見出し画像

自分を幸せにするために、最適解を探し続ける

昨年12月末東大阪市で民団支部にハンマーが投げ込まれるヘイトクライムを皮切りに、虐待がもっとも激化した受験シーズンである2月の毎年恒例フラッシュバックラッシュ期、そして今度は件の戦争。連日Twitterのタイムラインを流れる情報により久方ぶりに呼び起こされた、中学時代の人種差別に因るいじめの記憶。

自分のコンプレックスになっている属性たちを、嫌というほど眼前に突きつけられる。息つく間も無く押し寄せるその波に、この数ヶ月、ずっと溺れていた。

そう簡単に呪い殺されてなどやらないと誓っても、肩で風切って歩いても、実践するのってなかなか難しい。改めて自分は、あらゆる意味でサバイバーなんだなと実感する。

後遺症との付き合いは、たぶん生涯続く。寛解と言われはしたものの、症状はふとした隙をついて顔を出す。恒常的にはできていることも、このゾーンに入ると困難を極め、情けないことについには仕事にも支障をきたした。

本当はぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜんぶ、親父や母親や、いじめ加害者のせいなのに。
ぼくが今こうあるのは、普通の人が普通にできることさえままならないのは、ぼくの責任ではないのに。

憎しみと悔しさと情けなさをたっぷり吸って重たくなった海綿みたいな体をソファに投げ出し、うつ伏せになってクッションを濡らす。隣室で仕事をしている夫に気づかれぬよう、嗚咽を殺して泣いていた。

それでも一方で、ぼくは気づいている。自らの病の原因がどこにあろうと、結局は折り合いをつけて自分で対策を立てて生きていかねばならない、ということに。途方もなく残酷な現実だ、とも思うけれど。

精神疾患を盾に「できません」と開き直ることだけは、絶対にしたくない。それは自分のプライドを損なうし、ポリシーにも反する。なぜなら、ぼくは不幸じゃないから。

この世界の大多数の人が得意なことが、ぼくにとってはひどく難しい。でもそれと同時に、この世界の大多数の人が不得手としていることが、ぼくにとっては楽勝なことだってある。なんだろう……愛嬌とあざとさかな、わかんねえけど。

だからぼくは、極端に恵まれていないわけじゃない。ある側面では貧しいけれど、ある側面では裕福なのだ。ときどき、サバイバーでない人を、人種やセクシュアリティにおいてマジョリティである人を、羨ましく思ったりもする。精神疾患を持たぬ人を、妬む気持ちだって今もある。でも「お前は良いよな人生勝ち組で」などという薄っぺらい台詞だけは死んでも吐かない。ぼくは誰かの痛みを軽視したくない、ぼくの痛みも軽視されたくないのと同じように。だってそこを踏み越えちゃったら、フェアじゃないじゃん。

「精神疾患の原因は自分ではない」ことは、事実だ。歪んだ認識で負うべきでない責任まで負うのは、もう二度とやらない。何回でも言うけど、ぼくは悪くなかった。その上で、このことと「自分が精神疾患を持っていること」を、別個に考えていかなきゃならない。それが今の課題なのかもしれない。

「患った原因」と、「患っている自分」。本当は地続きで、「患っている自分」ごと加害者がどうにかしろよと今も叫び出したい。仕事に支障が出たときは、その分の損害をてめえらが埋め合わせろと思ったりもする。ただ、そこを切り離さなきゃ自分を幸せにできない。それはとても不条理なことだけど。それでもきっと、みんな多かれ少なかれ、そうやって生きてる。

程度の差や質の違いこそあれど、たぶんだれしもが理不尽な不幸に見舞われることはあって、その中で最適解を求めてもがいてる。もしかしたらそのうちのひとりにとっての加害者は、それこそぼくの可能性だってあるのだ。恨みも憎しみも、否定しない。自分の中にある仄暗く醜い感情は、ぜんぶ創作の糧にする。だけど今の自分の状態は、やりきれなさをある程度飲み込んで、親しい人と医療の力を借りたりしながら、自分自身で対策を立てて生きていくしかない。

サバイバーのその後って、しんどい。御涙頂戴の美談に昇華もできねえし、いったい何度トライアンドエラーを繰り返せば正解に辿り着けるのかもわからない。認知も歪みまくってるから、自分の限界も未だよくわかってない。倒れる寸前の見極めができなくて、他人に迷惑をかけちゃって、また情けなくなって泣いて。その中で、自分にいちばんフィットするやり方を見つけていくしかないんだろうな。

─────

もがいていた数日間、とても表には出せぬ文章ばかりを生み出していた。テキストエディタの底に沈んでいるそれらをどこかのタイミングで引っ張り出して、整えるときがくるのかは、今はわからない。noteの更新が滞ってしまったことはちょっと悔しいけど。

そしてこの苦しい期間の最後に「がんばったね」と優しく背を撫でてくれた(と勝手にぼくが思っている)文章があるので、ここで紹介させてほしい。withnewsさんにて碧月はるさんが実体験を綴った、全5回の連載コラムである。すべての虐待サバイバーにとって有益な情報が盛り込まれているし、非当事者の人にも知ってほしいことが書かれている。心身の健康と相談しながら読み進めてほしい。


それから、ぼく自身の文章も。
自分の人種と取っ組み合ったエッセイを、BadCats Weeklyさんで書かせていただいた。
映画『パッチギ!』に絡めて書いたので、興味のある方はぜひ。


もうひとつ、以前by themさんで自身の被虐待体験を綴ったエッセイを連載させていただいたので、そちらも再掲載しておく。ひとつの生の声のサンプルになったらいいな、と思う。こちらは全4回である。下記リンク先から次回に飛べるので、気持ちに余裕があるときに。


読んでくださってありがとうございます。サポートは今後の発信のための勉強と、乳房縮小手術(胸オペ)費用の返済に使わせていただきます。