見出し画像

父親からの性的虐待で逝った女性「佑月(仮名)」の場合。part4

このエッセイは、「近親相姦」当事者の目線で書いたものではない。彼女達と関わりを持つことになった私の目線で書いたものだ。

だから、「近親相姦」当事者を責めることもなければ、憐れむこともない。無かったことには出来ないが、彼女達を生き地獄から救い、生還させることは可能だと伝えたくて書いている。希望を持ち未来を創造することは決して不可能のことではない!

咲月は、佑月の家に転がり込んだ。二人で互いの身の上話をする時間はたっぷり出来た。
前回、まずは生まれてきて最初に、「自身の安全と人権が守られている。」ことが、生存の必須条件だと書いたが、それには助けが必要だ。
彼女達の同性の親である「母親」は、守ってくれる存在だったのであろうか?
これが次の課題である。子供は愛され励まされ、守ってもらうことで自信を深めていく。失敗するたびに、そばにいて励ましてくれる存在によって、何度でもチャレンジすることが出来るのだ。
逆に、怒られ怒鳴られ、虐待され、否定されて育てられた子供はどうなるのだろうか?

インデアンの教えを見てみよう。

アメリカインデアンの教え

育てたようにしか育たないのが分かりますね。
「母性」について語られることは多いが、親になったからといって目覚めるものでもない。父親に比べ、胎内で過ごす時間が多い分だけ影響が大きいのも事実。喜ばしい妊娠だったのか?望まぬ妊娠だったのか?妊娠中は、安心で安全な時空間を赤ちゃんに提供できたであろうか?夫婦仲はどうだった?などなど、人生全体に大きな影響を及ぼすのが、個人の次に見ていかなければならない家庭環境だ。早めの手当、自分の夫が娘に手を出しそうになったらとっとと出ていき、子供を守る、それが出来る母親なら、そこで問題は解決する。
が、佑月と咲月の両方の母親はそうではなかった。

佑月は、小学校に入学すると母親に訴える。
父親と二人でお風呂に入りたくないと。実の母親はニヤニヤしながら、「どうして〜お父さんはあなたの事が可愛いのよー、一緒にお風呂に入りなさい。」そうやって取り合ってくれなかった。
佑月が、父親から陰部を強くこすられたり、膣に石鹸を入れられるのが嫌だと訴えたにも関わらず、母親はそれを知っていてニヤニヤ笑いながら娘を自分の夫に差し出し続けた。佑月は、そうやって実の母親から助けてもらうことも叶わず、虐待され続けた。冷房を切った部屋に何時間も閉じ込められた。佑月の父親は、日本人なら誰でも知ってる会社の社長だ。贈答品の数は半端ではない。お腹が空いて、お菓子を食べたいとせがむと拒絶されるので、こっそりバームクーヘンを薄く剥がして食べたりして飢えをしのいだ。佑月の母親は色情狂で男をとっかえひっかえしていて、育児放棄をしていた。彼女が大人になり子供向け料理教室を主宰したのは、自分の子供時代、お腹いっぱい食べたかったことへのノスタルジーだったようだ。
世間の子供への扱いには、いつも不安を漏らしていた。

part5に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?