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『ファッツァー』のルール 〜空間現代の音が戦場を作り出す

地点『ファッツァー
作:ベルトルト・ブレヒト 翻訳:津崎正行
音楽:空間現代
初演:2013年10月、アンダースロー
上演時間 70分

音は銃弾だ。
爆音は砲撃だ。
とにかく、バンドの音に当たったら死ぬ。台詞を発語していても死ぬ。やった。台詞をズタズタにできる。

ということで、『ファッツァー』は空間現代に台詞の分断を手伝っていただきました。どういうことかというと、彼らが演奏している音の隙間を縫って台詞を発語するというものです。隙間を狙うわけですから、当然台詞は途切れ途切れになります。そして音に当たると死ぬ。といっても、音を発している彼らは殺そうと思っているわけではなく、彼らの時間で演奏しているだけなので、言ってみれば俳優が勝手に射撃訓練の中に突っ込んでいって勝手に死んでいるみたいなものです。

こう書くと少しコミカルにも感じますが、このルールが開発された時は台詞も覚えたてなのでちょっとでも台詞に詰まったり思い出したりしているとバンバン銃で(音で)撃たれて即死です。恐怖。次に喋る人もあたふたして死亡。次の人はのっけから音と衝突して死亡。一応死ぬ時は「ぎゃー!」とか「う!」とか叫んで死ぬルールなので阿鼻叫喚です。もう人がばったばった死んでいってリアルに地獄です。たちが悪いのが一生懸命に台詞を思い出しながら発語しているので、弾が当たっても気づかずに喋り続けてしまうことです。

俳優「(台詞喋ってる)」ジャ!(音)(死んでない)
演出「当たってるよ!」
俳優「(台詞喋ってる)」ジャ!(音)(死んでない)
演出「だから、当たってるって!」
俳優「‥‥‥え!?」
演出「音!」
俳優「え!?‥‥あ、ん?ああ、ぎゃー!」(死んだ)

二つのことを同時にやるのは難しい。

思い出しながら喋っていると弾だろうが大砲だろうが当たっても死にません。死ななきゃいけないことに気づかないのです。不死身、いやゾンビです。ゾンビが喋り続けている。そして演出に「さっきから当たってるよ早く死んで」と言われます。

なんかやっぱりコミカルな感じがしますが、俳優は必死です。いつ来るか分からない音に怯えながら台詞を喋り、すぐ死にます。(開発された当初は曲がどんな感じか掴みきれなかったので終始極限状態でした。)この切羽詰まり具合は戦場さながらです。俳優は本当に死んでいるのです。死ぬことを信じられると言った方がいいでしょうか。言い換えるとルールを信じられるということです。つまり、演劇が豊かになる瞬間です。このルールは成功しました。

空間現代とはこの作品を皮切りにどんどん共同作業をしていくことになります。彼らと作業するといい結果を生むことが多いです。それは彼らの音楽の考え方と地点の演劇の考え方の相性がいいのだと思います。どちらもルールを自らに課しています。難しい作品になるなと思うと「空間現代のスケジュール聞いてみて」となります。

しかしまあ、コラボレーション、パートナー、色々言い方はありますが、他力本願というのが本音かもしれません。ルールを作り出すのは本当にしんどいのです。

もう大体ルールは書いてしまった様な気がしますが、この後もどうぞ読んでください。

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  ルール
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糞ったれ
戦争
兵士
地下
塹壕
仲間
多数決

状態
・壁に追いつめられている
・辺りをうかがう
・バンドが発する音と同期とまではいかないが、気にしながらストップモーションをする(動と静 銃撃戦の恐怖)
・前に出ようとするがすぐ壁に戻る
・壁から1.8mの所に幅90cmの溝があり、溝の手前にセンサー(光線)があり、センサーに触れるとベルがなり、ストロボが点滅し、危険を知らせる(安全地帯 危険地帯 境界)
・センサーと溝をまたいで向こう側に行くこともできる

発語
・基本的に客席に向かって発語する
・音に当たらない様に発語する 
・音に当たったら発語をやめて言葉を発して死ぬ(ぎゃー、うっ)
・任意で生き返ることができる(辺りを警戒して)
・少し音にかぶった(弾がかすった?)程度なら「ぐっ‥」となって持ち直すことができる

稽古場覚書き
空間現代の音の間を縫って喋る稽古を続けていると、しばらくして、俳優が早めに台詞を切って音待ちをするという現象が現れた。

最初のうちは音が来るまでの空白の緊張感を楽しめるが、多用されると、演出家が飽きて我慢できなくなり、台詞が切れてから空間現代の音に撃たれるまでの空白を出来る限り台詞で埋めるようにと演出が入る。(台詞が切れた瞬間に空間現代の音がくるととても気持ちよくカッコいい。)

しかし、当然ギリギリまで粘って台詞を入れるとどうしても撃たれる確率は高くなり、台詞が前に進まないので、台詞を切ってから撃たれるまでの空白を埋める手段として、口笛、笑い、奇声?、爆撃の擬音語(ドゥドゥドゥ)などが用いられた。

台詞を喋っている本人、あるいは、他の俳優も用いることができ、これらの俳優が発する音に、空間現代の音がぶつかっても例外的に死ぬ必要はないというルールが追加された。

ジェスチャー 
・常にではないが、台詞と同期して身振りの様なパントマイムの様なジェスチャーがある 
・具体的な動作もあれば抽象的な動作もある
・それは爆音の中で訴えるために生まれた手話的なものかもしれない

