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え、それってルールじゃなかったの? 安部聡子

しばらく本番がなかったので、地点のルールブックなるものを作ることになり、『三人姉妹』に取りかかっていた時のこと。
自分がルールだと思っていたことが、ある人たちにとっては全っ然ルールだと思われていなかったという事実が判明してガク然とした。

『三人姉妹』の舞台では、ヒトは一人では立てない、自立できないものだと思っていた。だからヒトは一人壁にもたれ、四つん這い、誰かを頼ってちょっかいを出して触れていないと発語もできないのだと思っていた。(多少の例外はあるにせよ)だからヒトビトは抱きつかれ押しのけあい、あちこちでくんずほぐれつの闘いと対話が勃発しているのだと思っていた。
ところがどうでしょう!

「それはルールじゃないね。」
「全然自立して立ってたよ。」
「一人で壁動かしながら喋ってたし。」
「……。(ノーコメント)」

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「え、それってルールじゃなかったの?」わたしゃ軽く叫びましたよ。

「そもそも、ルールっていうのは演劇をつくるためのルールであって観るためのルールじゃないから。」ある人はこう諭しましたね。
なるほど。ですから出来上がったものは例外だらけ、ということだってあるわけです。しかしここには『おもしろければOKか?』『やっぱり悲劇だった』クラスの大きな問題、現代演劇とは何か、という問題が横たわっているような気がします。

現代。
そこにはチェーホフの『三人姉妹』の言葉を持ち台詞として行使できる9名がいる。

物語の時間軸にとらわれずに発言権は次々に受け渡される。

しかし同時に彼ら/彼女らはそれぞれ一つの役名を授けられたことも忘れてはいない。その役に見合う機能も全うしなければならぬし、この集団のなかで自分が生ききることも考える。
時にルールを利用し、時にルールを逸脱迂回しながら言動の欲求を実現しようとする。

斯くして9名は自分自身と演劇との闘いの様子を観客に投げかける。

今度『三人姉妹』を再創作するときは配役も取っ払ってみますか。
……おもしろくなさそうなのでやめときますか。
いずれにせよ、わたし(ら?)は叫ぶだろう。
「え、それってルールじゃなかったの?」

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三人姉妹』のルール〜動かない三人姉妹を超えるには闘うしかない


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