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「レインマン」と「パリ、テキサス」

自閉症(アスペルガー症候群)の実態とはどのようなものかを一般の人に幅広く知らしめたのは、1988年公開、バリー・レビンソン監督による、アカデミー賞受賞映画、「レインマン」であろう。

私は、この映画を公開時に観ているが、Eテレの精神科医、アスペルガーの生涯についての番組の紹介をしたことで、久しぶりに観なおして、詳しいレビューをする気になった。

なおこの映画のすみずみまでネタバレして解説するつもりなので、そのことをご理解の上で以下を読み進めていただきたい。

ロスに住む新車のディーラーであるチャーリー・バビット(演:トム・クルーズ)は、回転資金に苦労して苛立ちながら、忙しい日々を過ごしていた。

ある日、突然「父親が死んだ」という電話を受ける。

チャーリーは、同僚で恋人のスザンナ(演:ヴァレリア・ゴリノ)と週末旅行に向かう予定でいたのを取り下げて、スザンナと共に、遺言執行人のもとに向かう。

チャーリーは、母は2歳の時に死別、父とは、成績が良かった褒美として、49年式ヒュイックのロードマスターに乗らせてくれなかったのをきっかけに家を飛び出して以来、音信不通だった。

300万ドルの遺産があったが、チャーリーに遺されたのは、車とバラのみ。

それ以外の財産は、管財人のもとに預けられるという。

不満を持ったチャーリーは、そのお金が誰のためのものか探し当てようとする。

行き着いたのは、(恐らく)シンシナティの近郊にある、大規模知的障害者施設。

チャーリーがいない隙に、ひとりの男が運転席に乗り込んでいた。

「床敷の色が違う。僕は嫌いだ」

彼は兄だと聞かされる。名前はレイモンド(演:ダスティン・ホフマン)。遺産はすべて彼の今後のために管理されると。

チャーリーはレイモンドの挙動を理解できない。

視線を合わせない。言葉を一方的につぶやく。

決まった時間に「テレビ裁判」を観ないと気がすまないらしく、「一塁手はWho(誰)だ」という言葉を繰り返す。アボットとコステロのギャグだと聞かされる。「フー」という名の野球選手にかこつけたものだ。

チャーリーの病室への侵入は、彼に、いつも同じ日常をやぶられる不安を呼び起こしたようで、そういう時に前述のギャグ(本人にはその面白みそのものがわかっていないのだが)をつぶやくようだ。

野球選手の情報などに即答できる。

それでも不安がおさまらないと「オ、オウ」あるいは"VERN"という奇声を発する。

他の患者のひとりには不安を感じないらしく、その患者は「私は彼の"main man"(親友)だから」と答える。

チャーリーは、担当のブルナー医師から説明を受ける。

彼は「サヴァン」だ、と(英語ではっきりそう言っている)。

「情報のインプットと処理の過程に障害があり、意思の疎通と学習能力に障害がある。自分の感情をうまく表現できない。しかし知能は高い。外界を恐れる。日常はパターン化され、パターンが破られることを嫌う」と。

