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ぼくにしか書けない言葉が、きっとあると信じている

書きたいと強く希望しているメディアがあった。現在はライター募集をしていないけれどお問い合わせフォームから提案文を送信して、それでも音沙汰なしだったから、再度練り直して尊敬している書き手の方にアドバイスをもらったものをもういちど送った。でもやっぱり、お返事はなかった。

大学生のときにライターを始めて、途中で違う職業も経験したけど、去年再びフリーランスとして書く仕事についた。LGBT当事者であることとか人種ミックスであることか教育虐待サバイバーであることとか、そういう自身のマイノリティ性を逆手に取って、ありがたいことに今はいくつかのメディアでエッセイやらコラムやらを執筆させてもらっている。

念願だったLGBTメディアでも、数ヶ月前からエッセイの連載をさせて頂いている。数多くの反響をいただいた記事もあって、充実感も得ているのだけれど。みっともないことに、収入が当初の想定よりも伸びていない。

夫は正社員だが、このご時世ということもあって現在はほとんど在宅勤務だ。出社は1ヶ月に1度くらいで、あとはほぼ毎日自宅にいる。彼のお昼休みが12時から13時の間なので、ぼくもそれに合わせて昼食を取ることにしているんだけど、ある日昼ごはんを食べながら唐突に彼が「俺、昇進が決まった」と言った。

ぼくは思わず、彼の作ったスープカレーをつつく手を止めた。でも彼はもちろん、そんなことには気がつかない。「同期の中ではかなり良い評価をもらってるんだよね、収入も少し上がると思う」上機嫌でそう続ける彼に、ぼくは「へえ、そう」と返すのが精一杯だった。

「おめでとう」と、笑顔で祝福することができなかった。ぼくは彼に対して、パートナーであるにもかかわらず、劣等感を抱いている。安定した職種に就いていること、安定した収入を得ていること。社会人として一定以上の評価を受けていること、社会の中で器用に立ち振る舞うことが不得手でないこと。それらはすべて、ぼくが欲しくて欲しくて仕方なかった能力なのだ。

苦手な人を、上手にいなすことができない。人間関係を築くのが下手くそで、ぼくは真に心を通わせることのできる友達が極端に少ない。だからこそ、フリーランスというはたらき方を選んだ。それなのに、現状、思うように仕事が取れていない。

夫の収入に依存している自分が、夫なしでは生活もままならない自分が、情けなくて嫌いだ。文章で食っていくと大きな口を叩いたくせに、いまだにたいした実績を出せていない自分が恥ずかしくて悔しい。

弱音を吐くぼくに、それでも、あるひとは言ってくれた。提案文を読んで、アドバイスをくれたひと。尊敬する書き手であり、だいすきでだいすきで、姉のように慕っているひと。

いつかちゃんと届く日が来る。
今すぐじゃなくても、書くことを続けていたら、きっと大丈夫。
根拠はある。
あなたの文章は、あなたにしか書けないから。

そのメッセージを受け取ったのは、なにもかもが嫌になってビーズクッションに沈んでいるときだった。まなじりからじわりと水滴が流れ落ち、クッションのカバーにシミを作る。そのひとがそう言ってくれたのは、それが初めてじゃない。「あなたの文章は、必ず届くべきところに届くよ」と、以前から、繰り返し繰り返し、何度も何度も、そう根気強く伝えてくれていた。

「思うように収入が伸びなくて、本当にごめん。家計をあなたにばかり負担させて、本当にごめん」
「おめでとう」と言えなかった日の夜、泣きながらそう言ったぼくに、夫はこう返した。「すぐに成果が出る仕事じゃないってことくらい、俺だってわかってるよ。ゆっくりでいいし、努力してることも知ってるから。それに今、俺のお金で最低限生活はできてるんだから、君は君のペースでゆっくりやったらいい。君ひとりで生活しているわけじゃないんだから」

今、ぼくは自営業だから、ひとりで仕事を取ってひとりで契約を結んで、ひとりきりで闘って。そういうはたらき方を自分自身で選んだからこそ、そこで発生する底なしの不安とか心細さとか焦燥感すらもぼくひとりで背負うべきだと、そう思い込んでがむしゃらに、書いて書いて書いてきたけれど。

ほんとうは、ぜんぜん違った。ぼくの背中をそっと支えてくれる温かな手は、たしかに存在していた。フリーランスというはたらき方を選んだ以上、あらゆる責任はぼくひとりで引き受けなきゃならない。それはまごうことなき事実だ。でも、苦しさや悔しさを分かち合ってくれるひとが、手を差し伸べてくれるひとがすぐ隣にいることも、また本当のことなのだ。

宇多田ヒカルさんのカミングアウトの影響で、「ノンバイナリー」というワードからぼくの文章にたどり着いてくれた方が、ここ最近何名かいた。

救われたような気持ちになりました。
読めてよかったです。
自分が変じゃないって、安心できました。
書いてくれてありがとうございます。

寄せられたコメントをスクリーンショットで保存して、何度も何度も読み返した。
ぼくの言葉は、届いてほしいひとに、必要としているひとに、ちゃんと届いたのだ。そう心から感じることができて、眠れぬまま迎えた朝方の白んだ光に照らされたMacBookの前で、大袈裟でなく咽び泣いた。

女性に生まれたけれど自分を女性だと思えないノンバイナリーのぼくの言葉を、3カ国にルーツを持つぼくの言葉を、教育虐待のサバイバーであるぼくの言葉を、必要としているひとがきっといる。自分が何者かもわからずにただ狼狽えることしかできなかった遠い日の幼いぼくに向けて書いた文章は、ちゃんとほかのだれかに届く。

それをやっと理解することができたから、ぼくはフリーランスとして、ひとりで、でも支えてくれるひとたちと手を繋いで、きついときはちょっと甘えさせてもらいながら、ぼくにしか書けない言葉を書き続けようと思う。すぐに結果は出なくとも、ぼくの苦しかったことは、きっとだれかの背中を支える手になると信じて、ぼくだけの言葉を紡いでいきたい。それがぼくの、ぼくだけにできる、ぼくらしいはたらき方なのだから。

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