ジェンダーレスなファッションは、ぼくをどこまでも自由にする
本当のことを言うと、女にも男にも見られたくない。判別のつかない身体がほしい。でもぼくの身長は残念ながら150そこそこしかないし、他人はまずまちがいなくぼくを女だと認識する。そのことにときどきどうしようもなくやるせなくなったりもするけれど、30年近く生きてきて流石に折り合いの付け方くらい覚えた。ぼくだっていつまでも青いままではないのだ。ある意味では、それは哀しいことなのかもしれないけれど。
だからできるだけ、マニッシュとフェミニンをまぜこぜにする。洋服はほとんど古着のメンズ服だから、時計は華奢なものを選ぶし、その代わり指輪は大ぶりで派手なものを身につけて、濃いめのリップを塗る。ジェンダーレスなファッションに身を包むことが、自分にとっては心地よいみたいだ。
20代後半が、思えば今までの人生でもっとも自分らしくいられた気がする。男物のボトムスをむりやりベルトで絞り上げて履くことも、お尻がすかすかして心許ないスカートなんかより、ずっと健康的でぼくに相応しい。
昨今の情勢で古着屋巡りをする頻度はだいぶ減ってしまったが、その代わり馴染みの店がWEB販売を始めてくれたので助かった。ぼくはこのひと月でTシャツを5枚と、ショートパンツを2枚購入した。Tシャツは主にチャンピオンとラルフローレン、ショートパンツはグラミチのもの。いずれも新品では到底手の届かない値段だけど、それだけ購入しても諭吉が2人旅立つだけで済んだ。これを安いというかどうかは、もちろん人によるだろう。
ぼくだってそうは言い切れないが、こっちは相次ぐ緊急事態宣言の発令及びその延長によって夏のお楽しみの予定を根こそぎ潰されたんだから、その分浮いたお金と思えばまあ、トントンだ。そういえばナイキのエアマックス・ココも購入した。厚底6センチのスポサンで、上背の足りないぼくにはちょうどいい。このあいだお中元でもらった商品券を使ってケイトスペードの蜂のバッグも買ったから、来月のクレジット・カードの請求がちょっぴり怖いけど。
ファッションが好きだ、死ぬほどに。ぼくにとっての古着やアクセサリーや化粧は戦闘スーツで、まとうことで性別の枠組みを越えてどこまでも自由に飛んでいくことができる。迷いや切なさや諦めや葛藤からぼくを守り、無敵でいさせてくれる。そういうお守りなのだ。それなのに。
ぼくにとって今年は、20代最後の夏だった。村上春樹『風の歌を聴け』に出てくる「僕」や「鼠」と同じように、青春の終わりを憂うかけがえのない夏になるはずだったのだ。それがまさかこんな形で、外出すらままならない状況で幕を閉じるとは想像もしていなかった。
買い込んだたくさんのジェンダーレスな夏の戦闘スーツを身にまとって、街を闊歩したかった。高校生のころから大切に履き続けていい塩梅にくたくたになったリーバイス501の切りっぱなしショートパンツとTEVAのサンダルで湘南の海に行きたかったし、新調したクリアフレームのカラーサングラスをかけてビアガーデンでしこたま飲みたかった。去年腕に入れた猫のタトゥーを存分に見せびらかしながら、BBQではしゃぎたかった。
そういうふうに毎年の夏の恒例行事を気の置けない友人たちとこなしながら、30代という節目を迎える準備をするはずだったのに。窮屈な思いをしているのはぼくだけじゃない。それはわかりきっている。でもそれでも、なぜこんなことにとニュースを見るたびに嘆息してしまう。
「そういうときだからこそ、バチバチにおしゃれするべきじゃん」
zoom飲み会でよなよなエールを飲みながらため息をつくぼくに、しかしながら友人はあっさりとそう言い放った。
おしゃれしていく場所なんかないじゃん、とぼくがくちびるを尖らせると、「病院やスーパーに行くことはあるでしょ。人に会わないからって美容院に行くことをサボらないで、なんでもない日でも好きな服を着て顔もしっかり作り込めばいいんだよ。ファッションは他人のためじゃなくて、自分のテンションを上げるためのものなんだから」と彼女は諭した。
だって褒めてくれる人もいないのに、そんな手間をかけてどうするんだ。洗濯だって面倒だし、造顔もなかなか時間を食う。それでも、友人のその提案はどこか心惹かれるものだった。
そのすぐあと、いい加減伸びっぱなしになった髪が鬱陶しくなって美容院の予約を取ったんだけど、それじゃせっかくだし久しぶりに気合を入れてみようかという気になって、お気に入りの古着のボーリングシャツを引っ張り出した。まつ毛もバシバシに上げて、マスクで見えないけどお気に入りのリップもしっかりと塗って。
だいぶ黒い部分が目立ってきた髪をツートーンに染め直してもらった自分を美容院の鏡で見たときには、ひさびさにテンションが最高潮に上がるのを感じた。うん、自分、なかなか可愛いじゃないか。ボーリングシャツも可愛いし、指輪も可愛い。服に合わせて選んだパキッとしたオレンジのアイシャドウも可愛いし、なにより新しい髪色も最高に可愛い。
長年お世話になっている美容師さんにもお似合いですよと褒めてもらって、その日はうきうきで家路に着いた。途中駅のトイレに寄ったときに鏡の中の自分を見て、またひとりでにやにやして。
やっぱりジェンダーレスなファッションは、ぼくを自由にする。くさくさした気持ちを、古着やアクセサリーや化粧はあっさりと空の彼方に吹き飛ばしてくれるのだ。友人の言う通り、誰に会う予定のない日でも、ぼく自身のために、お気に入りのメンズ服を着てお気に入りのアイシャドウを塗ろう。性別を越えて行ける戦闘スーツを身にまとうだけで、ぼくはどこへだって自由に飛んでいける。
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