チャーリーが3歳の時に、20歳のレイモンドが施設に入所した計算になる。

******

チャーリーは無断でレイモンドを施設から連れ出す。

ロスに連れていって、それから裁判をして、遺産の半額をせしめようというのだ。

チャーリーが「カリフォルニアは遠い」というと、チャーリーは、「本物の野球を観たくないか」と誘う。

泊まったホテルでは、病室と同じ位置にベッドと机と椅子を置かねばならない。曜日ごとの食事も決まっている。当然テレビは決まった時間に観ることを要求する。

チャーリーはいらいらしながらもそれにあわせる。

恋人のスザンナは、彼の命令口調に嫌気がさし、「あなたはみんな利用しているだけよ」と、ホテルを後にしてしまう。

「本がない」というレイモンドに、チャーリーは分厚い電話帳を投げ与えていたが、翌朝、メイドの名札を見た途端に、電話番号を当ててしまう。

「Gの途中までは覚えた」と。

メイドはうっかり楊枝のケースを落とし、床にぶちまけるが、レイモンドはその数を即答する。

2人は空港に向かい、チャーリーはレイモンドを飛行機に乗せようとするが、レイモンドは各航空会社の事故がいつ起こり、何人の死者が出たかを、即答し、拒否する。

「カンタス航空だけは死者がない」

「オーストラリア経由でロスに帰れというのか?そんな便はない」

それでも無理に引っ張って行こうとするとパニック。

チャーリーはしかたなく3日かけてロスまで車で向かう決心をするが、高速の事故現場に遭遇すると、またもや事故についてのデータを語り始める。

結局一般道を走るしかなくなる。

レイモンドは、自分も車の運転ができるという。

"I'm excellent driver."

チャーリーも少し折れてきて、すれ違う車種をレイモンドに延々解説したりしはじめる。

彼はチャーリーの貸したパンツを履いていない。

「シンシナティのKマートのボクサーパンツでなければだめ」と言う。

「どこのKマートでも同じだ。Son of a bitch !」

******

チャーリーは途中の地方都市で公衆電話で精神科医を探そうとするが、その隙にレイモンドは車を降り、”Don't Walk"と信号で表示された道の真ん中で立ち止まっている。

見つけた病院は精神科ではなかったが、レイモンドが難しい掛け算や平方根に瞬時で答えを出し、電卓と一致することに医師は興味をおぼえる。「天才だ!」

しかしレイモンドは「100ドル持ってて50セント使ったらあとはいくら残る?」には答えられない。

"I don't know."・・・これもレイモンドが繰り返しつぶやく言葉だ。

「僕は絶対に自閉症ではない」

2人は、「テレビ裁判」の時間になったので、一軒家に頼み込んで見せてもらう。子供たちはアニメを観たかったのに。

ホテルで、レイモンドは「おかしなレインマン(雨男)」とつぶやく。

チャーリーは、幼少の頃、レインマンという名の、空想上の友達(イマジナリー・フレンド)に歌を歌ってもらっていた。

レイモンドがレインマン。

チャーリーの「レインマン」は、空想の産物ではなかったのだ。

二人はその歌を一緒に唄う。

やっと意思疎通ができたのだ。

チャーリーがお湯をわかそうとすると、レイモンドは「ベビーがやけどする」とパニックになる。

実はそれがきっかけで、レイモンドは自分から施設に入ったようだ。

チャーリーは、レイモンドに携帯テレビを買い与える。

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チャーリーは借金のかたに車をみな差し押さえられてしまう。8万ドル。

食事をする時、レイモンドがジュークボックスの曲の番号を即答することにチャーリーは気づく。

レイモンドには答えが「見える」のだ。

チャーリーは、ラスベガスに立ち寄り、金時計を質屋に入れてお金を作ると、レイモンドを服屋に連れて行き、おそろいのスーツをあつらえる。

カジノのトランプ賭博で一気に稼ごうというのだ。レイモンドはすべてのトランプを一瞬で覚えているから。

それは大成功。

レイモンドはカウンターで高級売春婦に誘惑される。すでに金を持っているとみなされたのだろう。「一緒にダンスしない?」

しかし、挙動不審に、離れて行ってしまう。

チャーリーはレイモンドを抱きしめるが、パニック。

"Please forgive me."

チャーリーはレイモンドにダンスのしかたを教えて、一緒に踊る。

「俺たち、バカ(fool)みたいだ」。

チャーリーからの「君を失いたくない」との連絡に、スザンナはホテルに現れる。

スザンナは、エレベーターを途中で止めて、レイモンドに軽くキスするしかたを教える。"wet"。

*****

ロスの自宅に二人は帰りつく。

チャーリーは「フレッドとアステア」のビデオを買ってきて、一緒に観る。

ブルーナー医師は、「20万ドルで手を打とう」と提案してくる。

チャーリーは「たった6日間の兄貴なんて」と拒否する。

レイモンドは台所でピザを温めようとして、レンジから失火してパニック。

チャーリーは一緒に生活する困難さを感じ始める。

裁判所に所見を提出する医師との面談。

チャーリーはあったことを正直に話し、「お金はどうでもいいから兄貴と一緒に暮らしたい」と。

「随分冒険をしたものだね」

そして、レイモンドに、病院に戻りたいか、それともチャーリーと一緒に生活したいかと尋ねる。

レイモンドの答えは両方イエス。

「チャーリーと一緒に、病院で暮らしたい」。

チャーリーも、レイモンドが病院へ帰ることを認めるしかなかった。

"You are main man."