糞ったれ
この作品では「糞ったれ」という言葉が印象的に使われている
あるシーンでは「糞ったれ」と言うと次の人に順番が移るバトンタッチの役割にもなっている

海外公演での「糞ったれ」
この作品は海外公演を頻繁に行なった。地点は海外公演の時に台詞の一部を現地の言葉で発語することがある。ファッツァーだと「糞ったれ」になった。稽古場で発音を練習して行くのだが、現地でも通訳さんなどの本場の発音を聞いて練習する。俳優は散歩しながら習った発音を練習する。周りの人が変な目で見てくる。当たり前だ、外国人がおぼつかない発音で「糞ったれ」と呟いているのだから。あとで通訳さんに言われた「あまり外で言うのは控えましょう」。考えれば分かることだった。

(しかしこの後、糞ったれを現地の言葉で発語するのはなくなっていった。理由は日本語の糞ったれと現地語の糞ったれのニュアンスが微妙に違うため、日本語の糞ったれのつもりで現地の言葉で発語すると観客の印象がブレるからである。)

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空間現代のルール 
(ドラムの山田君に書いてもらった空間現代側のルールです。)

・上述の「音に当たったら発語をやめて言葉を発して死ぬ」時は、空間現代3人で完全に同期した演奏のみ。

・ファッツァーのテキストから作られた文章をリズム化した後に分断してフレーズ化している。分断するポイント、間(空白)の長さ、周期の回数は台詞と無関係に決まっている。

・再開はドラムの振りに合わせて3人同時で。

・数回訪れる長い空白を経る毎に、リズムが複雑化、凶暴化していく(これも全て決まっている)。

俳優は音に当たったら死ぬ。
そのルール上、空間現代は俳優を自由に殺せる立場にある。
ここで重要なのは、上演を重ねる中で台詞を覚えられるようになっても、音を出すタイミングを俳優に合わせないこと。
決まった間(空白)を守りながら、もし俳優に当たった時に俳優が爆死できるように音の迫力をしっかり出すこと。
主導権をバンド側が持ち始めた途端につまらなくなることがわかった。

曲名(演奏順)
*この曲名は空間現代が稽古場で仮につけたものがそのまま台本に記載され、今に至っている。彼らは作曲する時に楽譜を使うわけではなく、口伝えや彼らなりの記号で作業をする。なので、曲の特徴がそのまま曲名になっている。

・ジャッジャ
・ボー
・テケテケ
・歯抜けジャッジャ
・静か分配
・ボー発展版
・アンニュイちょい見せ
・ズレ
・アンニュイ


上演台本抜粋

(文中のコロスやコッホなどは原作の役名。台詞をコラージュしているため複数の役の台詞を同一人物が発語する)
(/は空間現代の演奏)

Sie コロス
戦争に反対する為の戦争。/
それゆえに我々は当初の/計画より長く続いている/この戦争が迎えた三年目/を耐え抜かなければならない。もう一度、土地/を分け直し、新たな手段、より厳しい手段‥‥/(倒れる)

Dai コッホ
(上手から登場)お前たちの誰が俺の友だちで、俺を/土の中に埋めてくれるんだ。もう何も/当たらないようにな。だが、もう/俺が潜り込める場所はないんだ。
(Yoh上手から登場)
やつらは地面の十メートル下まで撃/ってきやがるから‥‥/。(倒れる)

Yoh ファッツァー
四年前から、/粘土層の射撃場や塹壕に横たわって、弾丸が命中しないように逃げ回って、いつも隠れ場所をさがしながら‥‥/(倒れる)

Sie  最底辺の民衆/たる幅広い群衆/が戦争に対して、どのような態度をとっているかなのだ。‥‥/(倒れる)
(AbeとSak上手から登場)

Abe コッホ
もう撃つな。/
コイナー
行くな。気づかれるな。/知らないふりをしろ。
コロス
理解/のできないこと。
それゆえ、彼ら/に対して、お前たちの耳をふさぐがよい。人間的なことは何も聞くことにならないだろうからだ。自然の存在から締め出されて、理解できる物音もたてずに、彼らは死ぬだろう。
没落してゆく者の言うことは無価値だ。
(Koj上手から登場)
希望のない者の行為など何になるだろうか。
そのような者は、もはや人間とは似ても似つかない。
誰が誰を食い殺すのかを知ったところで何になるだろうか、どちらも死ぬことが確実であるならば。
(Yoh、Dai、Sak、Sieずり落ちる動作)

Sie   ドゥドゥドゥドゥ ドゥドゥ

Abe コロス 
不幸な者たちのたわごとなど無価値だ。
彼らの人生はすでに終っている。そして、彼らがなおも言おうと望むことは、もはや何の役にも立たない。
コロス
今日、悲惨な者たちは明日、幸福である。
それが何になろうか、今日のうちにも死すべき身であるならば。
相続人がいなければ、死に臨んで気掛かりなこともない。
彼らが怠るのは、自らの敵の破滅である。それゆえに、み/みを傾けよ。(倒れる。音楽の再開)

Sie 糞ったれ。/糞ったれ。
Koj 糞ったれ。
Sie 糞ったれ。/
Sak 糞ったれ。/
Yoh 人間なら、糞もするだろうさ。
Dai 糞ったれ。/(Abe起き上がる)
Sie 糞ったれ。/
Abe 糞ったれ。
Sie 糞ったれ。
(Koj前進してまた壁に戻る)

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バケツリレーとファッツァー・ごっこ 田中祐気

ファッツァーの洋平タイム〜「Fatzerタイム」 小林洋平

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