選択をする人もいる。だからそんな年配層の考えはもはやナンセンスだと思う。

しかし、年配の人たちにとっては「家庭を持ち子どもや孫がいる」ことが当たり前で、それこそが「普通の幸せ」であると信じて疑わないから、何を言っても「私は間違ったことなど言っていない」と言いはるばかり。議論しても無駄なぐらいに意見は平行線のままだ。

また、サラリーマン人口が圧倒的に多く、ボランティアという概念が希薄な日本では、フリーで仕事をする人やボランティアに従事する人に「普通じゃない」「おかしな人」というレッテルを貼る人間が結構いる。

私はフリーで仕事をし、2つのボランティアもやっているので、周囲からはよく「物好きだね」「変わっている」「普通じゃない感覚の持ち主なんだね」と、半ば失礼なことを言われることがたまにあるのだが、ライター仲間やボランティア仲間も似たり寄ったりのことを言われている人が結構いて、「ああ、私だけが言われているわけではないのか」と驚いてしまう。

未婚、子どもがいない、フリーランス、ボランティアなどは確かに日本では少数派だ。だから多数派におもねることを好む日本人が考える「普通ではない」人がそのような事を言われるのは「普通」だと割り切り、腹が立つことを言われても聞き流すしかない。

それにしても、これだけ日本を取り巻く状況が変わり、日本の社会構造自体も大きく変化している中で多様化する「普通」の概念を目の当たりにするにつれ、「普通ってなに?」と疑問に感じることが多くなった。

もちろん、「殺すなかれ」「盗むなかれ」「姦淫(今の世なら性犯罪がそれにあたるだろう)するなかれ」といった、明らかに倫理的にNGなことや、社会生活を成り立たせるために守るべきルールについては共通の認識として「普通」に心得るべきことだ。それはもはやどんなに社会が多様化しようが不変であるべき当たり前の「普通」である。

ただ、それ以外の全てのことに関しては、もはや「普通」という概念は各人の「主観」に過ぎず、他者にその概念を押し付けるべきではないと思う。そしてそのような各人の主観に委ねられる事柄についてまるで社会の共通認識であるかのように「普通」と言ってしまう事はとても危険だと思うのだ。

私がそう思うようになったきっかけは、海外で暮らし、日本で「普通」だと思っていたことが現地ではことごとく「非常識」だとみなされたという経験からだ。その時国籍が違う色々な人と接するなかで学んだのが

「私の常識はあなたの非常識」

「あなたの常識は私の非常識」

の二つだった。

そして、人間関係を円滑にするためには時にその相手の「非常識」を許容することが必要だと悟ったのだ。

特に重要なのが「夫婦」における「普通」という感覚の共有かもしれない。それはどちらかがどちらかに自分にとっての「普通」を押し付けるのではなく、お互いにとっての違う意味での「普通」を共有し、違いの「普通」を許容しあう事が離婚を防ぎ、夫婦が長続きするコツなのだろう。

それはかなり忍耐力を必要とする「修行」に近いものだが、相手が未熟ならこちらが大人になり、たまったストレスは他の何かで発散するしかないと思うようになった。なまじ被害者意識を持ってしまえば余計に辛くなる。こちらが一段上の立場で「配偶者」を見下ろすような気持ちになるしかない。この年になりようやくそう腹をくくれるようになり、随分気持ちが楽になった。

まあ、そうはいっても、自分の心身に危険が及んだり、ストレスで病気になるようなら、私と同じようにしない方がいい。私は生活力がないのでその道を選ぶしかなかったが、自分に経済力があれば離婚してもなんとかやっていけるのだから離れる選択をした方が幸せな場合もあるだろう。

たとえ血のつながった親子兄弟であっても、それぞれ「普通」の概念には違いがあり、お互いがその概念の違いを受け入れる必要がある。ましてや、一滴も血のつながりのない配偶者ならなお、「私の普通はあなたの非常識」ぐらいに考え、その違いを受け入れないまでも認める努力はしなければ夫婦なんて続かない。まさに結婚生活は「修行」の毎日だと思う今日この頃だ。

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