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ファッツァーの洋平タイム〜「Fatzerタイム」 小林洋平

「Fatzerタイム」

ファッツァーという単語は不思議な響きがある。日本人には馴染みがない語感だ。つかみどころがない。おもしろいな、と思っていたらある言葉に似ていることに気づいた。

Fワードという言葉がある。いわゆる放送禁止用語だ。
つまりFuck。罵倒や性行為を表す言葉だが、強調する時にも用いる。

It’s fucking cold!
クッソ寒い!

よし、強調したい所に「ファッツァー」を入れよう。これでほぼ完成した。
もちろん、文章が長いので切りたい所とか「ファッツァー鳥」みたいに名詞としておもしろい所には迷わず挿入した。

「すべて、ファッツァーどうでもいいことだ、俺はファッツァー気分が悪いのだから。」

これは典型的なfuckingの使い方だ。しかしファッツァーの使い方はこれに留まらない。ファッツァーはこの不思議な響きとFワードの攻撃性と共に台詞のあらゆる場所に潜伏する。

「夜の七時で、何をしたらいいか分からファッツァーなかったので、水面を見ようとして立ちファッツァー止まった。」

Fatzerも立派にFワードの一員になった。
立派かどうかは分からファッツァーないが。

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原作『ファッツァー』の全体から抜粋、構成。

朝焼けは美しく、人間は心をファッツァー持っている、そして心をファッツァー持つのは大胆なことだファッツァー。若いのはもちろん、年をとっているより、ファッツァーいいことだ。なくなってしまうものは当然ファッツァー、これから来るものより、ファッツァーよくはない。そして、火と煙に満ちた戦場の空気と夏の日はファッツァー、このファッツァーとあのファッツァーほど、違いはしない。すなわち、状況は人間の母親ファッツァーなのだ。ちがうものもファッツァー、ちがう道もファッツァーある。しかし俺はお前たちに、その道を行くことはファッツァー勧めない。人間は人間にとって、まったく判別のつかないファッツァーものなのだ、巨大な胃袋を通ったみたいに。骨もファッツァー、皮もファッツァー、ことごとく胃液ファッツァーで溶かされて、糞の中のファッツァー、魚もファッツァー、林檎もファッツァー、見分けがつかない。それと同じように、人生はにごったファッツァー粥にまみれるのだ、世界の見ている前でそれをファッツァー味わえば。貪欲な口をファッツァー満たそうとして、手を伸ばしたものはファッツァー、空中からもファッツァー、水中からもファッツァー、いなくなったが、それが飛んでいたことが、ファッツァー鳥が、理由ではない、それが海水の中を泳いでいたせいでもない、ファッツァー魚が、それがファッツァー肉のために消えたのは。すべて、ファッツァーどうでもいいことだ、俺はファッツァー気分が悪いのだから。信じてくれ、俺はファッツァー気分が悪いのだ。俺はもうファッツァーできない、自分にとっていいことも、あらかじめファッツァー決められていることも。そして、お前たちには何でもないこと(ベースに)、
(音楽消えていく)雨が上からファッツァー下に降るファッツァーということが、俺にはまったくファッツァー我慢ならないのだ。アルファベットのファッツァーAの後に来るのはファッツァーBで、他の何でもないこと。お前たちにはそれでいいが、俺にはまったくみじめなことだ。ファッツァー、お前は自分の年齢なりの知恵ファッツァーと経験ファッツァーをすべて計算ファッツァーに入れなければならない。それは、割り切れないファッツァー計算だ。
最近、俺たちが鉄の橋を歩いていたときのことだ。夜の七時で、何をしたらいいか分からファッツァーなかったので、水面を見ようとして立ちファッツァー止まった。俺たち、ファッツァーカウマンとファッツァービュッシングは明るい方を眺めたのだが、こいつファッツァーは暗い方を眺めて、陰気にこれからやって来る時代のことを話した。

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洋平タイムとは

洋平タイム、または洋平ショーなどと呼ばれる。
主に小林洋平が台詞を喋る時間。
しかし、ただ台詞を喋ればいいというものではない。
自らが方向性を決め、言葉を選び、手法を考える。
大抵は個人的に勝手に作り始める。基本的に原作の言葉のみを使い、その言葉を組み立て、覚えて、練習し、こんなのできましたと言って発表する。やりたいことを明確に見せるために台本を外した状態で見せる。なので結構練習する。3週間くらい一人で稽古することもある。誰に頼まれた訳でもないのに。

採用されることもあればボツになることもある。どこかのシーンに入れられないか検討し、保留になり、そのままお蔵入りということもある。
保留中もクオリティーを保つために練習しなければならないので、待ってた挙句ボツになるとなかなか辛いものがある。
しかしあくまでも自分でやっているだけなので文句は言えない。

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最近は演出に「この辺りにラップ入れて」とざっくり発注を受けることもある。こうなると方向性は演出が決めているので、厳密には洋平タイムではなくなる気もするのだが、とてもざっくりした方向性であとは全部作るのだからこれは洋平タイムだろう。そして、ざっくりとした発注を受けて、考えて、覚えて、練習して、発表して、ボツになったら、抗議をする。
「だって作れって言ったじゃないか」
演出は言う、だがよく全体を見てみなさい。
グッと言葉を飲み込む。

いつ発表するかは大事なところだ。早い段階だと、まだクオリティーが低く、保留となりお蔵入りする可能性が高くなる。遅すぎたらそもそも作品に入る余地がないかもしれない。
あの時もそうだった。もう作品全体の流れはできていて、しかも結構シリアスだ。今更、まあまあおちゃらけた(あの時はね)洋平タイムが入りそうもなかった。まあ、薄々気づいていた。
私はせめて最後にと思って皆の前で作ったものを見せた。
誰にも見られないよりは、稽古場にいる仲間に見てもらうだけでもいい。

ルールブックを作ろうと思った理由のひとつは、表舞台に出なかった洋平タイムの作品たちを、「こんなのも作ったんだよ……」と未練がましいのは承知の上で、知ってもらえたらと思ったからだ。

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『ファッツァー』のルール 〜空間現代の音が戦場を作り出す

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