"I'm excellent driver."

二人は頭を重ねる。

駅での別れ。

レイモンドは、「Kマートの服は最低」。

「ジョークだ」

自閉症者はジョークを理解できないはずなのに。

エンディングでは、レイモンドが助手席で途中に撮った写真が次々表示される。いかにも自閉症者が好みそうなショットばかり。

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発達障害の人を相手にする場合、まずはその生活様式にチューニングすることが大事なのだろうと思う。

もとより、それはこの映画では、わずか一週間で達成されたのだが、現実はそうはいかない。援助者の苦労は並大抵のものではないのが現実である。家族のほうがうつ病になることなど、よくあることなのだ。

自閉症の人は、柔軟に周囲からの刺激を処理できないだけで、実は一般の人より「自開症」なのだと、私は産業医科大学の増井武士先生に教わった。

この「自開性」が、かえって常同的、儀式的行為を必要とする。

人は誰でも、むしろ健全な「自閉」能力を必要とすることは、神田橋條治先生も強調するところである。

発達障害ではないが、ひきこもりの人も、むしろ周囲や社会の目を気にしすぎていることも多いがする。

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実は、トム・クルーズ自身が、学習障害で、小さい頃、文字が認識できず、更にはADHD(注意欠陥多動性障害)」であったという。この映画の中でのチャーリーのふるまいにも、多分にADHD的なところがある気がする。

ダスティン・ホフマンは、役を演じるにあたって、障害者施設に長期間入り込み、自閉症者になり切るための修練を積んだという。

彼は、典型的な、スタニスラフスキー・システムの演技メソッドの申し子である。

スタニスラフスキー・システムにおいては、とことん役になり切り、身体的にも同調し、内側から演技する訓練をすることを求められる。

マーロン・ブランドなども、代表者である。

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さて、やっとこのエントリーの表題に入ることとなる。

この映画は、すでに前のエントリーで詳しく紹介した、ジム・ヴェンダース監督が、4年前に制作した、「パリ、テキサス」に多大なヒントを得ていると思う。


どちらの作品とも、ロードムービーの代表作と言われるだけではない。

弟(「パリ、テキサス」のウォルト、「レインマン」のチャーリー)は、共にロスで働いているし、前者は高級看板屋、後者は車のディーラーと、なんとなく似ている。

どちらも遠隔地の兄(「パリ、テキサス」のトラヴィス、「レインマン」のレイモンド)のもとに向かい、ロスまで連れ帰ろうとする。

加えて、兄はどちらも飛行機に乗ることを拒否するし、高速道路を走ることも拒否する。

トラヴィスは、同じレンタカーに乗り続けることにこだわる。

前のエントリーでは書かなかったが、「パリ、テキサス」のトラヴィスに、発達障害的な一面があることを、はからずも描いていたことは確かだろう。

もちろん、「パリ、テキサス」はカンヌ、「レインマン」はアカデミー賞であり、様式に違いがあるが、デジャブーをみるかのようなシーンも多いのは確かであろう。

私など、「パリ、テキサス」を、いつの間にか、「トム・クルーズ、ナスターシャ・キンスキー主演」と記憶していたくらいである。

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エンドロールを観る限り、「レインマン」は非常に多くの医師の監修によって制作されたようだ。

大学院生だった私の周囲には、この映画を観た人は、ひとりもいなかった。

まだ、そういう時代だったのだと思う。

今の若い世代の人は観ていない場合も多いと思うので、お勧めしたい。



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