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死んでも黙らないし、キーボードは叩き続ける

いつもいつも、どうすれば叩き潰されることなく、フラットに、まっすぐに、言葉が届くのか考えている。LGBT当事者としても、人種マイノリティとしても、虐待サバイバーとしても。

権利を主張しても、声を上げても、一笑に伏されてしまうことは多い。その度に挫けそうにもなるけど。でも、一緒に戦ってくれるひとがいるのなら、負けずにきちんと書き続けたい。筆は折らないし、わたしのやれることをやる。

5月20日のLGBT法案をめぐる会合で飛び出した問題発言について、NOISEでエッセイを書いた。

反響はたくさんあって、わたしのTwitterのFF外の方たちからもあたたかい言葉を寄せてもらって、すごくほっとした。

差別される側が、当事者としてそれに抗議すること。わたしはそれが、いつも怖い。このnoteで叫ぶことすら、本当は毎回怯えている。叩きのめされる絶望も、そのあとこの身を苛む虚無感も、これまでの人生で嫌というほど味わってきた。だからもっとpublicな場で、それもお仕事として書くことは、わたしにとってかなり大きな一歩だった。

公開前日はとても怖くて震えていたのだけれど、「きっと大丈夫」と背中をさすってくれる人たちのおかげで、すこしの時間だったけど浅い眠りにつくことができた。

翌日目が覚めて、真っ先にTwitterのアイコンをタップすると、祈るように綴ったあの文章がきちんと届いて、伝わっていたことを知った。頂いたたくさんの言葉たちを読んで、わたしはちょっとだけ泣いた。画面の向こう側の人たちを、LGBTとは無縁だと思って生きていた誰かを、当事者ではないけれど同じように怒ってくれた誰かを、そしてわたしと一緒に傷ついた誰かを、信じてよかった。

拾いきれていないかもしれないけれど、寄せてもらった感想を以下にピックアップさせてください。これは、半分は自分のため。またすぐに、いつでも読み返せるように。

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ちゃこさんはnoteのコメントでくださったので、スクショで貼らせて頂きます。)

けっこう多くて、全部は拾いきれなかった。漏れがあると思うけど、申し訳ない。でも、ちゃんと読んでます。他にも、DMで感想を送ってくださった方、記事の共有ツイートにそっと♡を押してくださったり、RTしてくださった方、ありがとうございます。ぜんぶぜんぶ、ちゃんと受け取りました。心の地下室の宝箱に、ビニールのアレで包装してしまっています。ときどき取り出して、撫でたり頬擦りしたりしてます。

中には、心ないコメントも寄せられた。

こう思ってくれ、ああ思ってくれ、誰は何を知ってて、誰は何を知らない などとウルサイ。「種の保存に反する」かどうかの問題にしても、テキストから「赦し」を感じないだよなぁ。(原文ママ)

「こう思ってくれ、ああ思ってくれ、誰は何を知ってて、誰は何を知らない」と、それこそ逐一言っていかなきゃなにも始まらない。わたしたちが生きる権利を獲得するために、誰かに「赦し」を請いたくなどない。そんな必要なんて、ない。ウルサイと言われても、わたしは死んでも黙らない。

わたしは、男でも女でもない、男性も女性も好きになる、人種ごちゃまぜの、家族ガチャの引きが最悪だった、ただの人だ。呼吸して、ご飯を食べて、生きてるだけの。とくべつな才能も、優れた容姿も、持ち物は何もないけれど。それでもわたしはわたしの言葉を必要としてくれる誰かのために、今日もぱたぱたとキーボードを叩く。


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