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癖毛が治ってブリーチをした話

今年の夏、原色のイエローのハイライトを入れた。Instagramでよく"ひまわりカラー"のハッシュタグをつけて投稿されているデザインである。

しかしあまりにも夏すぎるそのカラーリングは、秋服を着るとチグハグになってしまったため、10月あたりに全頭ブリーチを決行した。今は、くすんだホワイトアッシュである。

友人に派手だねと指摘され、「これはもう全部(色を)抜くしかないと思って」と答えると、すごい理屈だと笑われた。

癖毛だったため、ずっと全頭ブリーチは諦めていた。縮毛矯正とブリーチはすこぶる相性が悪いので、20歳過ぎから約8年ほどお世話になっている美容師さんに止められていたのだ。一度高校時代にむりやりブリーチをしたことがあるのだが、チリチリの縮毛になって激しく後悔した。

けれども、今年になってから髪質に異変が起きた。3ヶ月に一度は縮毛をかけなければゴワゴワのラーメン状だったわたしの髪の毛が、いつのまにかストレートとはいかないまでも柔らかく艶が出るようになったのだ。

美容師さんに指摘されて初めてそのことに気がついた。気がつけばわたしが最後に縮毛をかけたのは、去年の10月――新婚旅行前になっていた。

「最近髪質めちゃくちゃいいですよ!これ、もう癖毛治ってますね!これだけ縮毛してなかったら、全頭ブリーチいけますよ!」と美容師のお姉さんの威勢の良いお墨付きのもと、わたしは10年ぶりに全頭ブリーチに踏み切った。

2回連続のブリーチと、その後のカラーで頭皮は燃えるように痛んだが、その痛みよりもなによりも高揚感で胸はいっぱいだった。

以前からお姉さんには、「チカゼさんはストレスが髪に出やすい」と言われていた。「学生時代バイト先で嫌な目に遭ったときも、卒論のときも修論のときも、新卒で働いた会社員時代も、マリッジブルーのときも、追い詰められてるときは決まって髪傷んでたよね? チカゼさんが愚痴多めのときっていつも髪が傷んでた」とも。

なるほどたしかに、定期的に美容院でトリートメントをしてもらっているにもかかわらず、髪がごわつく時期はあった。言われてみればそのタイミングはだいたい、海外旅行帰り(いつも水質で髪をやられる)かストレス過多の時だったと思う。

うつが寛解したから癖毛も治ったのかな、とそのときふと頭に浮かんだ。結婚して元凶であった親と離れ、症状が強く出て夫に当たり散らして泣いた結婚1年目を乗り切り、国籍問題も解決の目処が立ち、自身のセクシュアリティについてもうまく飲み込めるようになって、ここ最近やっと安寧の日々を送っている。

加えて、派遣のライターとして働いていた会社を辞め、コロナ禍でフリーランスになり、苦手な人との関わりを一切断つことができた。他人と接することに極端にストレスを感じるわたしにとって、実はこれがうつの寛解にいちばん効いた気がしてならない。

外見のコンプレックス解消が、気持ちに与える解放感は大きい。美容整形も化粧も、本当は外見ではなく「こころ」を癒すためにあるのだとわたしは思っている。

施術が終わり、透けるようなホワイトアッシュになった鏡の中のわたしは、永遠の憧れである『風と木の詩』ジルベール・コクトーにすこし近づいたような気がした。似合いますね、とお姉さんは褒めてくれて、わたしはへへへと照れ笑いをした。

髪は、わたしを自由にする。

今週また美容院に行って、再度ブリーチをしてもっと白っぽくしてくる。3回目(ハイライト部分は4回目)のブリーチだが、意外と今も傷んでいないので、ケアさえしていれば大丈夫な気がする。

理想の髪色に、理想の容姿に近づけば近づくほど、わたしのからだはわたしのものになっていく。父や母の望むわたしでもなく、父の一部としてのわたしでもなく、わたしが選択したわたしの姿だ。わたしの容れ物にふさわしく塗り替えた、わたしのからだだ。

髪を染め、ピアスを空け、タトゥーを彫るたび、わたしは実感するのだろう。わたしのからだが真に自分のものであるということを。そんなことを思いながら、ブリーチで明るく煌めく髪で、わたしはうきうきと家路に着いた。

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