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肥満と飢餓(感想:3)_対策には多くの消費者の意識の変化が必要

『肥満と飢餓』の著者はラジ・パテル、訳は佐久間智子で2010年9月に出版されてい本だが、内容的には2023年現在でも通じるところがある。
以下、備忘メモと感想などの続き。

長くなったので、課題となる感想のひとつ目ふたつ目はこちらに。

巨大企業に支配されたフードシステムへの対策

第9章では「フードシステムの変革は可能か?」と10の解決策が提示されている。

(1)私たちの味覚を変える
(2)地元の食材を、旬に食べる
(3)農業生態系を保全する食べ方を実践する
(4)地域の人々による事業を支援する
(5)すべての労働者には、尊厳を持つ権利がある
(6)抜本的かつ包括的な農村の変革
(7)すべての人に生活賃金を保障する
(8)持続可能な食のあり方を支援する
(9)フードシステムから、ボトルネックを取り除く
(10)過去にも現在にも存在する不正義の責任を自覚し、その償いをする

内容的には国や社会の仕組みを変えないと実現しないようなものと、個人レベルですぐにでも対応できることがある。
支配する企業は、多くの農業従事者から搾取し、消費者が求めているからとして利益を追求している。
そもそも確信犯的な面もあるため、自浄作用を期待せずに出来ることからやっていくしかない。

また、多くの課題はグローバル化によって得た便益と引き換えにしている印象もあって、既に後戻りが困難な部分もある。
とりあえず消費者の立場から取り組むハードルの低そうな個人レベルでの変化について考えてみたい。

『私たちの味覚を変える』について

フードシステムを支配する企業は皆が食べたいから、砂糖や塩、脂肪、および食肉を提供しているとある。
では、肥満の原因になりやすい商品を買わなければ良いということだが、砂糖や塩、脂肪を多く含む食品には中毒性があるというか、身近になりすぎている。
ファーストフードなどは、アプリで予約してテイクアウトすれば待ち時間も無いし、Uber Eatsを利用すれば店に行く必要すら無い。
時間に追われる現代に合わせて日毎、手に入れやすさが増しているため誘惑に抗うことが難しい。

そもそも残業でスーパーの営業時間に間に合わないと食材はおろか惣菜すら買えない。ひとり暮らしならそもそも一人分の料理をするよりも買った方が安上がりだし、体に良い食べ物は相対的に高価だ。

ストレスが蓄積している精神状態だとスナック菓子の欲求に抗い難い。コンビニは行けば新商品で目新しさを訴えてくるし、スーパーに行けばたいてい棚二つくらいを専有して陳列されている。なんならついで買いを喚起するためにレジ前に陳列して、ダメ押しの誘惑をしてくる。

考えうる対応策としては肥満の原因となりやすい食品を完全に食べるのはやめられないだろうし、やめることの揺り返しも怖いので、適度に食べるようにしようとするくらい。
あとは一人で頑張っても長続きしないから、身近な人と情報を共有して互いに牽制しあうくらいか。

地産地消について改めて考える

(2)地元の食材を、旬に食べる
(3)農業生態系を保全する食べ方を実践する
(4)地域の人々による事業を支援する

主には生産者を守るだけだが消費者側にもメリットがある。
旬の食材を食べることで、新鮮なものを食べることが出来るし地元で消費すれば輸送距離が短いから化石燃料の消費も抑えられる。
地産地消という言葉は定着しているが、情報は何度もインプットしないと忘れてしまいがちだから、そのメリットを幅広く周知するべきだ。

とはいえ、巨大企業にはスケールメリットがあるから安価であり、地元企業は価格面で勝てないこともある。
いつまでも利益を出せない構造的な問題を抱えた企業を延命させるのはどうかとも思うが、天候不順や電気代の高騰などいくつもの要因によって影響が出やすいからこそ、各自治体の税金を投入するなどして守っていく必要があるのかもしれない。

情報周知の困難さ

フードシステムを支配する企業は、利益の最大化を目的とししているから自社製品が肥満の原因となりやすいなどという、売上のマイナスになる情報を積極的に公開しない。
そもそも身体にとって悪影響の出る食品や飲料であっても、広告ではポジティブな情報だけが訴求されている。

夕方以降の時間帯に地上波のTVを漫然と眺めていると、アルコール飲料のCMをよく目にする。たいていが世間的に好感度の高いとされるタレントが起用されていて、それらの飲料を飲むことで笑顔になるという表現方法は画一的でもはやマンネリだがその効果は高い。

アルコールを摂取することで「幸せな気分になれますよ」という印象操作となっており、当たり前だが二日酔いや依存症などのマイナス面については一切触れない。
本書ではアルコールについての指摘は無いが、天然甘味料を使った炭酸飲料やスナック菓子などにしても構造は同じだ。
スポンサーがいるおかげでTV番組を視聴出来ているとはいえ、このトレードオフは本当に妥当なものなのか。
大企業に変化を求めるには、多くの消費者の変化が必要となるため、リスクについて周知していくしかないと思うが、その手段については絶望的な気がする。

やはり影響力の大きいのは未だにテレビとなるが、民法のTV局はスポンサー契約ありきなので期待出来ないし、肝心のNHKも一部の特番で頑張っていたりもするが、体質的にどうも期待が出来ない。
SNSも自分にとって都合の良い情報ばかりがタイムラインに流れてくるから期待しづらい、と八方塞がりな気がする。

とはいえ、この先何十年もこのような状態が続くとも思えないので、気長に世の中の変化を待つしかないように思う。


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