小学生は、出されたものを何でも食べた方がいい(994文字)
小学生はなんでも食べる
小学校は色々な教科を学習する場所。国語、社会、算数、道徳、音楽、図工、外国語…といった実に多様な教科を、教室にいれば受けることができる。待っていれば「学習」が向こうからやってきてくれる。ただ、学習者側に「どの教科を学習したいか」を選ぶ権利はほぼない。「学習側の気持ちはどこにいったのだ?」と思う気持ちも分かるが、それでいいと私は思う。今は、出された料理を、好き嫌いを言わずに食べることが大切な時期なのだから。
中学校では、複数の教科の中から自分の好きな教科を選択して学習する「選択教科制」が原則廃止になっているところあると聞くが、高校生からは、「選択教科制」が一般的になる。「あなたは柔道、剣道のどれを学びますか?」、「あなたは地理、日本史、世界史のどれを勉強したいですか?」と問われる。今までのように学習を待つのではなく、自分から学習を迎えにいかなければいけない。
人は経験で決める
私が、妻に、「今日の夕食は、クロアチア料理かザンビア料理どちらにする?」と聞かれたら、答えることはできない。妻に気を使い、「どっちでいいよ」と答え、「それが一番嫌だ」としっぺ返しをくらうのがオチだろう。一方、「中華料理と和食料理どちらがいい?」と聞かれたら、どちらの味も一度想像し、その日の自分の気持ちと照らし合わせ、決めることができ、夫婦仲も円満だ。「中華が食べたい」とか、「和食が食べたい」は一度食べたことがあるから、選ぶことができる。要するに、人が、物事を選択するときに、「経験しているかどうか(食べたことがあるか)」が重要なファクターになってくる。
だから、小学校の時は「出されたもの食べて、どんな味かをしっておくこと」がとても大切だと私は思う。そうした「出されたものをとりあえず食べてみる」の経験を積み重ねることで、いつく訪れる選択の場で「小学校の時に学んだ戦国史に興味がわいたから、日本史をもっと勉強したい」と自分に納得感をもち選べることにつながっていく。「チャレンジしろ!!」「前のめりになれ!!」とまでは言わないが、「とりあえず出されたものは、なんでも食べるようにしておくか」ぐらいの気概はあった方がいい。小学校時代は、まだ食事は向こうからやってくる。横について食べ方を教えてくれる人がいる。「未来の自分」のためにも、今は出された料理を、好き嫌い言わずに食べる時期。
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