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日本語は通じますのでご安心ください

日韓露ミックスであるわたしは、数年前まで健康保険証の名義を韓国名にしていた。これは組合に申し込んだとき、まだ日本名の使用を父から許可されていなかったからだ。その当時は韓国籍で、父親はわたし(と弟)に韓国名を名乗ることを強要していた。だから日本名を名乗るようになったのは、いじめが原因でお嬢さま女子中学校を退学し共学の中高一貫校に転入したあとからである。

国籍と珍しい名前が原因でいじめに遭ったもんだから、そのときからわたしは韓国名で呼ばれることを極端に嫌がるようになった。そのため病院や薬局でも「名前の表記はこっちですが普段この名前使ってないので日本名の〇〇で呼んでください」とお願いしていた。

そうすると、ごくたまに理解のない事務員さんや薬剤師さんに出くわすことがあった。「えっと、どういうことなんですかねえ」「偽名を使うことは出来ませんよ」などとむちゃくちゃなことを言われて突っぱねられてしまったことも一度や二度ではない。

いやいやいや、この日本社会で外国籍かつ日本名を名乗る人なんて死ぬほどいるだろうになんで知らないんだよ。偽名じゃないよ役所にキチッと登録してる名前だよ。こちとら税金だって納めてるんだし、国籍なんてちゃっちゃか変えられるもんでもねえし(各々の誇りもあるし、わたしの場合は父親の意向で帰化が許されなかった)、こっちで生まれてこっちで育ってんだから日本名を名乗る権利ぐらいあるだろうよ。

だいたい、韓国名で呼ばれるとジロジロと無遠慮な視線を向けらることが多くて嫌なのだ。特に悪意はないのかもしれないが、正直言っていい気はしない。見た目が完全に日本人かつ日本語ペラペラの人間が異国の名前で呼ばれると気になってしまうその心理はわかるけど、あからさまな好奇の視線を向けられて喜ぶ人間などまずいないだろう。

それも死ぬほど不愉快だけど、もっと嫌な気持ちになる言葉があった。それが、「日本語喋れますか?」の一言である。普通に日本語で「こちらお願いします」と処方箋を差し出し、保険証を求められて提示しているのに、保険証のわたしの名前を確認した途端、わたしの顔とそこに記載されてある名前を交互に眺めて、「にほんご、だいじょうぶ、ですか?」と馬鹿みたいにゆっくりした口調でご丁寧に区切った発音で確認してくる薬剤師さんに辟易したことも、一度や二度ではないのだ。

さっきから喋ってますがな、日本語を。あなたの言ったこと理解できてなければ、保険証も処方箋も差し出せませんがな。

もちろんそこで「脳みそ入ってます?」と聞いたりなどできるわけなく、「喋れます、問題ないです」と返すことしかできない。子供の頃は面食らうだけだったのだが、ある程度の年齢になると「母国語です」とだけぶっきらぼうに答えることも増えた。だが、どんなに不機嫌そうな態度を取っても、その発言がどれだけ失礼なことか気がついてくれる人はいなかったのだけれど。

日本で暮らす外国籍の人、わたしのようにいくつもの国にルーツを持つ人などは、たぶん人生でこういう経験を少なからずしていると思う。アジアではない国にルーツを持つ人などは、その見た目から「ハロー」などと挨拶されて不愉快な思いをした、という話はよく聞く。

間違えるのはね、もう仕方ない。別にいいよ、ややこしいし。ややこしい名前で悪いねとも思ってる。だけど文脈で判断できる場面なら、疑問に思ったことをすぐにそのまま口に出さないでくれよ。頼むから一瞬立ち止まって考えるくらいのことはしてみてくれよ。悪気のないその質問で、少なからず傷つく人間だっているんだよ。間違えちゃったらせめて一言「ごめんなさい」「失礼しました」くらい言ってよ。

これはわたしが求めすぎなのだろうか。贅沢なことなのだろうか。この国に愛着を持ってこの国で生きているのに、「お前はこの国の人間ではない」と糾弾されている気分になるのだ。

そんな気持ちから、わたしは大学生になったころ、成人を機に保険証の名義を日本名に変更した。もともと韓国名は普段使っていなかったし、日本名の方が愛着はあったからいいんだけど。でもな、名前とか外見とか、外側だけで勝手に判断して欲しくないなあ。そんなものを“日本語が喋れない”と判断する基準になんて、して欲しくないよ、やっぱり。

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