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英語は勉強したくない、難しいから

老大ラオダー(9歳)の発言。
そう言われた時、わたしの脳裏の中を、イタリア語の不規則動詞の変化や、冠詞やら時制やら、再帰動詞やら、全く把握できないふやふやなそれらがぐるぐるめぐった。
そして、ふと思った。いや君たちイタリア語話してるやん。
どう考えたって英語の方が、変化の数で言えば楽やろ。(*エセ関西弁なのは勘弁してください)
老大は最近ハリー・ポッターもイタリア語で読んでいるし、彼の父親の大仙(という呼び名にしておく、彼は中国で時に周大仙と名乗ったのでそうしておこう。呼び名が変なことは知っています)とは、普通にイタリア語で話している。
さっき出てきた再帰動詞も(わたしの中で)悪名高い接続法(Congiuntivo)も現在だろうが過去だろうがいつの間にか普通にしゃべっている!!!!!!羨ましすぎて禿げそう。ちなみに彼はイタリアで一年の小学校生活で文法の授業からは脱落しました。わからない、いやだ!で逃げていますが、それでも喋れるし、わかるんだ!!!(イタリア語の文法を勉強したくない気持ちはようわかるで)
イタリアでは多分、日本の小学生は漢字を頑張って勉強していくように、自分たちの話しているイタリア語の文法をひとつずつ確認するように勉強して、客観的によくしゃべる・書く能力を身につけるようだが、小学校3年生に入ってしまったために、すでにしゃべれるけど、(その当時は)読めない・書けない彼には荷が重かったのだった。

そんなら英語の変化なんてちょちょっと覚えたらええやんけと思うのだが、英語は「難しくて」よくわからないらしい。
「何が」難しいのかは言語化できないようだが、「難しい」らしい。

よく考えれば、彼にとっては初めての「外国語」なのだ。お父さんは英語を喋るが、子供に話さないし、家では両親は英語でやりとりしないので、彼にしたら本当に身の回りにない初めての言語なのである。
初めて、外国語を学ぶという行為になるので、そこの難しさがでてきたのだろう。
老大だって、苦労してイタリア語を習得してきた。大仙がひたすらイタリア語で話しかけ、二人称の習得に苦労しながら、少しずつ話せるようになったのであって、それは親は知っているのだが、「教室」で習ったわけではない。老大は彼の生存に必要な、「父親と話す」ということによってイタリア語を習得してきた。
何せ、老大の時はまだPDで育児休業がとれなかったので、産休あけで仕事に復帰したからだ。家に残された生後二ヶ月の子供を、育てたのは父親である。

そう考えたら確かに難しいのかもしれないが、それでもわたしは、まだ「簡単なんじゃないかな」とは思っている。
老大にとって英語が少しでも「やると楽しい言語だよ、世界の人とおしゃべりできるよ!」になることを祈っている。

うちの二人は中国語には興味があるようで、「ママ、僕たちが中国語で話せたら家の中全部中国語にできるね!」とか言ってくれるのだが、ママ、それはいやだな。
中国語をやってくれたら嬉しいけれど、家の中はこの子達が大きくなっていくにつれ何語になっていくのだろう。何かに統一することなく、日本語とイタリア語の横断をしていたいな、と思う。
わたしも夫も中国語ネイティブではない。うちの息子たちが自分の記憶を紡ぐ言語として、夫とわたしの母国語が存在してほしいと思うのは、親のエゴかなあ。

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