見出し画像

ドーパミン中毒(感想)_依存の仕組みと避け方を考える

『ドーパミン中毒』の著者はアンナ・レンブケ、訳は恩蔵絢子で2022年の出版。
ドーパミンは神経伝達物質の一つで、脳の「報酬系」の活動を担う。
事例をもとに様々な依存症やその仕組みであったり対処方法が書かれている。
自分なりに整理して咀嚼するために以下、備忘メモと感想などを。

時代と共に変化する依存の対象

現代社会ではどのようなものに依存してしまうのか。
依存症の危険因子としてドラッグや酒、セックスなどが連想されやすく、近年のアメリカでのオピオイド系薬物などは想像していたとおりだが、本書ではデジタルドラッグとして、オンライン上のポルノ、カジノ、ゲーム、ショッピングについても警鐘を鳴らしている。

日本の近況では、若者による風邪薬や咳止めの市販薬の大量摂取がニュースが取り上げられたり、ギャンブルではオンラインカジノの射幸性も問題だが、コロナのおかげでスマホで毎日手軽に賭けられる競艇が売上を伸ばしていたり。

動画は単に「話題になる」だけでなく、文字通りに伝染する。皆が真似して人から人に広がっていく「ミーム」(文化的遺伝子)になっていくわけだ。
人間は社会的動物である。オンラインで誰かがある方法で行動しているのを見ると、その行動は他の人がやっているからという理由で「普通」に見えてしまう。

動画がきかっけになり得るという指摘も興味深くて、You Tubeなどで薬物の情報を一度でも視聴したら、視聴履歴から似たような動画がレコメンドされる仕組みになっているから、繰り返し視聴することで徐々に心理的ハードルが下がっていくというのはあると思う。

私の場合身近にある依存性の高いコンテンツはゲームで、ネットの無い時代のゲームは買い切りだったからある程度の時間をプレイすると飽きてしまったものが、最近のオンラインゲームはユーザーに継続プレイさせるため、常にコンテンツを更新してユーザーを飽きさせないつくりになっているからやめ時が難しいし、プレイ時間が長くなりやすい。

無料プレイで最初のハードルを下げておいて、ランキングやPvPのレートを可視化することで、手軽に勝つために課金を促す仕組みも依存しやすくなっている。
大人はある程度判断できると思うが、問題なのはそういう知識すら持たない子どもたちで、依存しているという認識すら無いままにゲームにはまっている恐れがあるということ。

依存から抜けられず、むしろ加速する

なぜ、人は適度な量・時間で満足できずに依存してしまうのか。
脳内のドーパミンは「苦痛と快楽は相反過程のメカニズムで処理される」とあったので、一部抜粋してみる。

私たちの脳内にシーソーがあると想像してみよう。
私たちが快楽を感じると報酬回路にドーパミンが放出され、シーソーは快楽の側へ傾く。
しかしシーソーはなるべく水平に保とうとする。強力な自己調整メカニズムが働いて水平へと引き戻そうとする。
一度シーソーが水平になると、そのままシーソーは動き続けて快楽のときと同じ分だけ苦痛の側へ偏る。

脳は快楽を味わった同じ分だけ、その反動に苦痛をもたらす。しかも耐性があるから2回目以降は初回と同じ分量では同じだけの快楽を得られない。
だから、以前と同じような快楽を感じるために、徐々にその快楽をもたらす物質や時間などの量が増えていき、適度な量で満足しづらくなっていく。

依存しないための対処方法としては、アルコールや薬物の場合はコミュニティに参加することによって、同じような境遇にある他者と関係を持ったり、身近な人に助けを求めること。
また、スマホを遠ざけて退屈な時間をつくって自分自身と向き合ったり、運動するのも効果的とあったが、これらは初期症状や予防の意味合いが強いと思われる。

依存の誘惑が多い傾向にある低所得者

低所得者ほど依存しやすい環境にあるというのも、国の政治にも大きく影響がある話。

依存症で亡くなる人の数は1990年から2017年までで、世界中の全ての年齢集団で増加している。しかも50歳以下の若い人たちの死が半分以上を占めている。
特に裕福な国に暮らしている人たちの中でも貧しい人、教育を受けていない人というのが、最も衝動的過剰摂取の問題を受けやすい。彼ら/彼女らは大きな快楽を与える強力で新奇性の高いドラッグに簡単にアクセスできる上、有意義な仕事、安全な住居、質の高い教育、手ごろな価格の医療、法律で定められた人種や階級による差別のない暮らしにはアクセスできない。これが依存症のリスクを高める危険な連鎖を作っている。

ホワイトカラーの仕事がそれなりの報酬と仕事のやりがいなどを享受できるのに対して、困難な状況にあるブルーカラーの仕事についても指摘されている。

ブルーカラーの仕事はますます機械化され、仕事以外にやりがいを得ることが難しくなっている。遠くに利益を得る人がいて、その人に雇われて働くという形だと自律性は減り、経済的な報酬も控えめとなり、共通の目的のために働いているという感覚もほとんどなくなってしまう。

仕事での辛さを、ギャンブル・酒・ドラッグなどで憂さを晴らすのだが、やがては適量で満足出来なくなって依存することに。そうして働けなく(税金を収めない)なったら長生き出来ずにとっとと死んでいく。
人々が何らかに依存して充足するならば、こういう社会はある意味為政者にとってはコントロールしやすくなっているとも言える。日本でも格差が拡大して二分化しつつあって他人事ではない。

先日逮捕された大久保公園の立ちんぼの女性35人について、4割の目的はホストや“メン地下”への売掛金や遊興費であったとニュースにあった。
彼女たちは売春によってそれなりに稼いでいたと思われ、たとえ貧困で無かったとしても、会社・家庭・学校などに居場所や逃げ場所が無いと、自分を癒やしてくれる人に依存してしまうということだって有り得るということ。


全体的な感想としては色々と心の中でモヤモヤしていたことがスッキリして、腑に落ちる内容も多々あって興味深い本だった。
ただしビジネス書ほどではないものの、頻繁に登場する”喩え話が冗長で、なかなか結論に辿り着かない”のが気の短い私には読んでいて苦痛でもあった。

また依存しないためには、その原因を遠ざけることが効果的だとするなら、そもそも最初から原因をつくらないことや、原因に近づかないことも重要なはず。
オピオイド系薬物を拡めた製薬会社の手口であったり、虐待をきっかけにしたセックス依存症など、原因になり得る事象についても掘り下げてどうすれば依存の誘惑を避けられるかの知識も欲しかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?